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1章 破談の呪いと夢見の少女

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「ついに四度目……。なぜ……なぜなの? どうしてこうも破談続きにっ……!」

 先ほどまで平穏そのものに見えた爽やかな朝の食卓は、今やどんよりとした重苦しい空気に包まれていた。

 ショックのあまり椿は大きくふらつき、手にしていたカップの中身が大きく波打つ。

 それを見た母が、慌ててその手からカップを取り上げた。
 わずかでも反応が遅れていたら、椿の着ていた美しい着物にひどい染みを作るところだったと、見ていた皆が胸をなで下ろす。

 けれど当の椿はカップを取り上げられたことにも気がついていない様子で、呆然と椅子に座り込んだ。
 
 陶器のような白い肌が、興奮のためかほんのり上気している。

 普段の椿ならば、こんなふうに声を荒らげて動揺を露わにすることはあまりないのだが、弟の和真のこととなると話は別である。
 まして、朝一番にこんな内容の手紙が送られてきては――。

「今度は何がいけなかったの? やっぱり私が無愛想すぎて怖がらせてしまった? それともサシェの香りが気に入らなかった? もしかして、デザートに出したアップルパイがちょっぴり焦げてしまっていたから?」

 両手で顔を覆いさめざめと泣く椿の頭を、弟の和真が優しくなでる。

「まぁまぁ、泣かないで、椿。椿のせいなんかじゃないよ。それに、これはたかが縁談だよ? そんなに落ち込まなくても……」

 椿は、テーブルに突っ伏していた顔をがばり、と上げた。

「和真ったら、たかがではありませんっ。このままじゃあなたは破談に次ぐ破談の末、誰とも結ばれずこの屋敷で寂しく生きることになるのよ? 私が見た、あの夢見の通りに……」

 ついさっき届いた場ありの手紙にちらと視線をやり、椿はがっくりと肩を落とした。

「こんなに縁談がお断りされることってあるかしら。この先も破談が続いたら、どうしましょう……。このままではあなたはひとりぼっちで生きていくことになってしまうし、、遠山の血筋だって……」

 縁談を断られた当人であるはずの弟が、まるでショックを受けた様子もなく呑気にお茶など飲んでいるのを見て、椿は一層肩を落とした。

「……せめて私が夢で未来を見れるだけじゃなく、未来を変えられる力があったら良かったのに。ただ未来がのぞけるだけじゃ、何の役にも……。弟の幸せも守れないなんて、私ってだめな姉ね……」

 椿は、自分のふがいなさを嘆いた。
 
 椿には、未来をのぞき見ることのできる夢見の才があった。ただし、弟の和真の未来しか見えないという、ちょっぴり残念な限定仕様の才だったけれど。
 そしてこの相次ぐ破談は、まさに椿が見た未来絵でもあったのだ。

 だからこそ、椿はどうにかしてその未来を幸せなものと変えるべく、頑張っていたのだが――。

「まぁ落ち着いて、椿。紅茶でもゆっくり飲んで。僕のデザートも食べていいから」

 和真から差し出された熱い紅茶とデザートの皿に、椿は言われるまま素直に手を伸ばした。
 皿から美しく盛り付けられたみずみずしい葡萄をつまみあげ、口に放り込む。

「おいしい?」

 和真に問われ、素直にこくりとうなずいた。

 自分がショックのあまり興奮しているのは自覚があったし、今になって騒ぎ立ててもどうにもならないことはよく分かってはいる。
 けれど、一体どうすれば和真を幸せにしてあげられるのか。

 こみ上げる情けなさに涙をぽろぽろとこぼしながら、椿は葡萄をまた一粒口に放り込んだ。

 時折しゃくり上げながらももぐもぐと葡萄を咀嚼する様はまるで小動物のようで、その様子を和真はどこかおもしろそうに見つめるのだった。




 椿と和真は、実の姉弟ではない。椿は、三才の時にこの遠山家に迎えられた養女なのだ。
 けれど椿は、まわりがどん引くほど血のつながらない弟の和真をこよなく愛していた。それはもうどんな自己犠牲もいとわないほどに。

 そんな弟の未来を椿が夢で見たのは、和真が十四才の時だった。

 それは和真の縁談が次々と失敗に終わり、ついには伴侶を得られないまま寂しくこの屋敷で歳を重ねている未来絵で。そんな寂しい人生を送らせるわけにはいかないと、椿は立ち上がった。
 和真のために一日も早く良き縁談を、と椿が両親に頼み込み、幾度かの縁談を進めたのだったが。

 けれど一度目、二度目、三度目と先方から縁談を辞退したいとの申し出が続き、今度こそはと鼻息荒く四度目となる縁談の顔合わせに臨んだのだったが。
 結果はまたしても破談に終わったのだった。

 相次ぐ破談に、椿は絶望していた。

「相手の令嬢もとても素敵な方で、あんなにいい雰囲気でしたのに。……まままま、まさか和真の才に気づいて、なんてことはない……わよね?」

 はっと顔を上げた拍子に、椿の耳の上に飾られた髪飾りが揺れてシャラリ、とかすかな音をたてた。
 
 夢見の才を持つ椿と同様、和真にも特殊な才があった。
 それは他者に触れることで人の嘘を見抜いてしまうという少々厄介な才で、あまり人に大っぴらには言えない性質のものだった。

 和真は椿の問いに、肩をすくめた。

「まさか。自分の才をそう簡単に明かしませんよ。知れたら、色々と面倒なことになりかねないしね」

 和真の言う通りだ。
 それがたとえ誰かを欺くためであっても、誰かを傷つけまいとしてついたものであっても、嘘を見抜かれて嬉しい者はいない。心を通わす前にそんな才を持っていると知ってしまったら、きっと結婚に不安を覚えてしまうに違いない。
 もちろん和真はその才を悪用するわけではないし、心を読まないようにコントロールすることもできる。であるから、実際に結婚となればそう心配することもないとは思うけれど。

 よって、和真の才を知っているのはこの屋敷の中でも両親と椿、そして幾人かの信頼のおける使用人のみに限られていた。当然のことながら、まだ縁談が成立してもいない知り合いたての令嬢にそんな秘密を和真自身が打ち明けるはずもなかった。

「それは……そうよね。ああ、じゃあ一体何がいけなかったのかしら……。本当にどうしたら縁談ってうまくいくのかしら?」

 椿には、この縁談は初めからうまく運んでいたように映っていた。

 初顔合わせの際には庭の薔薇で作った手製のサシェをプレゼントし、りんごが好物と聞いて焼きたてのアップルパイも用意した。椿なりに、精一杯できうる限りのもてなしをしたつもりである。
 なのに、あまりその効果はなかったようである。

「やっぱり、私が怖いから……? こんな小姑のいる家なんて怖くてとてもお嫁になんていけない、とか……」

 椿は、一言で言って非常に残念な少女だった。

 白い肌と真っ黒で艷やかな背中の中程まで伸びた髪。長くぱっちりとした目もまた真っ黒で、頬と唇は紅をさしたかのように色づいている。
 眉毛の下でぱつんと切りそろえられた前髪からのぞく顔立ちは、少し幼くも見える。それに美しい着物をまとうと、まるで精巧に作られた人形のような美少女だった。

 けれどその恵まれた容貌を少し奇異なものに見せているのは、その表情だった。

 実際のところは非常に感受性豊かで情の深い心優しい少女であるのだが、無愛想などという言葉では到底言い表せない程、感情の発露に乏しいのである。
 その結果非常に無愛想で、ともすると常に怒っているようにすら見えるのだ。

 それを気にしてお相手の方を怖がらせてはいけないと、椿はあまり顔を出さずに影からそっと見守っていたのだけれど。

 顔合わせの後、和真とお相手の令嬢とは何度か手紙のやりとりまでしていたし、和真もどこか嬉しそうに見えたからすっかり安心しきっていたのだ。ああ、もうこれで和真は運命の伴侶と無事に出会えたのだと。

 あの不吉な夢見はやはりただの勘違いだったのだと、そう思っていたのに――。

 椿は、もう一度深く長いため息を吐き出したのだった。


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