36 / 68
第二章 ~ぶらり馬車の旅 リディアス国・王都篇~
騎士団宿舎へ急げ!
しおりを挟む
城郭庭園は国名に冠する女神デア=リディアの住む天界を再現したもので、豪華な噴水や様々な種類の草花を有し、その美しさは世界屈指を誇っていた。
その一画、薔薇園にある迷路のような緑の小道を、アリッサムの手を引いたリオンが駆け抜けていく。本来ならば小姓や使用人が気軽に通ってはいけない場所であるのだが、一刻を争う一大事に、リオンは〝鞭打ちの刑〟も覚悟の上で、騎士団宿舎への近道として侵入した。
「えっ……ねえ、リオンくん!? こんなことをして見つかったら、わたしたち……」
世界に誇れるほどの美しい碧眼が、不安と怯えから涙で濡れる。
「大丈夫だって! おれが全部責任をとるから!」
そんな権限も器量もない少年従者が強気でそう言えるのは使命感だけではなく、生まれ持っての性格が大きかった。良く言えば〝正義感のあふれる情熱家〟なのだが、悪く言えばただの〝熱血バカ〟である。
ゴチン!
「ぞよ~!?」
コロコロコロ……バサッ!
「あれ? 今なにかに当たったような……」
「気のせいだって! あそこだ、アリッサム!」
王国騎士団の宿舎は、城壁や居城と同じロマネスク様式の建造物なのだが、より簡単なたたずまいからは武人らしい質実剛健な趣を感じることができた。
騎士団の紋章のタペストリー(盾の上に小さな兜、そのうしろにニ本の剣が納められている図案)が両脇に掲げられた扉を押し開けたリオンは、そのまま騎士たちの部屋があるニ階へと走る。
「今の時間なら、オルテガ様が〈憩いの間〉でみんなとくつろいでいるはずだから、あの話をもう一度してくれよ」
部屋に近づくにつれ、徐々に歩調と息を整えはじめた汗だくのリオンが、うしろを歩くアリッサムにそううながす。息の上がったアリッサムは、うなずくことでしか返事ができなかった。
ニ十畳ほどの広さがある〈憩いの間〉には扉は無く、気軽に誰もが出入りできるようになっていた。もっとも、それは騎士に対してであり、本来ならば小姓の身分であるリオンがひとりで踏み込める場所ではない。
「失礼します!」
大きな声で挨拶とお辞儀をしたリオンの背中に倣い、アリッサムも続けざまにお辞儀をする。
「おっ、どうしたリオン?……おや? 見かけない顔のメイドだな。まさか、おまえの彼女か?」
長机の前で腰掛けていた騎士はひとりだけだった。
男の名は、ベン・ロイド。
無精髭の精悍な顔立ちでかなりの強面ではあるが、面倒見のいい兄貴分として年下の団員や男性使用人たちからも好かれていた。
「えっ? ち、違いますよ! アリッサムは、ただの友だちで……その……あっ! じゃなくって、大変なんですよロイドさま!」
リオンは、アリッサムにも中へ入るように目で合図をし、ロイドの前へとそろって歩み寄る。
「こんなエロい格好のお友だちがいるとは、おまえとの付き合い方を考え直さないといかんなぁ。ガッハッハッハッハ!」
ロイドは大声で笑うと、卓上の皿に盛られた葡萄を一房摘み上げ、それを豪快に口へと運んだ。
「さあ、アリッサム。あの話をロイドさまにもするんだ」
「あ、うん。あのう……ですね、そのう……下水道に魔物がうじゃうじゃ棲んでますです」
「ブーーーーーッ!」
間近にいたリオンの顔に、口から噴き出された葡萄の皮や種が散乱する。
真横に立っていたアリッサムは、唇を一文字に変えて上半身を瞬間的に仰け反らせたので、無事にかわすことが出来た。
「ま、魔物だぁ~? おい、リオン。それって本当なのかよ?」
「……いえ、おれは見てないけど、シャーロット姫からの伝言だそうです」
びしょ濡れになった顔をシャツの袖で拭いながら、リオンが答える。
「なんだと? シャーロット姫の……」
