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その2 やっと見つけた居場所

手に入れた大切なもの

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 そろりとできるだけ物音を立てないように足音を忍ばせて、屋敷の門を開け外に出る。少しだけ霧がかかった朝の荒れ地は、まるで海の底のような静けさだった。 

 ぽとり……、ぽとり……。 

 頬から伝う涙が、地面に吸い込まれていった。 

「さよなら……、オズワルド様。皆……。あんなに優しくしてくれたのに……ごめんなさい……。さよなら……。どうか皆元気で……」 

 小さなつぶやきが朝の静かな霧の中に溶け込んで消えて――、いくはずだった。けれど。 

「……こんな朝早くに散歩か? リイナ」 

 突然背後から聞こえた声に思い切り飛び上がり振り向いた。 

「なっ……!! な、なななな、なんでオズワルド様っ!! こんな朝早くこんなところに……!?」 

 まさかのオズワルドの姿に、慌てふためく。そんな私をオズワルドはじろりと見つめ、深いため息を吐き出した。 

「……皆に黙って出ていくつもりか?」 

 その険しい顔と声に、思わずうつむいてかばんを持つ手をぎゅっと握り込んだ。 

「……私は、もう。料理人でもないし、それにレキオル様からもらった薬も飲んで猫でもなくなったし……、それに……」 

 頭上からあきれたようなため息が降ってくる。 

「……まったくお前はどうしてひとりで抱え込もうとするんだ? 言っただろう? お前の家はここだと。皆家族だと? 出ていく必要なんてないだろうが」 
「で、……でも私」 

 オズワルドの声が痛い。 

「だって……私にはもうここにいる意味なんて……。何の役にも立てない私がここにいちゃ……」 
「意味ってなんだ? 料理人じゃなくたって猫だろうが人だろうが、お前はお前だろう? ここにいる理由なんて、それだけで充分だ」 

 私が私でいることが、ここにいる理由になる。そんなこと、果たしてあるだろうか。 

「いても……いいの? 何の役にも立てなくても……? ここに……、このお屋敷にいても……?」 

 声が震える。かばんを握りしめる手も。そんなこと、本当にあるんだろうか。そんな無条件な幸せを私が手にできるなんてこと。 

「そうだ。ここがお前の家なんだ。もうとっくにな。だから出ていくことなんてない。……リー。お前は俺の、俺たち皆の家族だ。大切な――。だからここにいろ!」 

 オズワルドの大きな手が私の頭をくしゃり、となでた。 
 いつの間にかあんなにひんやりと冷え切っていた心も体も、今はぽかぽかになっていた。 

「私……、このお屋敷にきて……、よ……、ようやく……っく! わ……わかったんです! あったかくて優しくて、……帰りたいって思える場所がずっと欲しかったんだって……。自分のいる場所が……、自分を待っていて……くれる……っく! 人が……、欲しかった……。ずっと……ずっと……!」 

 自分が心安らげる場所。あたたかく迎えてくれる人。そんな場所が、ずっと――。 

「だから、あんな養親でも自分には帰る家があるんだって……家族がいるんだってそう思ってしがみついてたんです。たった一度だけ作ってくれたおかゆがあんまり嬉しくって、いつか本当の家族になれるんじゃないかって、本当はどこかでそう期待してて……」 

 そんなこと、あるわけないのに。本当はそんなこと知ってたのに、何にも知らない振りして。 
 けれど、オズワルドは。 

「馬鹿なんかじゃない。誰だってほしいさ。自分を待っててくれる場所も、存在も。……俺も同じだよ。でもお前も俺も、もう見つけただろ? ここが俺たちの居場所だ」 

 できることならずっとここにいて、オズワルドのそばに皆のそばにいて、ずっとおいしい料理を作っていたい。皆の笑顔と健康を全力で支えたい。 

「ここに……いたいですっ!! ずっと……皆のいるここに……!! ふっ……うぅっ……! オ……オズワルド様のそばに……いたい……ですっ!! このお屋敷に……いたいっ……!!」 
「そうか……。ならずっといろ。皆もそう望んでる。……ほら」 

 見れば、屋敷の中から使用人の皆が慌てふためいたようにかけ出してくるのが見えた。 

「リイナさぁんっ!! お屋敷を出ていくなんて早まっちゃだめですよぉ~っ」 
「おぉいっ! 俺たち仲間だろぉ~? 皆で知恵を出し合えばなんとかなるって~!」 
「黙って出ていくなんてひどいじゃないのよ~っ! もうっ、水臭いんだからっ!!」 

 まだ起きたてなのだろう。皆寝巻き姿でひどい格好だ。 

「皆……!!」 

 かけ寄ってきた皆とわんわん声を上げて泣きながら、抱き合う。
 
 そしてこの日から、私はひとりになろうとするのをやめた。
 たとえ味覚が戻らないままでも、人のままでも猫の姿であっても私にできることをしてこの場所を守ろうと。オズワルドと皆のいるこのお屋敷を、私の大切な自分の居場所を守り抜こうと、固く心に誓ったのだった。  

 
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