46 / 68
第三章 ~ぶらり馬車の旅 死の大地・マータルス篇~
王の消失
しおりを挟む
すっかりと夜も更け、書斎には羽根ペンをすべらせるかすかな音だけが、マグヌス王本人の耳に聞こえていた。
書き綴っているのは日記帳で、今は亡きアシュレイ王妃が懐妊した日から続けている習慣だった。
きょうの日付けのページには、こう書かれてある。
ついに王都が魔物によって蹂躙されてしまった。秘密戦隊からの情報によれば、〈異形の民〉の末裔が裏で糸を引いているらしい。とうとうこの日が来てしまったのかと、我が運命を呪ってしまう。
敵の目的は、邪悪なる暗黒の神の力を借りてこの国を滅ぼし、やがては世界を支配するつもりに違いない。
女神デア=リディア、そして初代マグヌス王よ。どうか我に打ち勝つ力を与えたまえ。
ペン先をガラス製のインク壺に浸したマグヌス王が、憂鬱な視線を本棚に向ける。しばらく考え込んでから手を休め、ゆっくりと椅子から下りて本棚に近づく。
そのなかから一冊の本を取り出した王は、奥に隠されていたスイッチを押した。
本棚が音もなく静かに横移動をして小部屋が現れる。
中央の台座には宝石が散りばめられた驕奢な長方形の宝箱がひとつ、厳かに置かれていた。
不安げな面持ちのマグヌス王が、階段の形をした踏み台に乗って宝箱にそっと触れる。
先祖代々伝わる王家の至宝。
こうして厳重に保管していたのだが──。
「……おや? 鍵が開いているぞよ?」
宝箱の中は、まさかの空っぽだった。
「ぞよ?!」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
突然の笑い声に振り返れば、漆黒のローブをまとったひとりの男が、いつの間にか小部屋の出入口に立っていた。
「おまえは……おまえが聖剣を盗んだぞよ!?」
「聖剣? なんのことだ? それよりもマグヌス王、ワシと一緒に来ていただこうか」
フードに覆われていて顔がよくわからないが、目の前の人物が〈異形の民〉であると、王家の遺伝子がそう教えてくれた。
「い、一緒になんて行かないぞよ! 誰かおらぬか!? 侵入者ぞよ! 悪者ぞよー‼」
自分を捕まえようとするソンドレの足もとをすり抜けたマグヌス王は、隠し部屋のスイッチを押して閉じ込めることに成功した──かに見えたが、不思議なことに、ソンドレも書斎に戻ってきていた。
「無駄だ、無駄だ。あきらめろマグヌス王。ワシから逃げられはせんぞ」
「ぞよよ……」
フードの影に隠れた顔が静かにゆがみ、不衛生に伸びた爪が恐怖に怯えるマグヌス王へと近づく。
*
「どうかなされましたか!?」
「国王陛下! ここを開けてください!」
扉を激しく叩く音とともに、ふたりの近衛兵の叫び声が通路に響きわたる。
だが、返事はない。お互いに目配せをした兵士たちは、息を合わせてから一斉に体当たりをして扉を破った。
「陛下! どこですか!? 陛下ッ!」
王の私室をくまなく探すも、誰の姿も見あたらなかった。代わりに絨毯の上には、血ぬられた小さな王冠が転がり落ちていた。
朝日が昇る前の早い時刻ではあるが、すべての重臣たちは謁見の間に集まっていた。
玉座に腰掛けているのはシャーロット王女。いや、服装と表情は、少女騎士団長のアシュリンだった。
「このような失態が隣国に知られれば、攻め込まれるやも知れんぞ」
「そもそも敵国の仕業ではないのか?」
それぞれがお互いに意見を交わすなかで、大臣のひとりがオルテガに問いかける。
「陛下がさらわれたのは、金銭目的なのでは? おい、身代金の要求はなかったのか?」
「いえ……それならば、置き手紙のひとつくらいは残していくでしょう。不覚にも、シャーロット殿下の寝室にも現れました。犯人は間違いなく〈異形の民〉の大神官ソンドレ」
そう言ってオルテガは、鋭い目つきを宰相のウスターシュに向ける。ウスターシュもそれに気づき、人知れずうなずきを返す。こうして無言のまま、王国騎士団の出撃許可は承諾された。
「待て、オルテガ。王都はもう安全なのか?」
そんなふたりのやり取りに疎外感を感じた王女は、苛立ちを押えつつも強い口調で訊いた。騎士団の装束を身にまとっているため、言葉遣いは王女らしからぬものではあったが、家臣たちは誰も気にしなかった。
「はい。下水道内にも団員を配備しておりますので、安心してよろしいかと。殿下、ソンドレはおそらく〝死の大地〟に潜んでいるはずです」
「死の大地……!」
重臣たちが一斉に驚きざわめく。
そこは、言葉に出すことすらためらわれる禁忌の領域。現代に語り継がれる神々の戦場だ。
「〈鋼鉄の鷲〉の名にかけて、必ずや国王陛下の救出を成功させてみせますので、どうか殿下は城内にとどまり吉報をお待ちになっていてください」
オルテガは一礼し、颯爽とマントをひるがえしてシャーロット王女に背を向ける。
「おい、待てオルテガ!」
思わず玉座から立ち上がって引き留めるも、耳を貸さずに王国騎士団長は去っていった。
「……クッ!」
「殿下」
怒りが収まらないシャーロット王女にウスターシュが静かに歩み寄り、穏やかな口調で話しかける。
「彼を信頼して我々は待ちましょう。ささ、今はどうかお休みになってください。万全の体調で国王陛下を出迎えようではありませんか」
「……そうだな」
不満そうな表情ながらも、進言を受け入れたうら若き王女はおとなしく着席をし、続けて家臣たちに命じる。
「皆も帰って身体を休めてくれ。のちほど、改めて策を練り直すとしよう」
「はっ! リディアスに栄光あれ!」
その場の全員が声高らかに叫び、シャーロット王女に向き直って丁寧にお辞儀をする。
こうして緊急会議は、日の出に終わった。
書き綴っているのは日記帳で、今は亡きアシュレイ王妃が懐妊した日から続けている習慣だった。
きょうの日付けのページには、こう書かれてある。
ついに王都が魔物によって蹂躙されてしまった。秘密戦隊からの情報によれば、〈異形の民〉の末裔が裏で糸を引いているらしい。とうとうこの日が来てしまったのかと、我が運命を呪ってしまう。
敵の目的は、邪悪なる暗黒の神の力を借りてこの国を滅ぼし、やがては世界を支配するつもりに違いない。
女神デア=リディア、そして初代マグヌス王よ。どうか我に打ち勝つ力を与えたまえ。
ペン先をガラス製のインク壺に浸したマグヌス王が、憂鬱な視線を本棚に向ける。しばらく考え込んでから手を休め、ゆっくりと椅子から下りて本棚に近づく。
そのなかから一冊の本を取り出した王は、奥に隠されていたスイッチを押した。
本棚が音もなく静かに横移動をして小部屋が現れる。
中央の台座には宝石が散りばめられた驕奢な長方形の宝箱がひとつ、厳かに置かれていた。
不安げな面持ちのマグヌス王が、階段の形をした踏み台に乗って宝箱にそっと触れる。
先祖代々伝わる王家の至宝。
こうして厳重に保管していたのだが──。
「……おや? 鍵が開いているぞよ?」
宝箱の中は、まさかの空っぽだった。
「ぞよ?!」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
突然の笑い声に振り返れば、漆黒のローブをまとったひとりの男が、いつの間にか小部屋の出入口に立っていた。
「おまえは……おまえが聖剣を盗んだぞよ!?」
「聖剣? なんのことだ? それよりもマグヌス王、ワシと一緒に来ていただこうか」
フードに覆われていて顔がよくわからないが、目の前の人物が〈異形の民〉であると、王家の遺伝子がそう教えてくれた。
「い、一緒になんて行かないぞよ! 誰かおらぬか!? 侵入者ぞよ! 悪者ぞよー‼」
自分を捕まえようとするソンドレの足もとをすり抜けたマグヌス王は、隠し部屋のスイッチを押して閉じ込めることに成功した──かに見えたが、不思議なことに、ソンドレも書斎に戻ってきていた。
「無駄だ、無駄だ。あきらめろマグヌス王。ワシから逃げられはせんぞ」
「ぞよよ……」
フードの影に隠れた顔が静かにゆがみ、不衛生に伸びた爪が恐怖に怯えるマグヌス王へと近づく。
*
「どうかなされましたか!?」
「国王陛下! ここを開けてください!」
扉を激しく叩く音とともに、ふたりの近衛兵の叫び声が通路に響きわたる。
だが、返事はない。お互いに目配せをした兵士たちは、息を合わせてから一斉に体当たりをして扉を破った。
「陛下! どこですか!? 陛下ッ!」
王の私室をくまなく探すも、誰の姿も見あたらなかった。代わりに絨毯の上には、血ぬられた小さな王冠が転がり落ちていた。
朝日が昇る前の早い時刻ではあるが、すべての重臣たちは謁見の間に集まっていた。
玉座に腰掛けているのはシャーロット王女。いや、服装と表情は、少女騎士団長のアシュリンだった。
「このような失態が隣国に知られれば、攻め込まれるやも知れんぞ」
「そもそも敵国の仕業ではないのか?」
それぞれがお互いに意見を交わすなかで、大臣のひとりがオルテガに問いかける。
「陛下がさらわれたのは、金銭目的なのでは? おい、身代金の要求はなかったのか?」
「いえ……それならば、置き手紙のひとつくらいは残していくでしょう。不覚にも、シャーロット殿下の寝室にも現れました。犯人は間違いなく〈異形の民〉の大神官ソンドレ」
そう言ってオルテガは、鋭い目つきを宰相のウスターシュに向ける。ウスターシュもそれに気づき、人知れずうなずきを返す。こうして無言のまま、王国騎士団の出撃許可は承諾された。
「待て、オルテガ。王都はもう安全なのか?」
そんなふたりのやり取りに疎外感を感じた王女は、苛立ちを押えつつも強い口調で訊いた。騎士団の装束を身にまとっているため、言葉遣いは王女らしからぬものではあったが、家臣たちは誰も気にしなかった。
「はい。下水道内にも団員を配備しておりますので、安心してよろしいかと。殿下、ソンドレはおそらく〝死の大地〟に潜んでいるはずです」
「死の大地……!」
重臣たちが一斉に驚きざわめく。
そこは、言葉に出すことすらためらわれる禁忌の領域。現代に語り継がれる神々の戦場だ。
「〈鋼鉄の鷲〉の名にかけて、必ずや国王陛下の救出を成功させてみせますので、どうか殿下は城内にとどまり吉報をお待ちになっていてください」
オルテガは一礼し、颯爽とマントをひるがえしてシャーロット王女に背を向ける。
「おい、待てオルテガ!」
思わず玉座から立ち上がって引き留めるも、耳を貸さずに王国騎士団長は去っていった。
「……クッ!」
「殿下」
怒りが収まらないシャーロット王女にウスターシュが静かに歩み寄り、穏やかな口調で話しかける。
「彼を信頼して我々は待ちましょう。ささ、今はどうかお休みになってください。万全の体調で国王陛下を出迎えようではありませんか」
「……そうだな」
不満そうな表情ながらも、進言を受け入れたうら若き王女はおとなしく着席をし、続けて家臣たちに命じる。
「皆も帰って身体を休めてくれ。のちほど、改めて策を練り直すとしよう」
「はっ! リディアスに栄光あれ!」
その場の全員が声高らかに叫び、シャーロット王女に向き直って丁寧にお辞儀をする。
こうして緊急会議は、日の出に終わった。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
平凡冒険者のスローライフ
上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。
平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。
果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか……
ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。
さよなら、英雄になった旦那様~ただ祈るだけの役立たずの妻のはずでしたが…~
遠雷
恋愛
【本編完結】戦地から戻り、聖剣を得て聖騎士として英雄になった夫エリオットから、帰還早々に妻であるフローラに突き付けられた離縁状。
戦場で傍に寄り添い、その活躍により周囲から聖女と呼ばれるようになった女性エミリーを、彼は愛してしまったのだと告げる。安全な王都に暮らし日々祈るばかりだったフローラは、居場所を失くしてしまった。
反論も無く粛々と離縁を受け入れ、フローラは王都から姿を消した。
その日を境に、エリオットの周囲では異変が起こり始める。
一方でフローラは旅路で一風変わった人々と出会い、祝福を知る。
――――――――――――――――――――
※2025.1.5追記 11月に本編完結した際に、完結の設定をし忘れておりまして、
今ごろなのですが完結に変更しました。すみません…!
近々後日談の更新を開始予定なので、その際にはまた解除となりますが、
本日付けで一端完結で登録させていただいております
※ファンタジー要素強め、やや群像劇寄り
たくさんの感想をありがとうございます。全てに返信は出来ておりませんが、大切に読ませていただいております!
巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!
あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!?
資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。
そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。
どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。
「私、ガンバる!」
だったら私は帰してもらえない?ダメ?
聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。
スローライフまでは到達しなかったよ……。
緩いざまああり。
注意
いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。
【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です
葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。
王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。
孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。
王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。
働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。
何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本
しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。
関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください
ご自由にお使いください。
イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました
完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています
オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。
◇◇◇◇◇◇◇
「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる