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ここがケツバット村
【浅尾真綾、田中麻美】
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意識を取り戻した真綾のすぐ近くには、口から大量の血を流す昭吉が大の字の格好になって倒れていた。
赤黒い目玉が飛び出さんばかりの醜い形相は、虚空をただ見つめて強ばっている。確認するまでもなく、死んでいることがすぐにわかった。
「なんなのよ、これ……何があったの……?」
その少し向う側には麻美も倒れており、同じように口元が赤く染まっていることに気づいた真綾は、お尻の痛みも忘れて駆け寄ると、ぐったりと動かない麻美を急いで抱き起こす。
「麻美さん! しっかりして、麻美さん! 麻美さん!」
真綾は涙を流して何度も名前を呼び続け、麻美の肩を強く揺さぶる。混乱のあまり、脈拍や呼吸の有無を調べる余裕など無かった。
「…………ごほっ、ごほっ……やめてよ……マジで痛いから……」
すると、目を閉じたまま眉間に皺をよせた麻美が、咳き込みながらつぶやきで答えた。
*
工場を後にしたふたりは、とにかく孝之たちと合流すべく、一度旅館へ戻ることにした。
麻美は両肩の大怪我と激戦によって歩くこともままならず、彼女を工場敷地内にあったアルミ製のリアカーに乗せた真綾は、森を抜けようと林道を突き進む。
「さっき上から見た時に、こっちの方角に棚田が見えたから、このまま行けば旅館に着けるんじゃないかな」
そう言ってはみたものの、真綾は不安でたまらなかった。
旅館へ戻ったところで孝之たちがまだ居る保証は無いし、なんの手掛りも無いかも知れない。だが、今はそれが最善策だと信じて、前へ進むしかなかった。
慣れない手つきでリアカーを引きながら、時折振り返る。
荷台の麻美は時間の経過と共に著しく弱っていき、鬱蒼とした森に入って炎天の陽射しが遮られても身体中の汗が止まらずにいた。
「ねえ麻美さん、旅館に着いたらビール飲もうね、ビール! それまで、一滴も水を飲まないでがんばろう!」
なんとか元気づけようと話しかけても、何を言う訳でもなく、麻美は瞼を閉じたまま力なく笑顔を返すだけであった。
「麻美さん……」
耳をつんざく蝉の鳴き声が鼓膜を蝕み、段々と村人たちの狂喜の笑い声にも聞こえ始めてきた。
真綾の心は恐怖と不安が混じり合い、今にも弾けて壊れる寸前にまで追い込まれていた。
自分が正気のうちに、なんとしてでも孝之たちと合流しなければ……
「あそこにいたわよ!」
後方から、蝉時雨を切り裂くほどの女性の叫ぶ声が聞こえた。額の汗もそのままに、真綾はリアカーを引く手を止めて振り返って遠い人影に目を凝らす。
そこには、あの女が──工場の妊婦が、こちらを指差して誰かを大声で呼んでいた。
すると女のうしろから、紺色の作業着姿の男や農作業服の男、タンクトップに短パン姿の老人など、大勢の村の男たちが木製のバットを片手に続々と姿を現した。
「あはははははははは! 逃がさない……おまえたちだけ逃げるなんて、絶対にゆるさないわよ!」
女が片手を天高く上げる。
その目は村人たちのように赤黒くはなかったが、血走って狂気に満ちあふれ、完全に正気を失ってしまっていた。
「さあ、叩け! 叩いて叩いて、尻を叩きまくれぇぇぇぇ!」
掲げたその手を大きく降り下ろすと、女は蝉に負けないほどの大きな笑い声を上げて男たちをふたりに差し向けた。
「ひゃひひひひひ! 逃がさねぇぞー!」
「女だ、女! 東京者の女を捕まえろぉぉぉぉぉ!」
「骨までしゃぶり尽くしてやっかんなぁぁぁ!」
命令を受けた村の男たちは、嬉しそうにはしゃぎながら、手にするバットをわざとらしく振り回して一斉に走り出す。
まるでその様は、野ウサギを狩る猟犬──いや、彼らの乱れ具合からして、腹を空かせた野犬と言ったほうが当てはまるだろう。
「そんな……どうして……なんでなの……?」
同じ被害者のはずが、どうして彼女はケツバット村の味方をしているのか。
なぜ自分たちを捕まえようとしているのか。
理解できずに混乱するあまり、真綾は逃げることを忘れてしまい、奇声を発しながら迫りくる村人たちをただ、じっと眺めて立ち尽くしていた。
「ま……真綾ちゃん、逃げ……ろ……」
「えっ? あっ、うん!」
荷台で苦しむ麻美にうながされて我に返った真綾は、非力ながらも、すべての力を振り絞ってリアカーを引いて走った。
深緑と熱気に包まれた世界の中で、けたたましく響き渡る異音の数々。
