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2章 四度あることは五度ある
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「椿! ちょっと待って。そう急がずに話をしよう?」
植物園を急ぎ出て脇目も振らず町を猛然と歩く椿に、和真がさして息も切らすことなく追いつく。
背の高さが違うのだから当然足の長さも違うのだし当然ではあるのだが、余裕で自分の早歩きについてくる和真になんだか腹が立つ。
「椿ったら。もう少しゆっくり歩い……」
それでも和真の焦った様子に、椿はふう、と息を吐きだし、ぴたりと足を止めた。
突然立ち止まった椿の顔を、和真がのぞき込む。
「和真は知ってたのね。美琴様には他に思う相手がいて、この縁談ははなからうまくいきっこないってこと。もしかしてこの縁談を申し入れるあの手紙がきた時には、察しがついていたの?」
遠山家が関わりのない雪園家の内情をそれほど詳しく知っていたとは思えないが、両親と和真のあの日の困惑ぶりを思うと椿はそう勘繰らずにはいられなかった。
皆この縁談がうまくいかないと知っていて、自分だけが運命の恋だと浮かれていたのかと思うと少し胸が苦しい。
「いや、そうじゃない。でも雪園家ほどの家柄の令嬢が格下の子息に縁談を申し入れるのだから、何か訳ありなのだろうと思って。美琴とあの男が話している様子を見て、勘が当たったというだけ……」
和真の顔は真剣そのもので、いつもの余裕などどこにもない。
和真だって姉である自分には弱いのだ。椿はそれを良く知っていた。
椿は和真のその顔を見つめ、ふっと肩から力を抜いた。
「……もういいわ。気づけなかった鈍い私が悪いんだもの。それで、どうするつもりなの? 縁談をなかったことにしてもらう? それとも、美琴様が恋を諦めてでもあなたと結婚する気があるのならお話を進める?」
和真を利用されたようで悔しくもあるし、できることならお互いを真っ直ぐに思い合えるような結婚をして欲しくはあるけれど、最終的に決めるのは和真なのだから。
でも、と椿はうつむいた。
やっぱりあの夢見の運命は、どうしても変えられないのかもしれない。どうしても、変えたかったのに。伴侶も得られず一人年を重ねていくなんてそんな寂しい運命を、なんとかして変えてやりたかったのに。
椿の目からぽろり、と涙が一滴こぼれた。
涙に濡れた頬を、和真がそっと指で拭った。
その手の優しさに椿はこらえきれず、ひくっとしゃくり上げた。
「……泣かないで、椿。ごめん……こんなだまし討ちのようなことをして……本当にごめん」
和真の声が、不安そうに震えていた。でもそれになんて返せばいいのか分からず、椿は小さく頭を振った。
「もういいの。和真が悪いんじゃないって分かっているの。ただ……ただ少し悲しくなっただけなの。あなたに何もしてあげられない自分が、悔しいだけなの。だから……」
それは椿の本心だった。誰かを責めたいわけじゃない。和真も美琴も、きっとこうなる運命だったのだろう。幸せになることを安直に考えて、自分一人が浮き立っていただけだ。
「……僕が幸せなのは、椿といる時だよ。椿がいてくれればそれでいい。今もこれからも」
和真の言葉に、椿は泣きながら小さく笑う。
自分が何かで落ち込んだ時や寂しい時に、和真はいつもそう言ってなぐさめてくれる。僕がずっとそばにいるから大丈夫だよ、椿といる時が一番幸せだよ、と。
「……私も和真といるととても幸せよ。あなたが幸せそうにしていてくれたら、私はそれが一番嬉しいの」
今にも泣きそうな表情の和真の頬に椿がそっと触れると、その瞬間和真の頬がぴくり、と動いた。
「そんなにあの人との縁談がうまくいって欲しかった? 僕がどこかの令嬢と結婚してあの屋敷で暮らすのを、椿はそんなに見たいの?」
どこか寂しげな和真の問いかけに、椿は一瞬言葉に詰まったけれど、すぐに不器用な笑顔をとりつくろう。
「当然じゃないの。だって私はあなたの姉なんだもの。弟の幸せを願うのは当たり前のことでしょう?」
そうだ。私は姉なのだから、弟が幸せであって欲しいのだ。ずっとあの屋敷で優しい両親とともに笑っていて欲しい。たとえそこに自分はいなくても。和真を大切に思ってくれる伴侶がいてくれたら、きっと和真は幸せだ。
椿はそう自分に言い聞かせた。
胸の奥の方で何かがちりっと焼け付くように痛んで締め付けられた気がしたけれど、そんなのは気のせいだ。
和真は何も答えなかったけれど、こちらを見つめる目は何か言いたげに揺れていた。
日の暮れ始めた町に、一つ二つと街灯が灯り出す。仕事を終えて帰途に着く町人が、二人のそばを訝しげに通り過ぎていく。
「帰りましょうか。もう日が落ちるわ」
「椿……。僕はあの二人の仲を取り持とうと思っているんだ。だから、椿も力を貸してくれないか? あの二人の幸せのために」
その提案に、椿は目を見開いた。
「……本当に、和真はそれでいいの?」
そう問いかけると、和真は小さくうなずいた。
「もちろん。……手伝って、くれる? 椿」
まるで幼い頃を思い出させるような無邪気な顔で、少し首を傾げてじっとこちらを見るその様子に、椿は深くため息をつき、こくりとうなずいたのだった。
植物園を急ぎ出て脇目も振らず町を猛然と歩く椿に、和真がさして息も切らすことなく追いつく。
背の高さが違うのだから当然足の長さも違うのだし当然ではあるのだが、余裕で自分の早歩きについてくる和真になんだか腹が立つ。
「椿ったら。もう少しゆっくり歩い……」
それでも和真の焦った様子に、椿はふう、と息を吐きだし、ぴたりと足を止めた。
突然立ち止まった椿の顔を、和真がのぞき込む。
「和真は知ってたのね。美琴様には他に思う相手がいて、この縁談ははなからうまくいきっこないってこと。もしかしてこの縁談を申し入れるあの手紙がきた時には、察しがついていたの?」
遠山家が関わりのない雪園家の内情をそれほど詳しく知っていたとは思えないが、両親と和真のあの日の困惑ぶりを思うと椿はそう勘繰らずにはいられなかった。
皆この縁談がうまくいかないと知っていて、自分だけが運命の恋だと浮かれていたのかと思うと少し胸が苦しい。
「いや、そうじゃない。でも雪園家ほどの家柄の令嬢が格下の子息に縁談を申し入れるのだから、何か訳ありなのだろうと思って。美琴とあの男が話している様子を見て、勘が当たったというだけ……」
和真の顔は真剣そのもので、いつもの余裕などどこにもない。
和真だって姉である自分には弱いのだ。椿はそれを良く知っていた。
椿は和真のその顔を見つめ、ふっと肩から力を抜いた。
「……もういいわ。気づけなかった鈍い私が悪いんだもの。それで、どうするつもりなの? 縁談をなかったことにしてもらう? それとも、美琴様が恋を諦めてでもあなたと結婚する気があるのならお話を進める?」
和真を利用されたようで悔しくもあるし、できることならお互いを真っ直ぐに思い合えるような結婚をして欲しくはあるけれど、最終的に決めるのは和真なのだから。
でも、と椿はうつむいた。
やっぱりあの夢見の運命は、どうしても変えられないのかもしれない。どうしても、変えたかったのに。伴侶も得られず一人年を重ねていくなんてそんな寂しい運命を、なんとかして変えてやりたかったのに。
椿の目からぽろり、と涙が一滴こぼれた。
涙に濡れた頬を、和真がそっと指で拭った。
その手の優しさに椿はこらえきれず、ひくっとしゃくり上げた。
「……泣かないで、椿。ごめん……こんなだまし討ちのようなことをして……本当にごめん」
和真の声が、不安そうに震えていた。でもそれになんて返せばいいのか分からず、椿は小さく頭を振った。
「もういいの。和真が悪いんじゃないって分かっているの。ただ……ただ少し悲しくなっただけなの。あなたに何もしてあげられない自分が、悔しいだけなの。だから……」
それは椿の本心だった。誰かを責めたいわけじゃない。和真も美琴も、きっとこうなる運命だったのだろう。幸せになることを安直に考えて、自分一人が浮き立っていただけだ。
「……僕が幸せなのは、椿といる時だよ。椿がいてくれればそれでいい。今もこれからも」
和真の言葉に、椿は泣きながら小さく笑う。
自分が何かで落ち込んだ時や寂しい時に、和真はいつもそう言ってなぐさめてくれる。僕がずっとそばにいるから大丈夫だよ、椿といる時が一番幸せだよ、と。
「……私も和真といるととても幸せよ。あなたが幸せそうにしていてくれたら、私はそれが一番嬉しいの」
今にも泣きそうな表情の和真の頬に椿がそっと触れると、その瞬間和真の頬がぴくり、と動いた。
「そんなにあの人との縁談がうまくいって欲しかった? 僕がどこかの令嬢と結婚してあの屋敷で暮らすのを、椿はそんなに見たいの?」
どこか寂しげな和真の問いかけに、椿は一瞬言葉に詰まったけれど、すぐに不器用な笑顔をとりつくろう。
「当然じゃないの。だって私はあなたの姉なんだもの。弟の幸せを願うのは当たり前のことでしょう?」
そうだ。私は姉なのだから、弟が幸せであって欲しいのだ。ずっとあの屋敷で優しい両親とともに笑っていて欲しい。たとえそこに自分はいなくても。和真を大切に思ってくれる伴侶がいてくれたら、きっと和真は幸せだ。
椿はそう自分に言い聞かせた。
胸の奥の方で何かがちりっと焼け付くように痛んで締め付けられた気がしたけれど、そんなのは気のせいだ。
和真は何も答えなかったけれど、こちらを見つめる目は何か言いたげに揺れていた。
日の暮れ始めた町に、一つ二つと街灯が灯り出す。仕事を終えて帰途に着く町人が、二人のそばを訝しげに通り過ぎていく。
「帰りましょうか。もう日が落ちるわ」
「椿……。僕はあの二人の仲を取り持とうと思っているんだ。だから、椿も力を貸してくれないか? あの二人の幸せのために」
その提案に、椿は目を見開いた。
「……本当に、和真はそれでいいの?」
そう問いかけると、和真は小さくうなずいた。
「もちろん。……手伝って、くれる? 椿」
まるで幼い頃を思い出させるような無邪気な顔で、少し首を傾げてじっとこちらを見るその様子に、椿は深くため息をつき、こくりとうなずいたのだった。
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