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3 結婚は口に苦し

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「ね、今日お弁当?」

 都の弾んだ声に顔を上げ、首を振る。

「おっ! ならさ、ここ行かない?」

 都が手にしたスマホ画面には、最近できたばかりの近くのバーガーショップの広告が表示されていた。

「バーガーか、いいねぇ。たまには話題の店をチェックしてみますか?」
「おいしいらしんだよ! パティが肉厚でジューシーらしくてさぁ。受付の子に聞いて行きたくなっちゃったんだよね」

 都は顔が広い。飾らない性格ときっぷの良さが、男女問わず気に入られるのだろう。よってあちこちでおいしい店の情報を聞きつけては、こうして誘ってくるのだ。プロジェクトの終盤も間近とあって夜に飲みに行くのはまだお預けだけれど、ランチなら問題ない。

 いそいそと混雑する前にと急ぎ足で店へと向かう。店の前にはすでに行列ができていたけれど、この店は回転も早いしテイクアウトの客も多いから、問題ないだろう。

「うっわぁ、いい匂い! 種類もたくさんあるし、どうしよう。迷っちゃうなぁ。アボガドもおいしそうだけど、やっぱり初回はベーシックに……」
「マスカルポーネ入りもおいしいって言ってた。私はこのベーコン増しのバーガーと、サイドはえっと……」

 ぐうぐうと急かすように鳴り始めたお腹を押さえながら、昼で賑わう店内で熱々のバーガーに食らいつく。メイクが崩れるのは気になるが、ここは思い切りかぶりつくに限る。
 私たちはおしゃべりもそこそこに、一心不乱にバーガーを堪能した。

「想像以上に当たりだったかも。他のメニューも今度試しに来ない?」
「だね! 賛成。私今度はアボガド入りのにしてみようっと」

 満足げにため息を付きながら、笑い合う。

「そういえば、その後どうよ。気持ちは落ち着いた? もう二週間だっけ。駄犬と別れて。連絡はない?」

 都が身を乗り出すように問いかける。

 きっと話すタイミングをずっと伺っていたんだろう。仕事が忙しいのとなかなか職場でゆっくり邪魔されず話す機会がなかったから、気になっていたに違いない。

「連絡はないよ。まあ、付き合ってた時も業務連絡程度のやりとりしかしなくなってたからさ、正直こんなもんかって感じ。四年も付き合ったのにあっけないよね」

 別にこじれたかったわけではないけれど、まったく引き止められもせず無反応というのもそれはそれで傷つくものだ。 
 残りのカフェオレを飲み干して、その苦さに顔をしかめる。

「ふうん……そっか。実は私さ、灯里は自分から別れを切り出せないって思ってたんだよね。ほら、灯里って自己評価滅茶苦茶低いじゃない。だから向こうから切られることはあっても灯里が駄犬を捨てるってのは想定外だったな」

 都の鋭い観察眼に、肩をすくめた。だって自分でも意外だったから。まさか自分が誰かを振ることがあるなんて思いもしなかった。自分が相手に捨てられることはあっても。

「自己評価っていうか、だってそんな自信を持てるようなもの私特に持ってないし。そういうのは私には無理だよ。まあ、拓人のことはさ。浮気の一件がなければ多分まだずるずる続いてた気もするし、どうしても今終わりにしなきゃいけない理由があったってわけでもなかったし」

 四年も一緒にいるのに満足にデートもせず避けられ続けて、記念日も誕生日もクリスマスも何事もなく淡々と過ぎたくせに終わりにする理由がないなんてよく言うよ、と心の中で突っ込む。
 終わらせたいと思うだけはなくても、続けたいと思う理由だって本当はなかったのだ。ただ拓人は自分にはもったいないくらいの相手だと思っていたし、他の人と新しく恋をはじめる自信もなかっただけだ。

 拓人は、いわゆる雰囲気イケメンだった。寡黙で無表情なせいか何を考えているのかわからないと敬遠する人も多いが、逆にそれがクールでかっこいいと言い寄る女性は多かった。顔の造作は派手ではないが、トータルでなんとなく目にとまる。そんなタイプだった。
 そんな拓人と付き合ったのは、たまたま台風でずぶ濡れになって困っていた時に乗り合いタクシーで一緒になったのが縁だった。何しろお互いずぶ濡れでドロドロだったから、偶然その後駅でばったり遭遇してなんとなく会話するようになって、初めて拓人がなかなかのイケメンであることに気がついた。もし出会ったのがあんな状況下でなければ、付き合うことはなかっただろう。そのくらい釣り合わない相手だと、自分では思っていた。

 そんな拓人を自分が振る日がくるなんて、人生わからない。

「まあね。なんていうか、勢いっていうの? 浮気はさー、さすがにどうよと思って。もうなんだか疲れてたし。向こうの顔色伺って結婚を匂わせないように、重くならないように、みたいな」
「結婚、ねぇ……。私にはあんたが拓人と結婚したがってるようには正直思えなかったけどね」

 都の一言に、口に含んだ水を吹き出しそうになった。

「何それ、どういうこと? え?」

 都は紙ナプキンを差し出して口元を指差した。吹き出しそう、じゃなく実際に少々吹き出してしまっていたらしい。慌てて口元を拭い、周囲をきょろきょろと見渡した。

「だって結婚したいって顔してなかったもん。結婚を夢見る時ってさ、もうちょっと夢見がちっていうか舞い上がってる感じじゃない。それこそ雑誌とか買い込んじゃったりしてさ。なのにあんたったら、眉間に皺寄せながら結婚しないと夜も明けないくらいの悲壮感漂わせてるんだもの。あんな顔で結婚したいとか言われてもさ、幸せになれる気しないよね」

 手にしていた紙ナプキンが、ぽとりと落ちた。

「結婚、したくなかった……? 私」

 都の言葉に「そんなことあるわけないじゃない。私は拓人と結婚したかったんだよ」とは、言えなかった。

 お互いに仕事が忙しくなるにつれて会う時間が減って、会っても当たり障りのない会話しかできなくて、本当に愛されているのか必要とされているのか、感情を見せない拓人からはそれが見えなくて不安だった。でもどうしても一緒にいたいとか会いたいだとか、自分のことを好きなのかとかそんな強い感情をぶつけたら、穏やかな空気が壊れてしまうようで怖かった。
 だから、いっそ結婚すればこんな不安を感じずに済むと思ったのだ。一緒にいれば、毎日顔を合わせていれば穏やかな日々が続くんじゃないかって。
 でも本当にそうだろうか。結婚って、そんな簡単なものだろうか。

 まるで自分の浅はかさと、ただ不安から目を背けたいだけのために結婚なんて大切なことを利用しようとしていたずるさに言葉を失った。



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