42 / 68
第三章 ~ぶらり馬車の旅 死の大地・マータルス篇~
真夜中・ドロシー
しおりを挟む
どこまでも果てしなく続く深緑の森が、燦々と太陽光を浴びて地上に木漏れ日を落とす。まるで歌っているかのように、風に葉をざわめかせて揺れる木々。
ここは、ドロシーの生まれ故郷であるアルボスの大森林。そこに住む人々の誰もが、精霊魔法を自由自在に使いこなして生活にも多用していた。
だが、ドロシーは初歩の精霊魔法すら操ることが出来ない。精霊たちに嫌われているのか、あるいは才能がまったく無いのか──原因はいまだに不明のままだ。
気がつけば、場面は林道へと変わっていた。
きっとこれは夢なのだろう。
そう思いながらドロシーの意識は、通いなれた景色を前へ前へと映し続けていた。このまま進めば、自分たちの住む街がある。けれども視界は林道から大きく逸れて、大森林の奥地へと突き進んでいく。
どこへ向かっているのか、ドロシー自身にもよくわからない。ただ確信を持って言えるのは、不安や恐怖などの負の感情はまったく感じず、むしろ、心がときめいてワクワクしているということだ。
どれほど歩いたのか、数々の獣道をさらに避けて迷うことなく進んだ先には、大木の頭上高くに築かれたいくつかの木造家屋──エルフの集落がそこにあった。
「やあ、ドロシー。今夜は激しい雨になるはずだから、早目に帰るんじゃよ」
切り株に腰掛ける老エルフの男が、趣味の横笛を練習しながら──彼の演奏はいつも奇妙な音色ばかりで、それは同族の仲間たちも同意見だった──優しく笑いかけて教えてくれた。
「えー? こんなに良いお天気なのに、雨が降るの? 信じられないなぁ」
自分の話し声がとても幼く聞こえる。この夢は、幼少の頃の記憶なのだろうか。
「やっほー! ドロシー!」
背後から大声で名前を呼ばれたので振り返ってみると、十歳くらいに見えるエルフの少女が、美しい亜麻色の長い髪を左右に揺らして自分に駆け寄ってくるところだった。
「えへへへ。きょうは、風に乗って樹冠まで昇れるとっておきの精霊魔法を教えてあげるわね。さ、こっちにおいでよ!」
愛らしいえくぼをつくって見せたエルフの少女が、ドロシーの小さな手を引っ張って走りだす。
不思議なことに、ドロシーはこのエルフの少女についての記憶はまるで無い。こんなにも親しげなのに、なぜ思い出せないのだろうか。ふとそう考えたが、夢のなかの出来事だからか、そんなに気にはならなかった。
そして場面は、ふたたび変わる。
広大なブナの森が、緑色に輝く絨毯となって眼下に広がって見えている。どうやらふたりの少女は、無事に木の上までたどり着けたらしい。
「ね? とっても綺麗でしょ。わたしたちの子供や孫たちにも同じ景色が見れるように、いつまでもこの森を大切に守らなくちゃ。それには精霊魔法だけじゃなくって、苦手な勉強もいろいろと頑張らなくっちゃいけないんだけどさ…………えっ? あれって……」
はつらつとした笑顔だったエルフの少女が、急に眉根を寄せて表情を曇らせる。視線は地上へと向けられていた。
ドロシーも顔を地上へと向ける。人間の視力では服装まではわからなかったが、エルフ族とは違う人影が複数名歩いているのがたしかに見えた。
しばらくすると、エルフたちとなにやら揉めているのか、怒鳴り声がかすかに下から聞こえた。
「どうして集落に軍人がいるのよ!? それに、あんな軍服見たことない……どこの国なのかしら……嫌な予感がする」
不安を打ち消そうとしているのか、並んですわる少女がドロシーの手を強く握り締めた。
場面はまたもや変わるも、今度はあたり一面が火の海だった。
燃えている。
なにもかも。
ブナの森が、エルフの集落が、まるで焚き火にくべられたように激しく燃えさかり、紅蓮の炎に呑まれて染まってゆく。
ドロシーは走っていた。
そこにエルフの少女の姿はない。
不意に誰かが立ち塞がって退路を断つ。
小さな身体は地面を転がり、別の誰かの足に当たって止まった。
「こいつは……人間の子供じゃないか! おい、人間までいるだなんて、おれは聞いてないぞ!」
興奮する男の声が間近で響く。
ドロシーの小さな身体は、ピクリとも動かない。軽い脳震盪でも起こしているのだろう。
「人間の…………たしかに想定外ではありますが、許容範囲内でなんの問題もありません。ですから、そんなに怒らないで冷静になってください。そもそも、わたくしだって知らなかったのですから」
次いで聞こえたのは、やけに落ち着いた少女の声。
まわりが火の海なのにどうしてそれほど冷静でいられるのか、ドロシーには不思議だった。
「クソッ! おまえはいつだって冷静過ぎるんだよ! 大丈夫かい、お嬢ちゃん? 悪いが、全部見なかった……こと……に……しても……ら……う…………」
自分を抱き起こそうとする男の声が、徐々に意識から遠退き消えていく──。
夢は、ここで終わろうとしていた。
最後に見た男の左腕には、麻帆布の腕章が付けられていた。
その文字に見覚えがある。
最近見かけたからだ。
けれども、夢は夢。
ドロシーが目覚めたときには、夢の内容をほとんど忘れてしまっていた。
ここは、ドロシーの生まれ故郷であるアルボスの大森林。そこに住む人々の誰もが、精霊魔法を自由自在に使いこなして生活にも多用していた。
だが、ドロシーは初歩の精霊魔法すら操ることが出来ない。精霊たちに嫌われているのか、あるいは才能がまったく無いのか──原因はいまだに不明のままだ。
気がつけば、場面は林道へと変わっていた。
きっとこれは夢なのだろう。
そう思いながらドロシーの意識は、通いなれた景色を前へ前へと映し続けていた。このまま進めば、自分たちの住む街がある。けれども視界は林道から大きく逸れて、大森林の奥地へと突き進んでいく。
どこへ向かっているのか、ドロシー自身にもよくわからない。ただ確信を持って言えるのは、不安や恐怖などの負の感情はまったく感じず、むしろ、心がときめいてワクワクしているということだ。
どれほど歩いたのか、数々の獣道をさらに避けて迷うことなく進んだ先には、大木の頭上高くに築かれたいくつかの木造家屋──エルフの集落がそこにあった。
「やあ、ドロシー。今夜は激しい雨になるはずだから、早目に帰るんじゃよ」
切り株に腰掛ける老エルフの男が、趣味の横笛を練習しながら──彼の演奏はいつも奇妙な音色ばかりで、それは同族の仲間たちも同意見だった──優しく笑いかけて教えてくれた。
「えー? こんなに良いお天気なのに、雨が降るの? 信じられないなぁ」
自分の話し声がとても幼く聞こえる。この夢は、幼少の頃の記憶なのだろうか。
「やっほー! ドロシー!」
背後から大声で名前を呼ばれたので振り返ってみると、十歳くらいに見えるエルフの少女が、美しい亜麻色の長い髪を左右に揺らして自分に駆け寄ってくるところだった。
「えへへへ。きょうは、風に乗って樹冠まで昇れるとっておきの精霊魔法を教えてあげるわね。さ、こっちにおいでよ!」
愛らしいえくぼをつくって見せたエルフの少女が、ドロシーの小さな手を引っ張って走りだす。
不思議なことに、ドロシーはこのエルフの少女についての記憶はまるで無い。こんなにも親しげなのに、なぜ思い出せないのだろうか。ふとそう考えたが、夢のなかの出来事だからか、そんなに気にはならなかった。
そして場面は、ふたたび変わる。
広大なブナの森が、緑色に輝く絨毯となって眼下に広がって見えている。どうやらふたりの少女は、無事に木の上までたどり着けたらしい。
「ね? とっても綺麗でしょ。わたしたちの子供や孫たちにも同じ景色が見れるように、いつまでもこの森を大切に守らなくちゃ。それには精霊魔法だけじゃなくって、苦手な勉強もいろいろと頑張らなくっちゃいけないんだけどさ…………えっ? あれって……」
はつらつとした笑顔だったエルフの少女が、急に眉根を寄せて表情を曇らせる。視線は地上へと向けられていた。
ドロシーも顔を地上へと向ける。人間の視力では服装まではわからなかったが、エルフ族とは違う人影が複数名歩いているのがたしかに見えた。
しばらくすると、エルフたちとなにやら揉めているのか、怒鳴り声がかすかに下から聞こえた。
「どうして集落に軍人がいるのよ!? それに、あんな軍服見たことない……どこの国なのかしら……嫌な予感がする」
不安を打ち消そうとしているのか、並んですわる少女がドロシーの手を強く握り締めた。
場面はまたもや変わるも、今度はあたり一面が火の海だった。
燃えている。
なにもかも。
ブナの森が、エルフの集落が、まるで焚き火にくべられたように激しく燃えさかり、紅蓮の炎に呑まれて染まってゆく。
ドロシーは走っていた。
そこにエルフの少女の姿はない。
不意に誰かが立ち塞がって退路を断つ。
小さな身体は地面を転がり、別の誰かの足に当たって止まった。
「こいつは……人間の子供じゃないか! おい、人間までいるだなんて、おれは聞いてないぞ!」
興奮する男の声が間近で響く。
ドロシーの小さな身体は、ピクリとも動かない。軽い脳震盪でも起こしているのだろう。
「人間の…………たしかに想定外ではありますが、許容範囲内でなんの問題もありません。ですから、そんなに怒らないで冷静になってください。そもそも、わたくしだって知らなかったのですから」
次いで聞こえたのは、やけに落ち着いた少女の声。
まわりが火の海なのにどうしてそれほど冷静でいられるのか、ドロシーには不思議だった。
「クソッ! おまえはいつだって冷静過ぎるんだよ! 大丈夫かい、お嬢ちゃん? 悪いが、全部見なかった……こと……に……しても……ら……う…………」
自分を抱き起こそうとする男の声が、徐々に意識から遠退き消えていく──。
夢は、ここで終わろうとしていた。
最後に見た男の左腕には、麻帆布の腕章が付けられていた。
その文字に見覚えがある。
最近見かけたからだ。
けれども、夢は夢。
ドロシーが目覚めたときには、夢の内容をほとんど忘れてしまっていた。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる