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ここがケツバット村
【浅尾真綾、黒鉄孝之(4)】
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孝之は真綾を横抱きにかかえたまま、出口を求めて炎の迷宮を懸命に進む。
先ほど通り抜けられた部屋はもう無理だった。その隣にも部屋はあるが、おそらく外には続いていないだろう。
炎の中で、何かが破裂する音が聞こえた。
考える余裕など1秒も無い。
本能と直感だけで、いや、運に任せて逃げ道を選ぶ。
後悔なら助かってからいくらでもしてやると、一心不乱に突き進む。
「ゴホッ、ゴホッ……こっちか!」
数々の火柱や火の粉、黒煙を潜り抜けて孝之は走り続ける。
孝之は無宗教だが、神や仏にも必死に心のなかで祈りを捧げていた。
何がなんでも助けたかった。
真綾を助けたかった。
その強い想いだけで足を進めていた。
「うわっ?! ──とッ!」
不意に、間近の炎の中から人影が飛び出してくる。
足元がふらつき、バランスを崩しかけるも、なんとか持ちこたえて真綾を抱き直す。
そんな孝之のそばを、両目を赤黒く変えて猛スピードで走り去る勇がすれ違う。
きっと、紗綾を助けに向かったに違いない。
彼もまた、愛する人を救いたいのだろう。
「……真綾、もう少しの我慢だからな!」
気を失っているのか、腕のなかの真綾は返事をせずに瞳を閉じたままではあったが、とても穏やかな寝顔だった。
絶対に守りたい、必ず救ってみせる。
孝之は最後の力を振り絞り、全速力で駆け出す。
*
炎と煙の灼熱地獄を振り切って屋敷の中庭まで無事に脱出すると、孝之はとうとう力尽きてしまい、その場で両膝を着いた。
限界ならとうに超えていた。
それでも頑張れたのは──
「ま、真綾……」
薄れる意識に抗いながら、愛する人の寝顔を眺める。
まだ村を離れてはいないし、お互いに無傷ではない。だが、なんとかこうして真綾を助けることが出来た。
初めての記念すべき旅行が、とんでもない思い出になってしまった。それでも、ケツバット村のこの経験が、きっとこれからのふたりの人生に大きく活かされるはずだ。
そして、藤木や麻美の存在も忘れてはならない。
彼らの分まで自分たちはしっかりと生きてゆかねばならない。それが、助けられた者の使命でもある。
孝之が安堵の思いに浸っていると、アドレナリンが切れたのか、全身に激しい痛みが次々と襲いかかってくる。
剥き出しの上半身は煤だらけで、火傷の痕も少なからず目立っていた。孝之は文字どおり、身を呈して真綾を守り抜いたのだ。
「ハハハハ……大丈夫……死なない怪我だから、な…………」
そう言って笑いかけた孝之は、最後に真綾をかばいながら倒れた。
*
「──孝之、ねえ……孝之!」
意識を取り戻して膝立ちになった真綾は、目を閉じる孝之へと近づき、両手で顔を撫でるように包み込む。
しかし、熱を帯びた孝之の頬はピクリとも動かない。
ただ息はあるので、死んではいないはずだ。
「良かった……まだ生きてる……」
真綾の頬に涙がつたう。
煤まみれの孝之の顔に落ちたそれは、灰色の輝きを一瞬だけ煌めかせてみせた。
ガゴォォォォォォォォォォォ……!
突然聞こえた背後からの大きな物音。
真綾は振り返る。
屋敷は炎に包まれ、暗闇の世界を煌々と照らしていた。
やがて夜空に雷鳴が響き渡ると、生暖かい風が辺りに吹きすさび、稲光と激しい雨が地上に降りそそぎ始める。
だが、この雨でも炎を消すことは出来まい。
刀背打家の長きにわたる呪縛を燃やし尽くすまでは…………
「孝之! 孝之ッ!」
何度も名前を呼んで身体を揺らすが、それでも孝之は目を覚まさない。
生きているとわかっていても、真綾の心は不安でしかたがなかった。
もしもこのまま目を覚まさなければ──そんな不吉な想いが一瞬頭を過るも、すぐに彼方へと追いやる。
「ねえ、孝之! 起きてよ孝之!」
しばらくして、何かの気配を感じた真綾は顔を上げる。激しい雨にもかかわらず、瞬きも忘れてただ驚愕する真綾の姿を、稲妻があざやかに照らし出す。
そこには、百人以上の大勢の村人たちが居た。
今にもふたりに襲いかかろうと、バットを構えて中庭に立っていたのだ。
「そ……そんな……」
冷たい雨と共に、絶望が全身に染み込んでいく。
それはやがて大きな塊となって重くのしかかり、底無しの地獄へと沈められるような感覚へと変わる。
真綾はただ、あきらめの表情でその光景を見つめていた。
口角を上げる村人の1人と目が合う。
絶望。
真綾はこの時、絶望を味わっていた。
「こんなことって……孝之が助けてくれたのに……」
真綾は気を失ったままの孝之を抱き寄せると、泣き顔を隠すようにして深く埋めた。
先ほど通り抜けられた部屋はもう無理だった。その隣にも部屋はあるが、おそらく外には続いていないだろう。
炎の中で、何かが破裂する音が聞こえた。
考える余裕など1秒も無い。
本能と直感だけで、いや、運に任せて逃げ道を選ぶ。
後悔なら助かってからいくらでもしてやると、一心不乱に突き進む。
「ゴホッ、ゴホッ……こっちか!」
数々の火柱や火の粉、黒煙を潜り抜けて孝之は走り続ける。
孝之は無宗教だが、神や仏にも必死に心のなかで祈りを捧げていた。
何がなんでも助けたかった。
真綾を助けたかった。
その強い想いだけで足を進めていた。
「うわっ?! ──とッ!」
不意に、間近の炎の中から人影が飛び出してくる。
足元がふらつき、バランスを崩しかけるも、なんとか持ちこたえて真綾を抱き直す。
そんな孝之のそばを、両目を赤黒く変えて猛スピードで走り去る勇がすれ違う。
きっと、紗綾を助けに向かったに違いない。
彼もまた、愛する人を救いたいのだろう。
「……真綾、もう少しの我慢だからな!」
気を失っているのか、腕のなかの真綾は返事をせずに瞳を閉じたままではあったが、とても穏やかな寝顔だった。
絶対に守りたい、必ず救ってみせる。
孝之は最後の力を振り絞り、全速力で駆け出す。
*
炎と煙の灼熱地獄を振り切って屋敷の中庭まで無事に脱出すると、孝之はとうとう力尽きてしまい、その場で両膝を着いた。
限界ならとうに超えていた。
それでも頑張れたのは──
「ま、真綾……」
薄れる意識に抗いながら、愛する人の寝顔を眺める。
まだ村を離れてはいないし、お互いに無傷ではない。だが、なんとかこうして真綾を助けることが出来た。
初めての記念すべき旅行が、とんでもない思い出になってしまった。それでも、ケツバット村のこの経験が、きっとこれからのふたりの人生に大きく活かされるはずだ。
そして、藤木や麻美の存在も忘れてはならない。
彼らの分まで自分たちはしっかりと生きてゆかねばならない。それが、助けられた者の使命でもある。
孝之が安堵の思いに浸っていると、アドレナリンが切れたのか、全身に激しい痛みが次々と襲いかかってくる。
剥き出しの上半身は煤だらけで、火傷の痕も少なからず目立っていた。孝之は文字どおり、身を呈して真綾を守り抜いたのだ。
「ハハハハ……大丈夫……死なない怪我だから、な…………」
そう言って笑いかけた孝之は、最後に真綾をかばいながら倒れた。
*
「──孝之、ねえ……孝之!」
意識を取り戻して膝立ちになった真綾は、目を閉じる孝之へと近づき、両手で顔を撫でるように包み込む。
しかし、熱を帯びた孝之の頬はピクリとも動かない。
ただ息はあるので、死んではいないはずだ。
「良かった……まだ生きてる……」
真綾の頬に涙がつたう。
煤まみれの孝之の顔に落ちたそれは、灰色の輝きを一瞬だけ煌めかせてみせた。
ガゴォォォォォォォォォォォ……!
突然聞こえた背後からの大きな物音。
真綾は振り返る。
屋敷は炎に包まれ、暗闇の世界を煌々と照らしていた。
やがて夜空に雷鳴が響き渡ると、生暖かい風が辺りに吹きすさび、稲光と激しい雨が地上に降りそそぎ始める。
だが、この雨でも炎を消すことは出来まい。
刀背打家の長きにわたる呪縛を燃やし尽くすまでは…………
「孝之! 孝之ッ!」
何度も名前を呼んで身体を揺らすが、それでも孝之は目を覚まさない。
生きているとわかっていても、真綾の心は不安でしかたがなかった。
もしもこのまま目を覚まさなければ──そんな不吉な想いが一瞬頭を過るも、すぐに彼方へと追いやる。
「ねえ、孝之! 起きてよ孝之!」
しばらくして、何かの気配を感じた真綾は顔を上げる。激しい雨にもかかわらず、瞬きも忘れてただ驚愕する真綾の姿を、稲妻があざやかに照らし出す。
そこには、百人以上の大勢の村人たちが居た。
今にもふたりに襲いかかろうと、バットを構えて中庭に立っていたのだ。
「そ……そんな……」
冷たい雨と共に、絶望が全身に染み込んでいく。
それはやがて大きな塊となって重くのしかかり、底無しの地獄へと沈められるような感覚へと変わる。
真綾はただ、あきらめの表情でその光景を見つめていた。
口角を上げる村人の1人と目が合う。
絶望。
真綾はこの時、絶望を味わっていた。
「こんなことって……孝之が助けてくれたのに……」
真綾は気を失ったままの孝之を抱き寄せると、泣き顔を隠すようにして深く埋めた。
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