かわいい弟の破談の未来を変えるはずがなぜか弟の花嫁になりました 〜血のつながらない姉弟の無自覚な相思相愛

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』

文字の大きさ
上 下
28 / 53
3章 動きはじめた運命

9 

しおりを挟む
「姿勢は、真っ直ぐにきれいに伸ばしましょう。歩く時も立っている時も気を抜かずに。……そうそう、皆さんとても上手だわ。指先もちゃんと伸びていてきれいよ」

 一人一人に丁寧に優しく声をかけながら美琴が子どもたちに美しい立ち方を教える様子を、少し離れたところから椿は見ていた。
 思わず、見ているこちらもしゃんと背が伸びる。

 やはり生まれながらの良家の令嬢である美琴の仕草は、美しい。椿も三才で遠山の屋敷に迎えられてからその辺りも含めてきちんと教育は受けたのだが、どこか違う。隅々まで神経が丁寧に行き届いているというか。

 まだ姿勢をしっかり保てない小さな子に手を貸しながら、椿はその美しさについ見惚れた。

 美琴と初めて対面した子どもたちは、さすがに名家の令嬢直々に教わると聞いて驚き少し戸惑っていた様子だったけれど、それも最初のうちだけだった。すぐに美琴の心根の優しさに打ち解けたようだった。
 ただひとりを除いては――。



 皆が熱心に美琴の教えに耳を傾ける中、それは起きた。

「本当に皆さん、とても上手だわ。きちんとした立ち居振る舞いが身についているだけでも色々なお仕事にきっと役立つし、頑張ればきっと報われるわ。最初はうまくできなくても当然なの。何度も繰り返して練習すればきっと自然に……」
「……ねえ! 報われるって何? 頑張れば報われるなんて、そんな簡単に言わないでよ! 何も知らない癖にっ」

 美琴の言葉にかぶせるように声を発したのは、吉乃だった。
 その声に、明らかな怒りが滲んでいるのがわかった。

 和やかだったはずの場に一瞬にして張り詰めた空気が漂い、小さな子たちの顔に怯えた色が浮かんだ。

「吉乃?」

 椿はいつもの吉乃らしくない態度に思わず声をかけたが、吉乃はこちらを振り向こうともせずただじっと前方にいる美琴をにらみつけている。

「一体どうしたの、吉乃?」

 ただならぬ雰囲気に、椿は慌てて吉乃の方へと駆け寄ろうとした。けれどその時。

「椿姉、どうしてこの人をここに連れてきたの?」
「……え? どうしてって……だからそれは、あなたたちに勉強を教えている話をしたらぜひ手伝いたいって美琴様が申し出てくれたから」

 椿はひどく戸惑っていた。

 吉乃は気の強い勝気な子ではあるけれど、決して意味もなく感情を荒立てるような子ではない。むしろ普段は、小さい子たちのお姉さんとして常に我慢強く愛情深く接しているのだから。
 こんな発言をするのは、吉乃らしくなかった。

「どうせ金持ちの自己満足でしょう? かわいそうな恵まれない孤児を憐れんで、上から見下ろしているんでしょ? あなたたちが気持ちよくなるために、私たちを利用しないでよ。椿姉がいれば、それで充分じゃない! ここはあなたみたいな金持ちのお嬢様がくるようなところじゃないわっ」

 吉乃の言葉は止まらない。

「あなた、あの雪園家のお嬢様なんでしょう? 生まれてから一度も空腹に苦しんだことも、寒さに凍えたこともないでしょう。金持ちで苦労もしたことがないから、そんな簡単に言えるのよ。明之みたいに頭も良くて文句も言わずに頑張る人間でも、こんなに報われないのに! 頑張れば報われるなんて簡単に言わないで!」

 その言葉に、美琴の表情がこわばり凍り付いた。

「吉乃っ。決して美琴様はそんな……」
「……いいの。椿様」

 言いかけた言葉を、美琴が制した。
 椿がはっとして美琴の方を見ると、美琴は少し悲しげな表情を浮かべてはいたけれどそこに怒りの色は見えなかった。

「この子の言う通りだわ。私はこれまでの人生で、一度も生きるのに困ったこともなければ苦しんだこともないのだから。そんな私が頑張れば、なんて言ってもあなたたちに届くわけなかったのよ」

 美琴は吉乃の方へ歩み寄ると、吉乃の肩がびくりと跳ねた。
 そっとその前に立つと、膝をついて吉乃と視線を合わせる。

「吉乃さん、と言ったわね。ごめんなさいね。私が浅はかだったわ。決してあなたたちを傷つけたり、嫌な気持ちにさせるつもりはなかったの。ただ、私にできることが何かあるのなら力になりたいと思っただけなの」

 吉乃は美琴と目線を合わせようともせず、ただそっぽを向いて黙りこくる。

「本当にごめんなさい。吉乃さん」

 美琴の態度は、どこまでも冷静で昂る吉乃を穏やかに見つめていた。

「美琴様……」

 二人のやりとりを、椿はただおろおろと見つめていた。

 確かにさっき明之のように頑張っていても報われない、と言っていた気がする。院長からは特に何かあったとは聞いていはいないけれど、また明之に何事かあったのだろうか。

 ざわつく他の子どもたちを必死になだめながら、椿はこの場をどう収めるべきかを必死に考えていた。
 けれど次に発した吉乃の言葉に、今度は椿が凍り付く番だった。

「何よ……。そんないかにも優しそうな顔をして憐れむのはやめて。自分はあたたかい屋敷に住んで家族もいて、毎日お腹いっぱいにごはんが食べられて、そんな恵まれた場所から私たちを見下ろしていい気分になってるのよ。そんなのただの自己満足じゃない! それとも罪悪感? 自分だけが恵まれていて、私たちはかわいそうとか?」

 その言葉に、椿の心がミシリ、と大きな音を立てた気がした。
 吉乃は悔しそうに両の拳をぎゅっと握りしめ、絞り出すような声で呟いた。

「私は……。私……、あなたとなんて話したくないわ。……大嫌い。皆、皆大嫌い!」

 吉乃は爆発したようにそう叫ぶと、勢いよく部屋を飛び出し外へと駆け出したのだった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

侍女から第2夫人、そして……

しゃーりん
恋愛
公爵家の2歳のお嬢様の侍女をしているルイーズは、酔って夢だと思い込んでお嬢様の父親であるガレントと関係を持ってしまう。 翌朝、現実だったと知った2人は親たちの話し合いの結果、ガレントの第2夫人になることに決まった。 ガレントの正妻セルフィが病弱でもう子供を望めないからだった。 一日で侍女から第2夫人になってしまったルイーズ。 正妻セルフィからは、娘を義母として可愛がり、夫を好きになってほしいと頼まれる。 セルフィの残り時間は少なく、ルイーズがやがて正妻になるというお話です。

呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました

しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。 そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。 そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。 全身包帯で覆われ、顔も見えない。 所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。 「なぜこのようなことに…」 愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。 同名キャラで複数の話を書いています。 作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。 この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。 皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。 短めの話なのですが、重めな愛です。 お楽しみいただければと思います。 小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

第一王子は私(醜女姫)と婚姻解消したいらしい

麻竹
恋愛
第一王子は病に倒れた父王の命令で、隣国の第一王女と結婚させられることになっていた。 しかし第一王子には、幼馴染で将来を誓い合った恋人である侯爵令嬢がいた。 しかし父親である国王は、王子に「侯爵令嬢と、どうしても結婚したければ側妃にしろ」と突っぱねられてしまう。 第一王子は渋々この婚姻を承諾するのだが……しかし隣国から来た王女は、そんな王子の決断を後悔させるほどの人物だった。

処理中です...