犀川のクジラ

みん

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3章 秋

32話

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「うお、キングボンビーになっちまった!」

 ちょっとしたいざこざはあったものの、僕らは川床で豪勢な食事を楽しんだあと永井の部屋へと移動し、ゲーム大会を開いて夜中になるのを待った。この時期、「三光さん」の月の光が見られるのはほんとうに夜遅い時間帯だからだ。ときどきオールナイトで飲んだりカラオケをしたりしている学生の身なので、この時間まで起きているのは特に苦ではなかった。

「永井くんマイナス三十億円だって、どうする?」

「もはや赤字を赤字だと思わなくなってきたな・・・」
 
 由紀は楽しそうに、永井は絶望の表情でテレビに映ったゲーム画面を見つめる。ひとりひとりがある鉄道会社の社長になり、日本中を旅して、ある決まった年数までにより多くの資産を持っていたプレイヤーが勝利するというすごろく形式のゲームである。

「この“徳政令カード”ってなにかに使えるの?」
「おお、心美ちゃん。そのカードは借金で悩む人々すべてを救う、鎌倉時代から受け継がれてきた伝説のカードだよ!」
「つまり?」
「永井が助かって、僕らには特に意味がないってこと」
 心美はこのゲームをするのは初めてらしいが、運にもめぐまれ総資産一位だった。二位は由紀、三位に僕が続いている。今回は二十年という設定でプレイをしていて、残り二年で終了となるところだった。
「じゃあ、捨てよ」
「心美ちゃん!?」
 結局そのまま順位は変わらず、永井は負けた罰ゲームとして近くの神社に出ている屋台でタピオカを買ってくることになった。永井が帰ってくると、僕らはタピオカを飲みながら月が出てくる時間を待つことになった。
 
 タピオカを飲み終えると、僕は茶封筒の中から何枚かの写真を取り出し、永井の部屋にあるすべすべとした木目の机の上に置いた。花火大会の次の日に十文字から預かったもので、今日集まるときにこの写真について話をしようと思っていた。

 教授と話したクジラの骨の写真である。

「すごいね、ほんとに骨」
「クジラの骨ってこんなに大きいんやあ」
 僕が封筒から取り出した十数枚の写真をしばらく見た後、由紀と心美が同時に感想を言った。
 十数枚の写真がいろいろな角度から撮影されていた。骨の全体像から細部にいたるまで、きちんと映っていて、とても分かりやすい写真だ。背骨から尾びれにいたるまで、肉片が全くついておらず、陶器のようになめらかで真っ白な骨はどこか別世界で作られたモノに思えた。
「で、店長はなんて?」
 永井は夏休みのあいだインターンシップで出版社へ通っていて、十文字書店にはしばらく顔を出していない。今日僕たちが集まるのも久々のことだった。
「僕らがクジラについて調べていることを、あまり良く思っていないみたいで、ほとんど何も教えてくれなかった。なにかを隠しているというか・・・」
「ヒデさんが隠しごと?」
「うん。心美と羽衣ちゃんがクジラの声を聞いたことを伝えたら、あまり深入りして本業をおろそかにするなよって言われたよ」
「暇な学生の馬鹿げた研究だと思ったんじゃねーか?」
「どうだろう」
 十文字から封筒を受け取ったとき、彼は明らかになにかを言い淀んでいた。羽衣ちゃんのことで忙しいと思い、そのときはとくに追及しなかったのだが。

「それと、もう一つ見てほしいものがあるんだ」

 僕はかばんの中から父が遺した五冊のノートを取り出す。
心美に続いて、羽衣ちゃんまでもクジラの声が聞こえると知ったときから、三人に見せる必要があると思っていた。
「これは、僕の父さんが書いたものなんだけど・・・」
「六藤の親父が?小学生のときに亡くなったって言っていたよな」
「うん。父さんは死ぬ前、僕にこのノートを遺したんだ」
 心美は【考察1】と書かれたノートを手に取ると、パラパラとページをめくった。永井と由紀も顔を寄せてノートを見る。
「クジラの絵だね」
「父さんは死ぬ直前、犀川でクジラを見たって言っていた。すごく熱心に語っていたけれど、僕と母さんは冗談半分に聞いていたんだ。父さんは小説家だったし、病気のこともあったから、夢と現実が混同したんだよきっとって」
 彼らは僕の話を聞きながら父が遺したノートを読み進めていく。膨大な量があり、さらに走り書きで書かれているので、理解できない部分は飛ばして読まなければならない。
「これ、わたしたちが調べてきたことと一致しているんやね」
「クジラの歌声に、巨大な骨。六藤の親父は一体何者なんだよ、預言者か」
「小学校の先生から小説家になった、いたって普通の人だよ」
「小説家は普通か?」永井がそう言って笑う。
「ここにはモンブランが食べたいって書いてあるよ。考えすぎて甘いもの食べたくなったのかな」心美は【考察3】ノートの最後のページの端にある「モンブランたべたい」という文字を指さして笑った。
「確かに、死ぬ前にモンブランは食いてえよな」永井はうんうん、と頷く。
「頭に浮かぶまま書いていったって感じだね」
 永井と由紀は真面目に考えることに疲れたのか、【考察1】からまた見直し、ノートに書いてある父さんのひとり言のようなものを見つけては楽しんでいる。父さんは遺作となった小説を書くときにも、こんな風に思いつくままに膨大な量のノートをとっていた。

「恭二郎にこのノートを遺したのは、完成させてほしかったからかな」
 心美はさらさらとした長い髪を耳にかけ、僕の目を見て話す。ドレスアップされた彼女は本当にいつもの雰囲気と違っていて、ドギマギする。思わず艶のある唇に目が行ってしまい、頬が熱くなる。

「きっとね。僕に託すっていう伝言つきだったから」

 僕はなるべく不自然に見えないように窓の外へと視線をそらす。心美の唇に目を向けていると、意識していると馬鹿にされそうだったし、気恥ずかしかった。

「恭二郎は小説家になりたいの?」心美はそんな僕の苦悩には気づいていない様子で、僕の顔を覗き込む。

「まさか。なれるなんて思ってないよ。わざわざ文学部に入って勉強しているけど、父さんのアイデアを形にするには文章力も発想力も、なにもかも足りていない」
「だけど、完成させようと努力はしているんだ」
「父さんの遺言だからね」それに、と僕は続ける。「昔からうちには本がたくさんあったから、そういうのを片っ端から読んで育つと、一度くらい自分で物語をつくってみたいって気持ちにはなるよ」
「ふーん。書くのはどう、楽しい?」
「どうだろう・・・。目隠しをしたまま、手探りで宝探しをするような感じ。ワクワクすることもあるけど、苦しいことの方が多い」心美みたいに好きなことに打ち込めるひたむきさがあれば、もう小説は完成しているかもしれないねと僕は続ける。
 
 急に窓の向こうが明るくなったような気がして、ふと山々の方へ目を向けると、矢を放つ直前の弓のように美しい曲線を描いた三日月が色濃く浮かんでいた。

「みんな、月だよ」

 おおー、と全員で歓声を上げて、月の光を見つめる。
 遠い昔からこの三日月に祈りをささげてきた行事に僕らが参加していることは、とても不思議なことだ。親から子へ、人から人へ幾度となく繋がれてきたものがまた、今年も消えることなく繋がれてゆくのである。
 
 あいつはさ、たすきを繋いだんだよ。
 
 十文字の言葉が頭にこだまするように鳴り響く。

 きっと父さんが僕に託したものも、運動会のリレーみたいな、年明けの駅伝のような、そしてこの「三光さん」のような、そういうものに近いのかもしれない。

「・・・わたしのは全然、ひたむきさとは違う」
「え?」

 僕の横で、とても小さな声で心美は呟いたが、僕はそれについて何かを聞くことはできなかった。そうするのが正しいことなのか分からなかったけれど、僕たちは神社で参拝するみたいに目を閉じ、思い思いに月に向かって祈りを捧げた。

 バサッ。
 祈りを捧げて十数秒が経った後、僕らの後ろで音がした。
振り向くと、机の上にはノートが置かれている。

「能登のクジラってなんだ」
 永井は三光さんを見飽きているのか、もうすでに祈りを止めていて、ソファに座って「どういうことだ?能登にクジラのヒントがあるのか?」と言った。永井は【考察4】ノートに書かれた“能登のクジラ?”という言葉を指さし、僕を見る。
 僕は永井を見て頷いた。
 
 今日三人にノートを見せた一番の理由は、このことを提案するためだった。

「きっとそうだと思う。【考察4】のノートでは、父さんが能登のクジラに着目しているんだ」
「能登にはクジラがいるの?」
 由紀と心美も月の光を見終えて、会話に参加する。
「僕が生まれた町の隣町なんだけどね。クジラの伝説があって、石碑も建てられているんだ。鯨島って呼ばれる地区もあるみたいだよ」
「へえ、素敵な名前やねえ」由紀は目を輝かせて言った。
「で、それと犀川のクジラとはどう関係してくるんだ?」
「それは、まだ分からない。ただ、教授の知り合いに生物学者がいるって言っていただろ?」
「ああ、言っていたな」
「実はその人、僕の親戚なんだ」僕は恭ちゃん!と言ってニカッと笑うヒゲ面の男の顔を思い浮かべる。
「そうなのか?」
「うん。漁協の人なんだけどね。僕らの家族と昔から仲良くしてくれているんだ」
「それなら、犀川のクジラに関してなにかヒントをもらえるかもしれないな」
「まだ連絡はとれていないけどね。僕の母さんに聞いてみたら、能登の漁協には今でも顔をだしているみたい」
「つまりなんだ、犀川の会結成以来初の“遠征”に行こう、と六藤は言いたいのか?」永井は細い顎に手を当てて、ニヤリと笑った。
「まあ、簡単に言えばそういうこと。もちろん、みんなが良ければなんだけど・・・」と言いながら三人の顔を見回すと、
「楽しそう!能登旅行も一緒にできるね」
「みんなが行くなら」
 と由紀と心美が同時に言った。きっと乗ってくれるだろうなあとは思っていたが、二つ返事で行くと言ってもらえると、やはりホッとする。
 
 それから僕らは、車どうしようか、どうせなら能登半島の端までドライブしたいね、などと能登遠征の計画を話しはじめた。時刻は夜中の二時を回っていたが、帰ろうと言いだす者はおらず、机を囲んで旅行の計画や、ふざけた話を延々とつづけた。

 窓の外では滑らかな曲線を描いた三日月が、先ほどよりも高い位置から僕らを照らす。月の光は犀川の水面にも映りこみ、煌々と輝いていた。
 
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