プリンセスソードサーガ

黒巻雷鳴

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第三章 ~ぶらり馬車の旅 死の大地・マータルス篇~

真夜中・ハル

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 畳の上に置かれたアロマランプの穏やかな灯火が穏やかに揺らめき、白蓮の香りがあたりに漂う。六畳間ほどの広さがあるハルの寝室は、待機部屋と同じく和風の様式で統一されていた。もちろん、そこにあるのはベッドではなくて一組の敷き布団。待機部屋や寝室同様、この布団も故郷を懐かしんだ彼女の願いで特別に作られていた。
 暖かなマザーグースの羽毛布団にくるまれたハルは、うつぶせ寝で読書をしていた。ページをめくる手を止めると、深いため息をひとつついてまぶたと文庫本を同時に閉じる。帯には〝異世界からやって来たのは美少女勇者さま!? ちょっとHな冒険ラブコメディ〟と大きく書かれていた。
 それは、シャーロット王女の愛読書──少女勇者の冒険小説だった。
 不快感からなのか、それとも困惑の色なのか。眉値を寄せた表情のハルは、冷たい視線を文庫本に向けてから畳の上に放るようにして置き、そのまま顔を枕に埋める。
 やがて、寝室に静寂が訪れる。
 目覚まし時計の規則的な秒針の音が、ほんのわずかだけ室内に響いていた。
 すると、しばらく動きがなかったハルの背中が掛け布団の中で小刻みに揺れはじめたかと思えば、こもった笑い声が聞こえてくる。
 多少の脚色がしてあるものの、物語の内容は大筋合っていた。きっと作者は、世界各地に分散された勇者たちの足取りを丁寧に追って拾い集めたのであろう。だがしかし、主人公の描写が実際とかけ離れ過ぎている。合っているのは性別と年齢、それに丈の短いプリーツスカートくらいなものだ。
 それと、仲間たちとの対人関係もかなり間違っている。
 お互いにそれぞれ仲間同士で好意は持っていたが、それは恋愛感情では決してなく、良き友人としてのものであり恋愛トラブルに発展したことなど一度もない。もっとも、ひとりだけ例外はあるのだが──。

「もう何年になるんだろう、懐かしいわね……たしか、あそこにあったはず」

 ハルは、遠い記憶に思いを馳せて独り言をつぶやきながら、布団から起き上がる。そして、押し入れを開けて色々と小箱や籠を取り出して広げはじめた。
 真夜中に物音をたてるのは迷惑行為なので、極力静かにそれを何度か繰り返すと、その籠のひとつから、綺麗に折りたたまれた学生服を見つけた。
 ところどころ傷んでいるのは、虫食いなどではない。
 それは、歴戦のあかし。数々の強敵モンスターに勝利した勲章だった。

「捨てられないのよね、これだけはどうしても。この制服……まだ着れるかしら?」

 おもむろに寝間着を脱いで下着姿になったハルは、白いシャツにリボンタイ、プリーツスカートや紺色のソックスをこなれた様子で次々と身につけてゆく。
 ものの数十秒で、制服姿へと早変わりした。

「んー、ちょっとだけ……お腹まわりがキツいかもっ……」

 壁に立て掛けてある姿見に映る自分は、あの頃と比べれば確実に歳を取り、すっかり雰囲気もガラッと変わってしまっていた。こちらの世界で暮らした歳月がもとの世界よりも長くなっていることを、嫌でも改めて実感させられる。
 ハルは鏡に映る自分に向けて、どこかさびしげに微笑んでみせた。


 さかのぼること、今から十九年前。通学路の帰宅途中、女神デア=リディアに導かれたハルは、日本からこの世界にひとり召喚されてやって来た。話を聞けば、どうやら自分は伝説の勇者の生まれ変わりで、この世界を救える特別な力を持っていると教えられたハルは、不本意ではあったが、冒険の旅へ出る決意をする。
 暗黒の神々を倒すため、ハルは広大な異世界を三年以上の長旅をし、数多の凶悪な魔物を仲間たちとともに退治していった。そしてついに、暗黒の神々を闇の世界へと退けたのだが、役目を終えたあとも、ハルはこの世界に留まる道を選んだ。


 今でも日本へ帰りたいとは思わない。
 ハルにはまだ、やるべきことが残っていたからだ。
 暗い影を顔に落としたハルが、プリーツスカートのポケットから一枚の金貨を取り出す。それは、もうこの世界には存在しない国の記念硬貨。ハルの大切な思い出の品でもある。

「……もうすぐだから……あともう少しで助けてあげられるから、待っていてねエオリア」

 そうつぶやくと、ハルはふたたび瞼を閉じて金貨に刻印された少女の横顔に接吻くちづけをした。
 エオリア・ルイズ・スタイナーは亡国の姫君で、暗黒神討伐の仲間でもあり、そしてハルとは唯一無二の親友でもあった。
 だが、彼女は暗黒神との最終決戦で自ら犠牲となり、異界の門──アストラルゲートへと飛ばされてしまった。
 ハルがこの世界に残った理由。それは、異界の門よりエオリアを救出するためである。
 方法は知っている。そして、その条件もすべて。
 あとは、機会に恵まれるだけ。そのためにずっとハルは、長い歳月のあいだ待ち続けていたのだ。
 もう少し……ほんのもう少しの辛抱で、エオリアにまた逢える。あの笑顔をまた見れる──。
 胸の高鳴りが自分でもわかる。
 待ちきれないと、金貨を掴む指先がわずかに震えだす。

「あははっ!」

 思わず笑い声が漏れた。
 想い人との再会は、そう遠くはないだろう。
 ハルは確信していた。金貨をポケットにしまいながら再会の言葉を空想し、鏡の中の自分にもう一度だけ微笑んだ。

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