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その2 やっと見つけた居場所
屋根の上の慟哭
しおりを挟む「ふぅむ……。これは強い精神的ショックを受けたことによる味覚障害ですな。精神的なものですので、いつ治るかは……」
オズワルドが急ぎ王都から呼んでくれた例の医者の診察を終え、私は泣き崩れた。
「そんな……! 私、料理人なんですっ!! 味が分からなくちゃ料理なんて作れませんっ!! どうにかしてくださいっ!! このままじゃ私……私……!!」
「そうは言いましても……、しっかりと休養と安息を取るというくらいしか……」
「先生……!! 私……私にはもう、お料理しかないんですっ!! お料理しか私に残っているものなんて……。私からお料理を取り上げたら……もう今度こそ何も……」
声がだんだんか細く消えていく。
だって、料理まで失ってしまったら私にはもう何もなくなってしまう。紙切れでつながっていた家族ももうない。あんな人たちを今でも家族だなんて思えるはずもない。でも料理までできなくなったら、薬の効果が切れてもう猫でもなくなってしまったらここにいる意味なんてない。オズワルド様のためにできることも、皆のためにできることもなくなってしまう。
まるで自分がからっぽになってしまったような心もとなさに、涙が勝手にあふれ出た。
「……っふ、うぅっ……! ふぅっ……っく! うぅぅ……」
けれどたったひとつだけオズワルドに恩を返す方法は残っている。猫だ。私がこのまま一生猫の姿でいれば、せめて癒やし担当として役に立つことはできるはず。
私はガシッと医者の腕を力強く握りしめ、ゆさゆさと揺さぶった。
「先生……!! ならせめて私をこの先もずっと猫でいられるようにしてくださいっ! 一生人間に戻れなくてもかまいませんっ!! 私、オズワルド様に恩返ししなくちゃ……。薬でもなんでもこれから一生猫でいられる方法をっ……!」
医者にすがりつく私を、オズワルドが苦しげば表情を浮かべ引き離した。
「……落ち着け! リイナ!! 今は何も考えるなっ。今はただ休むんだ……。眠れ、リイナ。頼むから……」
オズワルドの声が、なんだか今にも泣きそうだと思った。死神が泣くなんてそんなことあるはずないのに。
「さぁ、リイナ。……リー。目を閉じて……眠るんだ。いい子だから……リー」
まるで子どもをあやすような優しい声と、ゆっくり背中をなでる大きな手のひらの感触に、気づけば私は泣き疲れ眠りに落ちていたのだった。
◇◇◇
それからの私は、まるで抜け殻だった。味覚はあれ以来戻っていない。ただひとつだけ幸いだったのは、あの日からなぜかずっと猫化したままだということ。レキオルからもらった効果を早く消すというあの薬をまだ飲んでいなかったのが幸いだった。もしあれを飲んでしまっていたら、もう今頃薬の効果から解放されていたかもしれないし。
「リー、一緒にハンクに乗って見回りに行くか?」
「にゃおぁ~んっ」
オズワルドの足元で丸くなっていた私に、大きな手がすっと伸びてくる。それにするりと近づけば小さな体をすくい上げられ、私はオズワルドの胸の中にすっぽりと収まった。
「しっかりつかまってるんだぞ。リー」
オズワルドの声は今日も甘い。でもあの日から、その甘さにはほんの少しの苦みが加わった気がする。それはきっと、心配という名の苦みだ。
けれど今日も私はそれに気が付かないふりをして、喉を鳴らして頭をすり寄せたのだった。
「ほら、見ろ。リー、あの木の上に鳥の巣がある。そろそろ巣立ちの季節だな」
オズワルドの愛馬であるハンクに揺られ領地を見回っていると、オズワルドが上を指さした。見ればそこにはくちばしを大きく開けてエサをねだる鳥の雛と親鳥の姿があった。
「にゃーんっ……」
鳥たちを驚かさないように、小さな声で返事をする。
(あんなに一生懸命エサを運んで……親鳥は大忙しね。雛もあんなに大きく口を開けちゃって。ふふっ……。かわいいな)
鳥だってああして子を守ろうとするのに、私の親はどうして私を捨てたのかな。おかげで私はこの先もずっとひとり。今さら嘆いたって何も変わらないけど。
こんなふうに心が弱るとふと考えてしまう。どうして私は一人ぼっちなんだろうって。あんな養父母でも、自分にも家族がいると思えば少し救われる気がした。ひとりじゃないって思えたから。でもやっぱり私はひとりだった。帰る場所も、私の帰りを待っていてくれる人も世界のどこにもない。
「どうした? リー。少し疲れたか? なら屋敷に戻って……?」
私は考えるのをやめて、オズワルドの胸にすり寄ると目を閉じた。これじゃあどっちが癒やされているのかわからないけれど、オズワルドの体はとてもあたたかくて、優しい匂いがして心があたたかくなる。今はここにいたい、そう思った。
それから幾日か過ぎ、相変わらず私の味覚は戻らないまま人の姿にも戻ることなく、時は過ぎていった。
「……ふにゃっ?」
けれどその日私は鏡に移った自分の姿をふと目にしてあることに気がついた。本来なら先まであるはずのしっぽが半分の長さで消えはじめていることに。もしかしたら薬の効果が体から完全に抜けつつあるのかもしれない。ということは――。
(……ついにこの日がきてしまったのね。このお屋敷を出ていく時が……)
鏡に映る自分の小さな猫の姿に、嘆息する。
あんなに人の姿に戻りたかったはずなのに、今はこのままずっと猫のままでいられたらと願っていた。だってそうすればたとえこのまま味覚が戻らずまともに料理を作ることができなくても、この先もずっとこのお屋敷に、オズワルドのそばにいられる。癒やしにならなれるもの。でも、それももうおしまい。
ひらりと天窓から屋根の上へと躍り出て、月を見上げた。空には一面の星が瞬いて、領地を照らしていた。確かに何もないだだっ広いだけの領地だけど、しんと静まり返った夜の荒野はとても穏やかできれいだった。それがなんだかもの寂しくて、ひしひしと胸にせまる。
きらきらと降るような星空を見上げながら、ふと思う。
顔は強面でいかつくて死神なんて呼ばれているけど、でも本当はとっても情に厚くて優しいオズワルドに拾われて、皆でわいわい食べる食事は本当においしかった。おいしいおいしいって私の作った料理を食べてくれるのが、本当に幸せだった。猫としてかわいがられるのも、これ以上ないくらい幸せだった。甘くて溶けそうなくらいに。
こんな私を家族だといってくれた。このお屋敷が家なんだと、私の帰る場所なんだと言ってくれたオズワルドには感謝しかない。私を必死に守ろうとしてくれた皆にも。だからこそこれ以上迷惑はかけられない。
(……夜が明ける前に、ここを出ていこう。このお屋敷を出ればもう養父母もここにはこないだろうし、きっとひとりでも生きていける……)
味覚を失った日から、そう決めていた。猫化できなくなったらこのお屋敷を出ていこうって。
(……さようなら。私のはじめての本当の家族とお家。どうか皆がこれからもずっと幸せで健康でありますように……! さようなら、オズワルド様……!)
「……みゃうぉーん……!」
月を見上げ、私は小さく鳴き声を上げた。その声は、誰にも聞かれることなく夜の闇に静かに溶けていった。
そして眠りにつく前に私はレキオルにもらったあの薬を一気に飲み干した。翌朝人の姿に戻った私は書き置きを残すと、ほんのわずかな荷物をまとめると部屋をそっと出たのだった。
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