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第三章 ~ぶらり馬車の旅 死の大地・マータルス篇~
王の消失
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すっかりと夜も更け、書斎には羽根ペンをすべらせるかすかな音だけが、マグヌス王本人の耳に聞こえていた。
書き綴っているのは日記帳で、今は亡きアシュレイ王妃が懐妊した日から続けている習慣だった。
きょうの日付けのページには、こう書かれてある。
ついに王都が魔物によって蹂躙されてしまった。秘密戦隊からの情報によれば、〈異形の民〉の末裔が裏で糸を引いているらしい。とうとうこの日が来てしまったのかと、我が運命を呪ってしまう。
敵の目的は、邪悪なる暗黒の神の力を借りてこの国を滅ぼし、やがては世界を支配するつもりに違いない。
女神デア=リディア、そして初代マグヌス王よ。どうか我に打ち勝つ力を与えたまえ。
ペン先をガラス製のインク壺に浸したマグヌス王が、憂鬱な視線を本棚に向ける。しばらく考え込んでから手を休め、ゆっくりと椅子から下りて本棚に近づく。
そのなかから一冊の本を取り出した王は、奥に隠されていたスイッチを押した。
本棚が音もなく静かに横移動をして小部屋が現れる。
中央の台座には宝石が散りばめられた驕奢な長方形の宝箱がひとつ、厳かに置かれていた。
不安げな面持ちのマグヌス王が、階段の形をした踏み台に乗って宝箱にそっと触れる。
先祖代々伝わる王家の至宝。
こうして厳重に保管していたのだが──。
「……おや? 鍵が開いているぞよ?」
宝箱の中は、まさかの空っぽだった。
「ぞよ?!」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
突然の笑い声に振り返れば、漆黒のローブをまとったひとりの男が、いつの間にか小部屋の出入口に立っていた。
「おまえは……おまえが聖剣を盗んだぞよ!?」
「聖剣? なんのことだ? それよりもマグヌス王、ワシと一緒に来ていただこうか」
フードに覆われていて顔がよくわからないが、目の前の人物が〈異形の民〉であると、王家の遺伝子がそう教えてくれた。
「い、一緒になんて行かないぞよ! 誰かおらぬか!? 侵入者ぞよ! 悪者ぞよー‼」
自分を捕まえようとするソンドレの足もとをすり抜けたマグヌス王は、隠し部屋のスイッチを押して閉じ込めることに成功した──かに見えたが、不思議なことに、ソンドレも書斎に戻ってきていた。
「無駄だ、無駄だ。あきらめろマグヌス王。ワシから逃げられはせんぞ」
「ぞよよ……」
フードの影に隠れた顔が静かにゆがみ、不衛生に伸びた爪が恐怖に怯えるマグヌス王へと近づく。
*
「どうかなされましたか!?」
「国王陛下! ここを開けてください!」
扉を激しく叩く音とともに、ふたりの近衛兵の叫び声が通路に響きわたる。
だが、返事はない。お互いに目配せをした兵士たちは、息を合わせてから一斉に体当たりをして扉を破った。
「陛下! どこですか!? 陛下ッ!」
王の私室をくまなく探すも、誰の姿も見あたらなかった。代わりに絨毯の上には、血ぬられた小さな王冠が転がり落ちていた。
朝日が昇る前の早い時刻ではあるが、すべての重臣たちは謁見の間に集まっていた。
玉座に腰掛けているのはシャーロット王女。いや、服装と表情は、少女騎士団長のアシュリンだった。
「このような失態が隣国に知られれば、攻め込まれるやも知れんぞ」
「そもそも敵国の仕業ではないのか?」
それぞれがお互いに意見を交わすなかで、大臣のひとりがオルテガに問いかける。
「陛下がさらわれたのは、金銭目的なのでは? おい、身代金の要求はなかったのか?」
「いえ……それならば、置き手紙のひとつくらいは残していくでしょう。不覚にも、シャーロット殿下の寝室にも現れました。犯人は間違いなく〈異形の民〉の大神官ソンドレ」
そう言ってオルテガは、鋭い目つきを宰相のウスターシュに向ける。ウスターシュもそれに気づき、人知れずうなずきを返す。こうして無言のまま、王国騎士団の出撃許可は承諾された。
「待て、オルテガ。王都はもう安全なのか?」
そんなふたりのやり取りに疎外感を感じた王女は、苛立ちを押えつつも強い口調で訊いた。騎士団の装束を身にまとっているため、言葉遣いは王女らしからぬものではあったが、家臣たちは誰も気にしなかった。
「はい。下水道内にも団員を配備しておりますので、安心してよろしいかと。殿下、ソンドレはおそらく〝死の大地〟に潜んでいるはずです」
「死の大地……!」
重臣たちが一斉に驚きざわめく。
そこは、言葉に出すことすらためらわれる禁忌の領域。現代に語り継がれる神々の戦場だ。
「〈鋼鉄の鷲〉の名にかけて、必ずや国王陛下の救出を成功させてみせますので、どうか殿下は城内にとどまり吉報をお待ちになっていてください」
オルテガは一礼し、颯爽とマントをひるがえしてシャーロット王女に背を向ける。
「おい、待てオルテガ!」
思わず玉座から立ち上がって引き留めるも、耳を貸さずに王国騎士団長は去っていった。
「……クッ!」
「殿下」
怒りが収まらないシャーロット王女にウスターシュが静かに歩み寄り、穏やかな口調で話しかける。
「彼を信頼して我々は待ちましょう。ささ、今はどうかお休みになってください。万全の体調で国王陛下を出迎えようではありませんか」
「……そうだな」
不満そうな表情ながらも、進言を受け入れたうら若き王女はおとなしく着席をし、続けて家臣たちに命じる。
「皆も帰って身体を休めてくれ。のちほど、改めて策を練り直すとしよう」
「はっ! リディアスに栄光あれ!」
その場の全員が声高らかに叫び、シャーロット王女に向き直って丁寧にお辞儀をする。
こうして緊急会議は、日の出に終わった。
書き綴っているのは日記帳で、今は亡きアシュレイ王妃が懐妊した日から続けている習慣だった。
きょうの日付けのページには、こう書かれてある。
ついに王都が魔物によって蹂躙されてしまった。秘密戦隊からの情報によれば、〈異形の民〉の末裔が裏で糸を引いているらしい。とうとうこの日が来てしまったのかと、我が運命を呪ってしまう。
敵の目的は、邪悪なる暗黒の神の力を借りてこの国を滅ぼし、やがては世界を支配するつもりに違いない。
女神デア=リディア、そして初代マグヌス王よ。どうか我に打ち勝つ力を与えたまえ。
ペン先をガラス製のインク壺に浸したマグヌス王が、憂鬱な視線を本棚に向ける。しばらく考え込んでから手を休め、ゆっくりと椅子から下りて本棚に近づく。
そのなかから一冊の本を取り出した王は、奥に隠されていたスイッチを押した。
本棚が音もなく静かに横移動をして小部屋が現れる。
中央の台座には宝石が散りばめられた驕奢な長方形の宝箱がひとつ、厳かに置かれていた。
不安げな面持ちのマグヌス王が、階段の形をした踏み台に乗って宝箱にそっと触れる。
先祖代々伝わる王家の至宝。
こうして厳重に保管していたのだが──。
「……おや? 鍵が開いているぞよ?」
宝箱の中は、まさかの空っぽだった。
「ぞよ?!」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
突然の笑い声に振り返れば、漆黒のローブをまとったひとりの男が、いつの間にか小部屋の出入口に立っていた。
「おまえは……おまえが聖剣を盗んだぞよ!?」
「聖剣? なんのことだ? それよりもマグヌス王、ワシと一緒に来ていただこうか」
フードに覆われていて顔がよくわからないが、目の前の人物が〈異形の民〉であると、王家の遺伝子がそう教えてくれた。
「い、一緒になんて行かないぞよ! 誰かおらぬか!? 侵入者ぞよ! 悪者ぞよー‼」
自分を捕まえようとするソンドレの足もとをすり抜けたマグヌス王は、隠し部屋のスイッチを押して閉じ込めることに成功した──かに見えたが、不思議なことに、ソンドレも書斎に戻ってきていた。
「無駄だ、無駄だ。あきらめろマグヌス王。ワシから逃げられはせんぞ」
「ぞよよ……」
フードの影に隠れた顔が静かにゆがみ、不衛生に伸びた爪が恐怖に怯えるマグヌス王へと近づく。
*
「どうかなされましたか!?」
「国王陛下! ここを開けてください!」
扉を激しく叩く音とともに、ふたりの近衛兵の叫び声が通路に響きわたる。
だが、返事はない。お互いに目配せをした兵士たちは、息を合わせてから一斉に体当たりをして扉を破った。
「陛下! どこですか!? 陛下ッ!」
王の私室をくまなく探すも、誰の姿も見あたらなかった。代わりに絨毯の上には、血ぬられた小さな王冠が転がり落ちていた。
朝日が昇る前の早い時刻ではあるが、すべての重臣たちは謁見の間に集まっていた。
玉座に腰掛けているのはシャーロット王女。いや、服装と表情は、少女騎士団長のアシュリンだった。
「このような失態が隣国に知られれば、攻め込まれるやも知れんぞ」
「そもそも敵国の仕業ではないのか?」
それぞれがお互いに意見を交わすなかで、大臣のひとりがオルテガに問いかける。
「陛下がさらわれたのは、金銭目的なのでは? おい、身代金の要求はなかったのか?」
「いえ……それならば、置き手紙のひとつくらいは残していくでしょう。不覚にも、シャーロット殿下の寝室にも現れました。犯人は間違いなく〈異形の民〉の大神官ソンドレ」
そう言ってオルテガは、鋭い目つきを宰相のウスターシュに向ける。ウスターシュもそれに気づき、人知れずうなずきを返す。こうして無言のまま、王国騎士団の出撃許可は承諾された。
「待て、オルテガ。王都はもう安全なのか?」
そんなふたりのやり取りに疎外感を感じた王女は、苛立ちを押えつつも強い口調で訊いた。騎士団の装束を身にまとっているため、言葉遣いは王女らしからぬものではあったが、家臣たちは誰も気にしなかった。
「はい。下水道内にも団員を配備しておりますので、安心してよろしいかと。殿下、ソンドレはおそらく〝死の大地〟に潜んでいるはずです」
「死の大地……!」
重臣たちが一斉に驚きざわめく。
そこは、言葉に出すことすらためらわれる禁忌の領域。現代に語り継がれる神々の戦場だ。
「〈鋼鉄の鷲〉の名にかけて、必ずや国王陛下の救出を成功させてみせますので、どうか殿下は城内にとどまり吉報をお待ちになっていてください」
オルテガは一礼し、颯爽とマントをひるがえしてシャーロット王女に背を向ける。
「おい、待てオルテガ!」
思わず玉座から立ち上がって引き留めるも、耳を貸さずに王国騎士団長は去っていった。
「……クッ!」
「殿下」
怒りが収まらないシャーロット王女にウスターシュが静かに歩み寄り、穏やかな口調で話しかける。
「彼を信頼して我々は待ちましょう。ささ、今はどうかお休みになってください。万全の体調で国王陛下を出迎えようではありませんか」
「……そうだな」
不満そうな表情ながらも、進言を受け入れたうら若き王女はおとなしく着席をし、続けて家臣たちに命じる。
「皆も帰って身体を休めてくれ。のちほど、改めて策を練り直すとしよう」
「はっ! リディアスに栄光あれ!」
その場の全員が声高らかに叫び、シャーロット王女に向き直って丁寧にお辞儀をする。
こうして緊急会議は、日の出に終わった。
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