ここがケツバット村

黒巻雷鳴

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ここがケツバット村

【田中麻美、浅尾真綾(4)】

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 鉄格子から死角になっていた通路側には、ほこりを被った工具類や見たこともない大小様々な鉄屑てつくずが壁際に寄せてあり、ひび割れた床タイルが目立つ廊下の上にも錆びた金属部品がいくつか落ちていた。
 先導している女がすぐ隣の部屋へ入ったので、麻美と真綾も後に続いて中へ入る。
 そこは6畳ほどの狭いロッカー室で、辺りにはえたにおいが漂っていた。
 女は壁際に並ぶ古びたロッカーのひとつに止まり、無言のまま扉を開ける。中から小さい鍵の束を取り出すと、やはり無言のまま、鍵の束を麻美のそばに立つ真綾にそっと差し出した。
 それを受け取った真綾は、その場でしゃがみ込んで麻美の足枷を外してから自分の足枷も外した。その間、麻美はバットを持つ手をちらつかせて女を警戒していたが、女は何も喋らずに真綾の様子をただじっと見下ろしていた。

「ねえ、あんたさぁ」

 話しかけられても、女は真綾を見つめ続けている。

「この村の人間じゃないよね?」
「えっ?」

 麻美の言葉に、真綾は思わず声を出して立ち上がる。
 女は真綾が立ち上がっても、視線を床に向けたままだった。そして静かに、抑揚のない小さな声で「ええ、そうよ」と、囁くように答えた。

「わたしは……あなたたちと同じ。ケツバット村に訪れた観光客の1人なのよ」

 真綾は、麻美と視線が合うと息を呑んだ。女は淡々と、だが、しっかりとした口調で語り続ける。

「半年前、わたしは大学のサークル仲間たちと一緒にこの村へ旅行に来たの。最初はなんの問題もなく、村の人とみんな楽しく過ごせていたわ。だけど……だけど……」

 やがて女の声は、感情を現して震えだす。それに比例して、女の顔の血の気が徐々に失せていった。

「サイレンが…………あのサイレンの音が、突然村中に鳴り響いて……それで…………それで、わたしたちは逃げて……」

 伏せ顔をさらに両手で覆い隠す。指の隙間からは、女の涙がぽろぽろと流れ落ちた。

「逃げたけどダメで、みんなダメで、わたしだけになって……がんばって走ったけど、森で捕まって…………それでアイツらに……アイツらが……わたしを無理矢理に…………」

 女は古びたロッカーを背に、床へと泣き崩れ落ちる。そして、命が宿る腹を一撫でし、さらに声を上げて号泣した。
 語られた女の悲話──ロッカー室の空気と温度が、季節は真夏だというのに、まるで凍りついたかのように寒々しく一変する。

(この村が……ケツバット村が、そんな悪魔の巣だったなんて……!)

 真綾は、これまでの酷い精神的緊張ストレスとロッカー室の饐えたにおいも相まって胃酸が逆流し、その場にすわり込んで透明な体液を吐き出した。

「サイレンが鳴るまえって、村人は正気なの? それとも、善人ぶってるだけなの?」

 咳き込む真綾の背中をさすりながら、麻美は女に訊いた。

「わかんない…………わかんないけど、目の色が元に戻ったら……みんなまた、わたしを優しく扱ってくれる」

 女の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

「その時に、この村から逃げようとしなかったの?」

 女は泣き顔をゆっくり左右に振り、

「わたしが妊娠するまで、あの牢屋に監禁されてたから」

 今にも消えそうな声で、涙ながらにそう答えた。
 麻美は目を瞑り、深い溜め息をつく。やがて、凛とした表情で両目を見開いた。

「真綾ちゃん、立てそう?」
「はい……もう大丈夫です」

 真綾を支えながら立たせ、肩越しに女を見る。

「ねえ、一緒に逃げよう。いま逃げないと、一生この村から出れないよ?」

 麻美の言葉に女は静かに顔を上げ、鼻水と涙で汚れる口角を緩める。

「逃げる? 何から逃げるの? わたし、もうすぐお母さんになるのよ?」

 先ほどまでとは違い、達観した面持ちになった女は自分の腹を見つめると、愛しそうに撫でまわして穏やかな笑顔をつくった。

「…………そう。真綾ちゃん、行こう」
「お母さんよ? お母さんになるのよ、わたし。あはははは! あはははははははは!」

 女の笑い声に送られながら、麻美は真綾を連れてロッカー室を後にした。

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