それは蝉の声なのか村人の声なのか、もう何もわからない。とにかく、真綾は林道を無我夢中に逃げて走り続けた。
走って走って、走り抜いたその先は、急勾配の下り坂になっていた。眼下には棚田へ続くであろう脇道の入口と、小さな祠がひとつだけ見える。この先をリアカーで下るのは、残念ながら不可能だろう。
「ええっ!? ここをリアカーで下りるなんて絶対に無理だよ!」
どうするべきか、決めかねる真綾が急いで振り返ると、村人たちは人相がわかる距離まで迫って来ていた。
「真綾ちゃんもリアカーに乗って! 早く!」
先ほどまで苦しんでいた麻美が両目をしっかりと開き、語気を強めて指示をだす。
「は、はい!」
言われてすぐ、リアカーの荷台に慌てて乗り込む真綾。それと入れ替わって、麻美は荷台のうしろへ飛び降りた。
意味もわからず困惑する真綾に、麻美は安心させようと笑顔を見せてから、その表情を凛々しいものに変えて語り始める。
「真綾ちゃん、訊いて。アイツらはどういうわけか知らないけれど、あたしたちのお尻ばかり狙ってくる。でも、それが弱点なのよ。それがあるから、少人数でもあたしたちは絶対に勝てる」
「えっ、なに? 急にどうしたの、麻美さん?」
「アイツらは人間だけど、人間じゃない。すぐにあたしたちを殺しはしなかったけれど、捕まったら同じこと。この意味、わかるよね?」
真剣な眼差しの麻美に真綾は瞬きも忘れて何度もうなずく。
「だから……だから、遠慮なんかいらない。やられるまえに、こっちから殺るんだよ!」
麻美の肩越しにバットを振り上げる村人の男が見えたかと思えば、一瞬だけ穏やかな表情になった麻美がリアカーの荷台を蹴った。
強い衝撃が加わり、リアカーは急勾配の下り坂を一気に滑り落ちる。まるでジェットコースターのようなその反動で、真綾の身体が勢いよく荷台の中を転がった。
「──きゃっ!?」
真綾!
藤木さんに……お父さんに…………
どこまでも速度を上げ続けて滑り落ちるリアカー。その凄まじい振動に抗って、真綾はなんとか起き上がる。
視線を坂の上へと向ける。
大勢の村人の姿が遠くに見えた。
「麻美さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
麻美が居たはずのその場所にはたくさんの男たちが群がり、一心不乱にバットを何度も何度も容赦なく叩きつけていた。
赤黒い目玉が飛び出さんばかりの醜い形相は、虚空をただ見つめて強ばっている。確認するまでもなく、死んでいることがすぐにわかった。
「なんなのよ、これ……何があったの……?」
その少し向う側には麻美も倒れており、同じように口元が赤く染まっていることに気づいた真綾は、お尻の痛みも忘れて駆け寄ると、ぐったりと動かない麻美を急いで抱き起こす。
「麻美さん! しっかりして、麻美さん! 麻美さん!」
真綾は涙を流して何度も名前を呼び続け、麻美の肩を強く揺さぶる。混乱のあまり、脈拍や呼吸の有無を調べる余裕など無かった。
「…………ごほっ、ごほっ……やめてよ……マジで痛いから……」
すると、目を閉じたまま眉間に皺をよせた麻美が、咳き込みながらつぶやきで答えた。
*
工場を後にしたふたりは、とにかく孝之たちと合流すべく、一度旅館へ戻ることにした。
麻美は両肩の大怪我と激戦によって歩くこともままならず、彼女を工場敷地内にあったアルミ製のリアカーに乗せた真綾は、森を抜けようと林道を突き進む。
「さっき上から見た時に、こっちの方角に棚田が見えたから、このまま行けば旅館に着けるんじゃないかな」
そう言ってはみたものの、真綾は不安でたまらなかった。
旅館へ戻ったところで孝之たちがまだ居る保証は無いし、なんの手掛りも無いかも知れない。だが、今はそれが最善策だと信じて、前へ進むしかなかった。
慣れない手つきでリアカーを引きながら、時折振り返る。
荷台の麻美は時間の経過と共に著しく弱っていき、鬱蒼とした森に入って炎天の陽射しが遮られても身体中の汗が止まらずにいた。
「ねえ麻美さん、旅館に着いたらビール飲もうね、ビール! それまで、一滴も水を飲まないでがんばろう!」
なんとか元気づけようと話しかけても、何を言う訳でもなく、麻美は瞼を閉じたまま力なく笑顔を返すだけであった。
「麻美さん……」
耳をつんざく蝉の鳴き声が鼓膜を蝕み、段々と村人たちの狂喜の笑い声にも聞こえ始めてきた。
真綾の心は恐怖と不安が混じり合い、今にも弾けて壊れる寸前にまで追い込まれていた。