表情を武人らしく落ち着いたものに変えたロイドは、鋭い視線をアリッサムに移す。見つめられたアリッサムは、頬を紅潮させて額から汗も垂らせた。
シャーロット王女が騎士団を結成して旅に出たことは、オルテガから訊かされて知っていた。それは話の種ではなく、右腕として信頼を寄せているロイドにも共有すべき情報だからである。
「おまえさん……〈天使の牙〉か?」
「は、はい! 専属使用人のアリッサム・サピアともうします!」
「そうか。で、騎士団長殿は、今現在どこにいらっしゃるんだ?」
凄味をさらに際立たせた目つきでロイドはアリッサムを問い質す。殺されると錯覚さえしてしまうほどの眼光の鋭さに耐えきれなくなったアリッサムは、こらえきれずに涙をこぼした。
「ちょっと待ってくださいよ、ロイドさま! アリッサムは罪人じゃないんですよ!? そんなに睨みつけたら、かわいそうじゃないですか!」
「ああん? 誰も睨んでなんか……お、おい! なんで泣いてるんだよ、お嬢ちゃん!?」
「ううっ……ひっぐ……ううっ……あう……」
号泣寸前の少女をなんとかなだめようと屈強な騎士は必死になって考えるが、良い術がまるで思い浮かばず、仕方がないので代わりに頭を掻いた。
と、まさにそのとき──。
激しく打ち鳴らされる鐘の音が、石造の壁と小窓を越えてわずかに聴こえてくる。
それは、火事や災害などの非常事態を知らせる合図でもあり、敵軍の襲来を伝える手段でもあった。
ロイドとリオンがハッとした表情でお互いの顔を見る。ロイドが先に〈憩いの間〉を飛び出していき、続けてリオンは泣き続けるアリッサムの手を強く引っ張っる。
「おれたちも行こう!」
そして、返事を待たずに走りだした。
その一画、薔薇園にある迷路のような緑の小道を、アリッサムの手を引いたリオンが駆け抜けていく。本来ならば小姓や使用人が気軽に通ってはいけない場所であるのだが、一刻を争う一大事に、リオンは〝鞭打ちの刑〟も覚悟の上で、騎士団宿舎への近道として侵入した。
「えっ……ねえ、リオンくん!? こんなことをして見つかったら、わたしたち……」
世界に誇れるほどの美しい碧眼が、不安と怯えから涙で濡れる。
「大丈夫だって! おれが全部責任をとるから!」
そんな権限も器量もない少年従者が強気でそう言えるのは使命感だけではなく、生まれ持っての性格が大きかった。良く言えば〝正義感のあふれる情熱家〟なのだが、悪く言えばただの〝熱血バカ〟である。
ゴチン!
「ぞよ~!?」
コロコロコロ……バサッ!
「あれ? 今なにかに当たったような……」
「気のせいだって! あそこだ、アリッサム!」
王国騎士団の宿舎は、城壁や居城と同じロマネスク様式の建造物なのだが、より簡単なたたずまいからは武人らしい質実剛健な趣を感じることができた。
騎士団の紋章のタペストリー(盾の上に小さな兜、そのうしろにニ本の剣が納められている図案)が両脇に掲げられた扉を押し開けたリオンは、そのまま騎士たちの部屋があるニ階へと走る。
「今の時間なら、オルテガ様が〈憩いの間〉でみんなとくつろいでいるはずだから、あの話をもう一度してくれよ」
部屋に近づくにつれ、徐々に歩調と息を整えはじめた汗だくのリオンが、うしろを歩くアリッサムにそううながす。息の上がったアリッサムは、うなずくことでしか返事ができなかった。
ニ十畳ほどの広さがある〈憩いの間〉には扉は無く、気軽に誰もが出入りできるようになっていた。もっとも、それは騎士に対してであり、本来ならば小姓の身分であるリオンがひとりで踏み込める場所ではない。
「失礼します!」
大きな声で挨拶とお辞儀をしたリオンの背中に倣い、アリッサムも続けざまにお辞儀をする。
「おっ、どうしたリオン?……おや? 見かけない顔のメイドだな。まさか、おまえの彼女か?」
長机の前で腰掛けていた騎士はひとりだけだった。
男の名は、ベン・ロイド。
無精髭の精悍な顔立ちでかなりの強面ではあるが、面倒見のいい兄貴分として年下の団員や男性使用人たちからも好かれていた。
「えっ? ち、違いますよ! アリッサムは、ただの友だちで……その……あっ! じゃなくって、大変なんですよロイドさま!」
リオンは、アリッサムにも中へ入るように目で合図をし、ロイドの前へとそろって歩み寄る。
「こんなエロい格好のお友だちがいるとは、おまえとの付き合い方を考え直さないといかんなぁ。ガッハッハッハッハ!」
ロイドは大声で笑うと、卓上の皿に盛られた葡萄を一房摘み上げ、それを豪快に口へと運んだ。
「さあ、アリッサム。あの話をロイドさまにもするんだ」
「あ、うん。あのう……ですね、そのう……下水道に魔物がうじゃうじゃ棲んでますです」
「ブーーーーーッ!」
間近にいたリオンの顔に、口から噴き出された葡萄の皮や種が散乱する。
真横に立っていたアリッサムは、唇を一文字に変えて上半身を瞬間的に仰け反らせたので、無事にかわすことが出来た。
「ま、魔物だぁ~? おい、リオン。それって本当なのかよ?」
「……いえ、おれは見てないけど、シャーロット姫からの伝言だそうです」
びしょ濡れになった顔をシャツの袖で拭いながら、リオンが答える。
「なんだと? シャーロット姫の……」
表情を武人らしく落ち着いたものに変えたロイドは、鋭い視線をアリッサムに移す。見つめられたアリッサムは、頬を紅潮させて額から汗も垂らせた。
シャーロット王女が騎士団を結成して旅に出たことは、オルテガから訊かされて知っていた。それは話の種ではなく、右腕として信頼を寄せているロイドにも共有すべき情報だからである。
「おまえさん……〈天使の牙〉か?」
「は、はい! 専属使用人のアリッサム・サピアともうします!」
「そうか。で、騎士団長殿は、今現在どこにいらっしゃるんだ?」
凄味をさらに際立たせた目つきでロイドはアリッサムを問い質す。殺されると錯覚さえしてしまうほどの眼光の鋭さに耐えきれなくなったアリッサムは、こらえきれずに涙をこぼした。
「ちょっと待ってくださいよ、ロイドさま! アリッサムは罪人じゃないんですよ!? そんなに睨みつけたら、かわいそうじゃないですか!」
「ああん? 誰も睨んでなんか……お、おい! なんで泣いてるんだよ、お嬢ちゃん!?」
「ううっ……ひっぐ……ううっ……あう……」
号泣寸前の少女をなんとかなだめようと屈強な騎士は必死になって考えるが、良い術がまるで思い浮かばず、仕方がないので代わりに頭を掻いた。
と、まさにそのとき──。
激しく打ち鳴らされる鐘の音が、石造の壁と小窓を越えてわずかに聴こえてくる。
それは、火事や災害などの非常事態を知らせる合図でもあり、敵軍の襲来を伝える手段でもあった。
ロイドとリオンがハッとした表情でお互いの顔を見る。ロイドが先に〈憩いの間〉を飛び出していき、続けてリオンは泣き続けるアリッサムの手を強く引っ張っる。
「おれたちも行こう!」
そして、返事を待たずに走りだした。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は大好きな絵を描いていたら大変な事になった件について!
naturalsoft
ファンタジー
『※タイトル変更するかも知れません』
シオン・バーニングハート公爵令嬢は、婚約破棄され辺境へと追放される。
そして失意の中、悲壮感漂う雰囲気で馬車で向かって─
「うふふ、計画通りですわ♪」
いなかった。
これは悪役令嬢として目覚めた転生少女が無駄に能天気で、好きな絵を描いていたら周囲がとんでもない事になっていったファンタジー(コメディ)小説である!
最初は幼少期から始まります。婚約破棄は後からの話になります。
積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
レベル上限5の解体士 解体しかできない役立たずだったけど5レベルになったら世界が変わりました
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
前世で不慮な事故で死んだ僕、今の名はティル
異世界に転生できたのはいいけど、チートは持っていなかったから大変だった
孤児として孤児院で育った僕は育ての親のシスター、エレステナさんに何かできないかといつも思っていた
そう思っていたある日、いつも働いていた冒険者ギルドの解体室で魔物の解体をしていると、まだ死んでいない魔物が混ざっていた
その魔物を解体して絶命させると5レベルとなり上限に達したんだ。普通の人は上限が99と言われているのに僕は5おかしな話だ。
5レベルになったら世界が変わりました
妹はわたくしの物を何でも欲しがる。何でも、わたくしの全てを……そうして妹の元に残るモノはさて、なんでしょう?
ラララキヲ
ファンタジー
姉と下に2歳離れた妹が居る侯爵家。
両親は可愛く生まれた妹だけを愛し、可愛い妹の為に何でもした。
妹が嫌がることを排除し、妹の好きなものだけを周りに置いた。
その為に『お城のような別邸』を作り、妹はその中でお姫様となった。
姉はそのお城には入れない。
本邸で使用人たちに育てられた姉は『次期侯爵家当主』として恥ずかしくないように育った。
しかしそれをお城の窓から妹は見ていて不満を抱く。
妹は騒いだ。
「お姉さまズルい!!」
そう言って姉の着ていたドレスや宝石を奪う。
しかし…………
末娘のお願いがこのままでは叶えられないと気付いた母親はやっと重い腰を上げた。愛する末娘の為に母親は無い頭を振り絞って素晴らしい方法を見つけた。
それは『悪魔召喚』
悪魔に願い、
妹は『姉の全てを手に入れる』……──
※作中は[姉視点]です。
※一話が短くブツブツ進みます
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾もあるかも。
◇なろうにも上げました。
6畳間のお姫さま
黒巻雷鳴
ホラー
そのお姫さまの世界は、6畳間です。6畳間のお部屋が、お姫さまのすべてでした。けれども、今日はなんだか外の様子がおかしいので、お姫さまはお部屋の外へ出てみることにしました。
※無断転載禁止
公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
実は、公爵家の隠し子だったルネリア・ラーデインは困惑していた。
なぜなら、ラーデイン公爵家の人々から溺愛されているからである。
普通に考えて、妾の子は疎まれる存在であるはずだ。それなのに、公爵家の人々は、ルネリアを受け入れて愛してくれている。
それに、彼女は疑問符を浮かべるしかなかった。一体、どうして彼らは自分を溺愛しているのか。もしかして、何か裏があるのではないだろうか。
そう思ったルネリアは、ラーデイン公爵家の人々のことを調べることにした。そこで、彼女は衝撃の真実を知ることになる。
10歳で記憶喪失になったけど、チート従魔たちと異世界ライフを楽しみます(リメイク版)
犬社護
ファンタジー
10歳の咲耶(さや)は家族とのキャンプ旅行で就寝中、豪雨の影響で発生した土石流に巻き込まれてしまう。
意識が浮上して目覚めると、そこは森の中。
彼女は10歳の見知らぬ少女となっており、その子の記憶も喪失していたことで、自分が異世界に転生していることにも気づかず、何故深い森の中にいるのかもわからないまま途方に暮れてしまう。
そんな状況の中、森で知り合った冒険者ベイツと霊鳥ルウリと出会ったことで、彼女は徐々に自分の置かれている状況を把握していく。持ち前の明るくてのほほんとしたマイペースな性格もあって、咲耶は前世の知識を駆使して、徐々に異世界にも慣れていくのだが、そんな彼女に転機が訪れる。それ以降、これまで不明だった咲耶自身の力も解放され、様々な人々や精霊、魔物たちと出会い愛されていく。
これは、ちょっぴり天然な《咲耶》とチート従魔たちとのまったり異世界物語。
○○○
旧版を基に再編集しています。
第二章(16話付近)以降、完全オリジナルとなります。
旧版に関しては、8月1日に削除予定なのでご注意ください。
この作品は、ノベルアップ+にも投稿しています。
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる