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3章 秋
33話
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能登遠征が決行されたのは、9月の終わりだった。
永井のインターンシップの日程や、今回話を聞きに行く生物学者の仕事の都合もあり、この日になった。
旅行のときは天気が良いと嬉しいものだが、朝から小雨がパラパラと降っている。僕らはコンパクトカーをレンタルし、自動車専用道路に乗っていた。永井と僕が交代で運転をする。窓を少し開けるとのんびりとした風が入ってきて気持ちが良く、じりじりと暑い夏はようやく終わりを告げたようだった。
自動車専用道路を降り、海岸線を進んでいくと、海の向こうに連なった山々が見えた。白山とならんで「日本三大霊山」の一つと言われる立山連峰である。山のてっぺんは季節がひとつ進んでいるのだろうか、真っ白の冬化粧がとても美しい。そんな雄大な景色を見ながら、僕らは能登を進んでいった。
国定公園の中にある、歴史民俗資料館の前で待ち合わせの予定になっていた。国定公園の中には数多くの赤松が立ち並んでいて、造園業者の人たちによって綺麗に整備されている。駐車場にレンタカーを停めて資料館のほうへ進んでいくと、見知った顔の男がこちらに向かって手を振ってきた。
「魚住さん、お久しぶりです」
生物学者の魚住はがっちりとした体格をしており、笑うと口元がくっきりと白い。僕らの大学で以前に臨時教員をしていたと聞いているが、日に焼けた太い腕はまさしく漁師のものだ。
「おおー、恭ちゃん。でっかくなったなあ!最近ぜんぜん顔見せんもんやんから恭ちゃんかどうか分かる自信なかったけんど、よー面影が残っとるわあ」
魚住は父の親戚にあたり、小さいころはよく家族の集まりで顔を合わせていた。大きな声で周囲を巻き込むようにして話す魚住は、今もあまり変わってないみたいだ。まさか森熊教授と魚住が繋がってくるとは思ってもみなかったことだが。
「すみません。今は漁協にいるんですか?」
「そうやー、大学の教授ってのは肌に合わんでな。そこの漁協でアドバイザーっちゅうのをやりながら休みはゆっくり釣り三昧よ」
ガハハ、と大きな声で笑った魚住は、僕の後ろにいた三人に目を向ける。
「後ろの三人が恭ちゃんの友達かい、えらいべっぴんさんにイケメン揃いじゃのう、能登の平均年齢がぐーんと上がるわい!」
今日はよろしく!と言う魚住の勢いにおされて、永井たち三人も、よろしくお願いします!と一緒に声をそろえた。
「恭ちゃん、こいつを見たことあるかい?」
歴史民俗資料館は約百年前に建築されたらしく、とても古い建物だった。柱に使われている木は大きく、畳が敷かれた部屋には昔使われていたと思われる囲炉裏があった。僕らは地域から出た出土品や貴重な歴史資料などを見学しながら進んでいき、ある絵の前に集まっていた。
「これは・・・クジラ、ですか?」
畳一畳分ほどの大きな絵の左側には海とクジラらしきものが描かれていて、右側にはロープのようなものでクジラを捕まえ、陸にむけて引っ張っている人たちの姿が描かれている。
「“鯨採り絵図”って言うてな、この町の文化財になっとるんだわ。前田利家は聞いたことあるだろ?その前田家の十三代目の当主が能登にやってきたときに描かれた絵なんだとさ」
「クジラを捕まえて、食べてたんですか?」と由紀が聞く。
「当時はそうだろうなあ。まあ今でも、定置網にブリと一緒に小さい品種のやつがときどき引っかかっちまうから、その時は食べとるよ。意図的に捕まえるのは禁止されているけどな、混じって獲れちまったやつはいいんだ」
「クジラの肉かー、美味いのかな」と永井がひとり言のように呟く。
「なんだ、食べたことないのかい?クジラはこの国じゃ昔から食べられてきたんだ。良い出汁がでるし、刺身やステーキでもいけるんだぞ。栄養もたくさんとれるしなあ」
へえー、と僕ら四人は魚住の話に聞き入る。
この町では年間に何頭かのクジラが水揚げされていて、昔からクジラとの繋がりがあった。クジラに関する多くの伝説が残っていて、鯨島と呼ばれる地域があったり、石碑が建てられていたりと関係は深いと魚住は話す。
一通り資料館内を見て回り、能登のクジラについての説明を終えると、魚住は事務室へと僕らを案内した。この国定公園には民俗資料館、郷土館、美術館が併設されていて、事務室は美術館を入ってすぐのところにあった。
事務員の方が気を遣っていれてくれた珈琲が、部屋のなかで良い匂いを漂わせている。
「だけどいま恭ちゃんたちが調べてんのは、あの犀川のクジラのことなんだもんなあ」
「そうです。犀川にあらわれた二十年前の巨大な骨は、結局何だったのでしょうか」
僕は魚住と会う約束をしたときに、僕らの調査についてある程度のことを伝えていた。二十年前の巨大な骨、犀川で聞こえる歌声、僕らの仮説、そして父のノートについてである。
「熊ちゃんからも聞いたかもしれないけどな、あれはザトウクジラの骨さ。骨格からするとそれに間違いはない」魚住は珈琲をぐいっと飲み干すと、そう断言した。
「昔、犀川にクジラがいたことがあるということですか?」
「そこまでは分からんよなあ。おれは実際にあの骨を見たわけじゃないし、学術的にはそう言えるってだけだ。ただ、あの川に大きなクジラが骨になるまで生息していたとは考えにくい。大雨が降ったときに海のほうから逆流して死んだクジラが流れ着いたって考えるのが妥当、かもしれないが・・・」
「・・・それも強引な結論な気がしますよね」
そうだなあ、と魚住はこめかみを押さえる。あの巨大な骨は肉片などついておらず、とても綺麗な骨だった。死んだクジラの肉が小魚や微生物によって分解されてあそこまで美しい骨になるには、どれほどの時間がかかるのか。まず逆流して巨大な骨が犀川に入ってくることなどありえるのか。
結論を出しては見るものの、なかなか腑に落ちない。
「あとは、クジラの歌が聞こえるって話だったな。えーと、そっちの嬢ちゃんかい?」
魚住はそう言って、心美のほうを見た。
「はい。いつも聞こえるわけではないですけど」
「そうかい、もう一人聞こえたのは、子供だったか?」
「そうです、二十年前のクジラの写真を撮った人のお子さんなんですけど」魚住の言葉に、僕が答える。
魚住はうーんと首を捻って考えながら、事務室の裏のほうへと入っていくと、ポスターサイズほどの大きな紙を持って帰ってきた。灰色の机のうえにバサッと置かれたのは、県内の地図だった。
「君らがクジラの歌を聞いたのはこの辺だったよなあ・・・」
魚住は机の引き出しからコンパスを取り出すと、十文字書店の近くにサクッと針を刺した。そしてクルッと回転させると、十文字書店を中心とした綺麗な円が完成した。魚住は中心から円弧に向かって線を引くと、「約百キロメートル」と書き込んだ。
「これがザトウクジラの歌が届く範囲さ。大体だけどな」
「北陸の海にまたがっているって感じですね」
描かれた円は能登半島や富山湾、敦賀湾を境界線として、北陸三県の海を大きく囲っていた。
「そうだな。だからこの辺りをザトウクジラが回遊することがあれば、もしかすると聞こえることもあるかもしれん。ただなあ・・・」
「ただ?」
「ザトウクジラの群れが日本周辺に現れるのは、沖縄や鹿児島なんかの温かい地域なんだ。夏場は寒い地域でプランクトンや小魚を食べて生活をしているんだけどな、冬場の繁殖シーズンは温かい地域で子育てをする。だから基本的な知識として、日本でクジラの姿を見られるのは冬から春にかけてなんだよ」
「そうなんですね・・・ならまず、日本海側でザトウクジラの歌が聞こえるのは難しい。聞こえるとしても、心美や羽衣ちゃんが夏にも歌を聞いているのは理屈と合わないってことですか」
「理屈で言えば、な。もちろん、群れをはぐれちまったクジラが迷い込む可能性もゼロではないがな」
「群れをはぐれたクジラが家族をさがして歌を歌い続けているっていうのは?これもあり得る話ですよね?」と永井が言う。
「可能性はゼロじゃない。ただ、群れからはぐれたクジラというのは大体が弱っているんだ。嬢ちゃんたちは陸の上でも聞こえるほどに大きくて元気なクジラの歌を聞いているんだろうからなあ・・・可能性は限りなく低いと言えるだろうな」
だよなあ、と永井は天井を見上げる。
「羽衣とわたしにだけ歌が聞こえるんだよね・・・」心美がポツリとつぶやいた。
そうだ。この説に関してもう一つ言えることは、心美と羽衣ちゃんが聞いたのが群れからはぐれたクジラの歌だったのだとすれば、なぜ僕や永井、由紀には聞こえないのかということだ。何か条件のようなものがあるのだろうか。
「二十歳を超えた人間には聞こえない音があるんじゃねーか?」
「そっか、モスキート音みたいな?」
となり同士に座っている永井と由紀は口々に意見を出し合っている。
「周波数か。人間が聞くことの出来る周波数は二十ヘルツから二十キロヘルツって言われていてな、年齢が上がるにつれて聞こえる音波のラインは下がっていくんだ」
「クジラの歌の周波数も分かるんですか?」
「ああ。だけど残念ながら、ザトウクジラの歌の周波数は一般的に二十ヘルツから十キロヘルツなんだ。この十キロヘルツというのは、六十代の人でも聞くことのできる音の領域だって話だよ」
「六十代・・・なら年齢はあまり関係なさそうだな」永井が残念そうに言う。
「まあそういうことだ。なぜ嬢ちゃんたちにだけクジラの歌が聞こえるのかは分からんが、専門家として言うと君らの仮説の中で一番可能性があるのは、仮説1だな。なにかクジラの歌に似たような音が、犀川周辺で聞こえるのかもしれん」
仮説1 心美が聞いた音はクジラの歌声ではない
仮説2 日本海に生息するクジラの歌声がここまで聞こえている
仮説3 川にクジラがいる
僕らが夏休み前にたてた仮説はあらかじめ魚住にも伝えていた。やはり魚住も、この仮説が濃厚だと判断したようだ。
「そうですよね・・・」
「まあ能登まで来たんならぐるっと一周して、クジラの歌が聞こえる場所がないか確かめてみればいいさ。もし犀川以外のどこかでクジラの歌が聞こえるのなら、仮説2の可能性がぐーんと上がってくるぞ。まだそういう調査はしとらんやろ?」
「はい、そうですね。明日能登半島を回る予定なので、いくつかの場所で心美に聞こえるか試してもらうことにします」
話しながら横にいる心美の目を見て確認をすると、彼女は大きく頷いた。
「はあ、やっぱり犀川にクジラがいる説はなかなか難しいかー。とてつもないロマンを感じるんだけどなあ」永井が大きくため息をつき、天井に向かって腕を伸ばした。
「だけど明日能登半島を回ってみて、どこかでクジラの歌が聞こえたらこの辺りにザトウクジラの群れがいるかもしれないってことだよね?」と言った由紀に、「群れじゃなくて、はぐれクジラくんかもしれないけどな」と永井は答えた。
「ここまで来てもらったのに、あまり役に立てなくて申し訳ない。今日は恭ちゃんのばあちゃんの家に泊まるんだろ?お土産持っていってくれよ」
永井のインターンシップの日程や、今回話を聞きに行く生物学者の仕事の都合もあり、この日になった。
旅行のときは天気が良いと嬉しいものだが、朝から小雨がパラパラと降っている。僕らはコンパクトカーをレンタルし、自動車専用道路に乗っていた。永井と僕が交代で運転をする。窓を少し開けるとのんびりとした風が入ってきて気持ちが良く、じりじりと暑い夏はようやく終わりを告げたようだった。
自動車専用道路を降り、海岸線を進んでいくと、海の向こうに連なった山々が見えた。白山とならんで「日本三大霊山」の一つと言われる立山連峰である。山のてっぺんは季節がひとつ進んでいるのだろうか、真っ白の冬化粧がとても美しい。そんな雄大な景色を見ながら、僕らは能登を進んでいった。
国定公園の中にある、歴史民俗資料館の前で待ち合わせの予定になっていた。国定公園の中には数多くの赤松が立ち並んでいて、造園業者の人たちによって綺麗に整備されている。駐車場にレンタカーを停めて資料館のほうへ進んでいくと、見知った顔の男がこちらに向かって手を振ってきた。
「魚住さん、お久しぶりです」
生物学者の魚住はがっちりとした体格をしており、笑うと口元がくっきりと白い。僕らの大学で以前に臨時教員をしていたと聞いているが、日に焼けた太い腕はまさしく漁師のものだ。
「おおー、恭ちゃん。でっかくなったなあ!最近ぜんぜん顔見せんもんやんから恭ちゃんかどうか分かる自信なかったけんど、よー面影が残っとるわあ」
魚住は父の親戚にあたり、小さいころはよく家族の集まりで顔を合わせていた。大きな声で周囲を巻き込むようにして話す魚住は、今もあまり変わってないみたいだ。まさか森熊教授と魚住が繋がってくるとは思ってもみなかったことだが。
「すみません。今は漁協にいるんですか?」
「そうやー、大学の教授ってのは肌に合わんでな。そこの漁協でアドバイザーっちゅうのをやりながら休みはゆっくり釣り三昧よ」
ガハハ、と大きな声で笑った魚住は、僕の後ろにいた三人に目を向ける。
「後ろの三人が恭ちゃんの友達かい、えらいべっぴんさんにイケメン揃いじゃのう、能登の平均年齢がぐーんと上がるわい!」
今日はよろしく!と言う魚住の勢いにおされて、永井たち三人も、よろしくお願いします!と一緒に声をそろえた。
「恭ちゃん、こいつを見たことあるかい?」
歴史民俗資料館は約百年前に建築されたらしく、とても古い建物だった。柱に使われている木は大きく、畳が敷かれた部屋には昔使われていたと思われる囲炉裏があった。僕らは地域から出た出土品や貴重な歴史資料などを見学しながら進んでいき、ある絵の前に集まっていた。
「これは・・・クジラ、ですか?」
畳一畳分ほどの大きな絵の左側には海とクジラらしきものが描かれていて、右側にはロープのようなものでクジラを捕まえ、陸にむけて引っ張っている人たちの姿が描かれている。
「“鯨採り絵図”って言うてな、この町の文化財になっとるんだわ。前田利家は聞いたことあるだろ?その前田家の十三代目の当主が能登にやってきたときに描かれた絵なんだとさ」
「クジラを捕まえて、食べてたんですか?」と由紀が聞く。
「当時はそうだろうなあ。まあ今でも、定置網にブリと一緒に小さい品種のやつがときどき引っかかっちまうから、その時は食べとるよ。意図的に捕まえるのは禁止されているけどな、混じって獲れちまったやつはいいんだ」
「クジラの肉かー、美味いのかな」と永井がひとり言のように呟く。
「なんだ、食べたことないのかい?クジラはこの国じゃ昔から食べられてきたんだ。良い出汁がでるし、刺身やステーキでもいけるんだぞ。栄養もたくさんとれるしなあ」
へえー、と僕ら四人は魚住の話に聞き入る。
この町では年間に何頭かのクジラが水揚げされていて、昔からクジラとの繋がりがあった。クジラに関する多くの伝説が残っていて、鯨島と呼ばれる地域があったり、石碑が建てられていたりと関係は深いと魚住は話す。
一通り資料館内を見て回り、能登のクジラについての説明を終えると、魚住は事務室へと僕らを案内した。この国定公園には民俗資料館、郷土館、美術館が併設されていて、事務室は美術館を入ってすぐのところにあった。
事務員の方が気を遣っていれてくれた珈琲が、部屋のなかで良い匂いを漂わせている。
「だけどいま恭ちゃんたちが調べてんのは、あの犀川のクジラのことなんだもんなあ」
「そうです。犀川にあらわれた二十年前の巨大な骨は、結局何だったのでしょうか」
僕は魚住と会う約束をしたときに、僕らの調査についてある程度のことを伝えていた。二十年前の巨大な骨、犀川で聞こえる歌声、僕らの仮説、そして父のノートについてである。
「熊ちゃんからも聞いたかもしれないけどな、あれはザトウクジラの骨さ。骨格からするとそれに間違いはない」魚住は珈琲をぐいっと飲み干すと、そう断言した。
「昔、犀川にクジラがいたことがあるということですか?」
「そこまでは分からんよなあ。おれは実際にあの骨を見たわけじゃないし、学術的にはそう言えるってだけだ。ただ、あの川に大きなクジラが骨になるまで生息していたとは考えにくい。大雨が降ったときに海のほうから逆流して死んだクジラが流れ着いたって考えるのが妥当、かもしれないが・・・」
「・・・それも強引な結論な気がしますよね」
そうだなあ、と魚住はこめかみを押さえる。あの巨大な骨は肉片などついておらず、とても綺麗な骨だった。死んだクジラの肉が小魚や微生物によって分解されてあそこまで美しい骨になるには、どれほどの時間がかかるのか。まず逆流して巨大な骨が犀川に入ってくることなどありえるのか。
結論を出しては見るものの、なかなか腑に落ちない。
「あとは、クジラの歌が聞こえるって話だったな。えーと、そっちの嬢ちゃんかい?」
魚住はそう言って、心美のほうを見た。
「はい。いつも聞こえるわけではないですけど」
「そうかい、もう一人聞こえたのは、子供だったか?」
「そうです、二十年前のクジラの写真を撮った人のお子さんなんですけど」魚住の言葉に、僕が答える。
魚住はうーんと首を捻って考えながら、事務室の裏のほうへと入っていくと、ポスターサイズほどの大きな紙を持って帰ってきた。灰色の机のうえにバサッと置かれたのは、県内の地図だった。
「君らがクジラの歌を聞いたのはこの辺だったよなあ・・・」
魚住は机の引き出しからコンパスを取り出すと、十文字書店の近くにサクッと針を刺した。そしてクルッと回転させると、十文字書店を中心とした綺麗な円が完成した。魚住は中心から円弧に向かって線を引くと、「約百キロメートル」と書き込んだ。
「これがザトウクジラの歌が届く範囲さ。大体だけどな」
「北陸の海にまたがっているって感じですね」
描かれた円は能登半島や富山湾、敦賀湾を境界線として、北陸三県の海を大きく囲っていた。
「そうだな。だからこの辺りをザトウクジラが回遊することがあれば、もしかすると聞こえることもあるかもしれん。ただなあ・・・」
「ただ?」
「ザトウクジラの群れが日本周辺に現れるのは、沖縄や鹿児島なんかの温かい地域なんだ。夏場は寒い地域でプランクトンや小魚を食べて生活をしているんだけどな、冬場の繁殖シーズンは温かい地域で子育てをする。だから基本的な知識として、日本でクジラの姿を見られるのは冬から春にかけてなんだよ」
「そうなんですね・・・ならまず、日本海側でザトウクジラの歌が聞こえるのは難しい。聞こえるとしても、心美や羽衣ちゃんが夏にも歌を聞いているのは理屈と合わないってことですか」
「理屈で言えば、な。もちろん、群れをはぐれちまったクジラが迷い込む可能性もゼロではないがな」
「群れをはぐれたクジラが家族をさがして歌を歌い続けているっていうのは?これもあり得る話ですよね?」と永井が言う。
「可能性はゼロじゃない。ただ、群れからはぐれたクジラというのは大体が弱っているんだ。嬢ちゃんたちは陸の上でも聞こえるほどに大きくて元気なクジラの歌を聞いているんだろうからなあ・・・可能性は限りなく低いと言えるだろうな」
だよなあ、と永井は天井を見上げる。
「羽衣とわたしにだけ歌が聞こえるんだよね・・・」心美がポツリとつぶやいた。
そうだ。この説に関してもう一つ言えることは、心美と羽衣ちゃんが聞いたのが群れからはぐれたクジラの歌だったのだとすれば、なぜ僕や永井、由紀には聞こえないのかということだ。何か条件のようなものがあるのだろうか。
「二十歳を超えた人間には聞こえない音があるんじゃねーか?」
「そっか、モスキート音みたいな?」
となり同士に座っている永井と由紀は口々に意見を出し合っている。
「周波数か。人間が聞くことの出来る周波数は二十ヘルツから二十キロヘルツって言われていてな、年齢が上がるにつれて聞こえる音波のラインは下がっていくんだ」
「クジラの歌の周波数も分かるんですか?」
「ああ。だけど残念ながら、ザトウクジラの歌の周波数は一般的に二十ヘルツから十キロヘルツなんだ。この十キロヘルツというのは、六十代の人でも聞くことのできる音の領域だって話だよ」
「六十代・・・なら年齢はあまり関係なさそうだな」永井が残念そうに言う。
「まあそういうことだ。なぜ嬢ちゃんたちにだけクジラの歌が聞こえるのかは分からんが、専門家として言うと君らの仮説の中で一番可能性があるのは、仮説1だな。なにかクジラの歌に似たような音が、犀川周辺で聞こえるのかもしれん」
仮説1 心美が聞いた音はクジラの歌声ではない
仮説2 日本海に生息するクジラの歌声がここまで聞こえている
仮説3 川にクジラがいる
僕らが夏休み前にたてた仮説はあらかじめ魚住にも伝えていた。やはり魚住も、この仮説が濃厚だと判断したようだ。
「そうですよね・・・」
「まあ能登まで来たんならぐるっと一周して、クジラの歌が聞こえる場所がないか確かめてみればいいさ。もし犀川以外のどこかでクジラの歌が聞こえるのなら、仮説2の可能性がぐーんと上がってくるぞ。まだそういう調査はしとらんやろ?」
「はい、そうですね。明日能登半島を回る予定なので、いくつかの場所で心美に聞こえるか試してもらうことにします」
話しながら横にいる心美の目を見て確認をすると、彼女は大きく頷いた。
「はあ、やっぱり犀川にクジラがいる説はなかなか難しいかー。とてつもないロマンを感じるんだけどなあ」永井が大きくため息をつき、天井に向かって腕を伸ばした。
「だけど明日能登半島を回ってみて、どこかでクジラの歌が聞こえたらこの辺りにザトウクジラの群れがいるかもしれないってことだよね?」と言った由紀に、「群れじゃなくて、はぐれクジラくんかもしれないけどな」と永井は答えた。
「ここまで来てもらったのに、あまり役に立てなくて申し訳ない。今日は恭ちゃんのばあちゃんの家に泊まるんだろ?お土産持っていってくれよ」
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