自分が正気のうちに、なんとしてでも孝之たちと合流しなければ……
「あそこにいたわよ!」
後方から、蝉時雨を切り裂くほどの女性の叫ぶ声が聞こえた。額の汗もそのままに、真綾はリアカーを引く手を止めて振り返って遠い人影に目を凝らす。
そこには、あの女が──工場の妊婦が、こちらを指差して誰かを大声で呼んでいた。
すると女のうしろから、紺色の作業着姿の男や農作業服の男、タンクトップに短パン姿の老人など、大勢の村の男たちが木製のバットを片手に続々と姿を現した。
「あはははははははは! 逃がさない……おまえたちだけ逃げるなんて、絶対にゆるさないわよ!」
女が片手を天高く上げる。
その目は村人たちのように赤黒くはなかったが、血走って狂気に満ちあふれ、完全に正気を失ってしまっていた。
「さあ、叩け! 叩いて叩いて、尻を叩きまくれぇぇぇぇ!」
掲げたその手を大きく降り下ろすと、女は蝉に負けないほどの大きな笑い声を上げて男たちをふたりに差し向けた。
「ひゃひひひひひ! 逃がさねぇぞー!」
「女だ、女! 東京者の女を捕まえろぉぉぉぉぉ!」
「骨までしゃぶり尽くしてやっかんなぁぁぁ!」
命令を受けた村の男たちは、嬉しそうにはしゃぎながら、手にするバットをわざとらしく振り回して一斉に走り出す。
まるでその様は、野ウサギを狩る猟犬──いや、彼らの乱れ具合からして、腹を空かせた野犬と言ったほうが当てはまるだろう。
「そんな……どうして……なんでなの……?」
同じ被害者のはずが、どうして彼女はケツバット村の味方をしているのか。
なぜ自分たちを捕まえようとしているのか。
理解できずに混乱するあまり、真綾は逃げることを忘れてしまい、奇声を発しながら迫りくる村人たちをただ、じっと眺めて立ち尽くしていた。
「ま……真綾ちゃん、逃げ……ろ……」
「えっ? あっ、うん!」
荷台で苦しむ麻美にうながされて我に返った真綾は、非力ながらも、すべての力を振り絞ってリアカーを引いて走った。
深緑と熱気に包まれた世界の中で、けたたましく響き渡る異音の数々。
それは蝉の声なのか村人の声なのか、もう何もわからない。とにかく、真綾は林道を無我夢中に逃げて走り続けた。
走って走って、走り抜いたその先は、急勾配の下り坂になっていた。眼下には棚田へ続くであろう脇道の入口と、小さな祠がひとつだけ見える。この先をリアカーで下るのは、残念ながら不可能だろう。
「ええっ!? ここをリアカーで下りるなんて絶対に無理だよ!」
どうするべきか、決めかねる真綾が急いで振り返ると、村人たちは人相がわかる距離まで迫って来ていた。
「真綾ちゃんもリアカーに乗って! 早く!」
先ほどまで苦しんでいた麻美が両目をしっかりと開き、語気を強めて指示をだす。
「は、はい!」
言われてすぐ、リアカーの荷台に慌てて乗り込む真綾。それと入れ替わって、麻美は荷台のうしろへ飛び降りた。
意味もわからず困惑する真綾に、麻美は安心させようと笑顔を見せてから、その表情を凛々しいものに変えて語り始める。
「真綾ちゃん、訊いて。アイツらはどういうわけか知らないけれど、あたしたちのお尻ばかり狙ってくる。でも、それが弱点なのよ。それがあるから、少人数でもあたしたちは絶対に勝てる」
「えっ、なに? 急にどうしたの、麻美さん?」
「アイツらは人間だけど、人間じゃない。すぐにあたしたちを殺しはしなかったけれど、捕まったら同じこと。この意味、わかるよね?」
真剣な眼差しの麻美に真綾は瞬きも忘れて何度もうなずく。
「だから……だから、遠慮なんかいらない。やられるまえに、こっちから殺るんだよ!」
麻美の肩越しにバットを振り上げる村人の男が見えたかと思えば、一瞬だけ穏やかな表情になった麻美がリアカーの荷台を蹴った。
強い衝撃が加わり、リアカーは急勾配の下り坂を一気に滑り落ちる。まるでジェットコースターのようなその反動で、真綾の身体が勢いよく荷台の中を転がった。
「──きゃっ!?」
真綾!
藤木さんに……お父さんに…………
どこまでも速度を上げ続けて滑り落ちるリアカー。その凄まじい振動に抗って、真綾はなんとか起き上がる。
視線を坂の上へと向ける。
大勢の村人の姿が遠くに見えた。
「麻美さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
麻美が居たはずのその場所にはたくさんの男たちが群がり、一心不乱にバットを何度も何度も容赦なく叩きつけていた。
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