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第二章 ~ぶらり馬車の旅 リディアス国・王都篇~
新たな敵
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ランタンの灯りを失ってから、どれほどの時間が過ぎたのであろう。手探りで壁を伝い歩くアシュリンは、感覚を研ぎ澄まして出口を求める。同じようにドロシーも片手で壁をさすりながら、気絶しているハルを背負ってあとに続いた。
「すまない、ドロシー。わたしが意地を張ってしまったばかりに、このざまだ」
靴音と下水の流れる音に混じって、謝罪の言葉が聞こえたような気がした。
この下水道は、王都の規模とさほどの差異はない。それはつまり、暗闇の迷路を死ぬまでさまよう可能性が非常に高いということだ。
こんな劣悪な環境で人生を終わらせてたまるものか──ドロシーはあらためて周囲を見まわすが、どこにも光源はなかった。
視界に映るのは闇だけ。
汚水でずぶ濡れになった全身からは、ありえないくらいの悪臭も放たれていた。
カチン。
突然感じた、なにかが指に当たる感触──すると、奇跡が起こる。
歯車が動くような軋む音とともに、微弱な振動が冷たい煉瓦を通り抜けて手のひらに響いてきたかと思えば、大人がひとり通れる面積の壁が半回転し、光りの道筋が目の前に現れたのだ!
「えっ……ウソでしょ? だ……団長!」
それは、秘密の扉を開く仕掛けだった。
アシュリンとドロシーは、隙間からなかをのぞいてみる。
広さとして十畳ほどだろうか。
ボロ切れ同然の寝床の近くには空の酒瓶がいくつか転がり、壁一面に備え付けられた棚には、上から下までたくさんの書籍や透明な液体に浸された不気味な生物標本がびっしりと並んでいた。
「間違いない。ここが教祖の棲み家だ」
可動する壁をさらに押し広げて、アシュリンが鋭い目つきで隠し部屋へ入る。
「主は不在だな。今のうちに、いろいろと調べてみるとしよう」
アシュリンは不格好に作られた棚から本を一冊取り出すと、おもむろに開く。それは古代の魔導書だった。もちろん、内容も記された文字の意味もまったくわからない。
「ここで待ってれば、いつかは必ず帰ってきますよね? 待ちぶせをして、やっつけてやりましょうよ!」
だが、室内で身を潜められそうな場所は布団の中くらいで、それも一目でバレてしまうだろう。アシュリンから返事はとくに無かった。
ドロシーもなにか調べようと思い、ハルを背負ったまま密閉瓶に顔を近づける。
水溶液に沈む臓物の数々。
これらはすべて動物のものなのだろうか? それとも、やはり──ドロシーは、そこから先をあえて考えないことにした。
「おい、ドロシー。この矢印はなんだと思う?」
呼びかけられて振り返れば、壁に張られた地図をアシュリンが熱心に見つめていた。
色褪せたその地図は、マグヌス王が統治するリディアス国のものだった。謎の矢印が王都から遠く離れた北西の位置に連なるビオス山脈まで、いくつかの街道を突き抜けて赤い線で伸びている。
「矢印になにかがあるんですかね?」
「いや、そこはなにもない。荒野だけが広がっていたはず」
アシュリンは王族として、国土に関する知識は学者並みに記憶していた。そして、歴史についても。ふと、あの倉庫で秘密戦隊の少女が〈異形の民〉と叫んでいたのを思い出す。
「そうか……わかったぞ。黒衣の集団の正体は、かつてこの一帯を支配していた邪悪な原住民の子孫たちだ」
細い指先で地図上のビオス山脈に触れたアシュリンは、そのまま小さな円を描く。
「邪悪な原住民って……そんな物騒な民族がこの国に存在してたんですか?」
「ああ。歴史の教科書や博物館では教えてくれない、血ぬられた足跡さ」
ギギュゥゥゥゥ……。
突然、お腹が鳴ったような音が聞こえた。
アシュリンとドロシーは、お互いに気づかない素振りで地図を見続ける。大人の対応というやつだ。
ギギュゥゥゥゥ……。
ギギュゥゥゥゥ……。
さすがにニ度三度と立て続けに聞こえてくると、黙っているのも薄情な気がしたアシュリンは、
「ドロシー、もう少し辛抱してくれ。下水道を出たら、いつもの食堂でかるくなにか食べよう」
地図を眺めたまま、穏やかな口調でそう話しかけた。
「えっ? あの……誤解です。お腹の音は、わたしでもハルさんでもないですよ?」
「なんだと? それじゃあ、この音はいったい……」
ギギュゥゥゥゥ……ギギュゥゥゥゥ!
「──壁の外からか!?」
すばやく秘密の扉まで近づいたアシュリンは、身を潜めて下水道の様子をうかがう。先ほどの巨大スライムとはまた別の大きな影が、汚水の川を泳いでやって来ていた。
「ドロシー、灯りを確保しろ! 新しい魔物のおでましだ!」
そう言いながら、扉の横に掛けてあったキャンドルランプを掴んだアシュリンは、レイピアを抜いて刀身を見つめる。濡れてはいるが、切れ味に支障はないはずだ。
「ひえええっ!? 急にそう言われましても……」
ハルを背負ったまま右往左往するドロシーも、唯一残った光源を壁から燭台ごともぎ取り、臨戦態勢のアシュリンに続いて隠し部屋を出た。
その先に待っていたのは、全身が焼け爛れた皮膚のような見てくれの、虎よりも大きなげっ歯類の魔物──ハダカネズミだった。
人の腕ほどの太さもある長い尻尾を一本鞭のように振り乱しながら、汚水の波飛沫を巻き散らかして通路へと跳ね上がる。
「ギギュゥゥゥゥゥゥゥ!」
「こいつ、でっかいわりには随分と身軽だな。ドロシー、かまわず行け! この魔物を少し足止めしてから、わたしもあとを追いかける!」
「そっ……」
拒絶の言葉を発するよりも先に、ロウソクの灯りに照らされたハダカネズミの姿を間近で見たドロシーは、おびえきった表情で一目散に逃げだした。
「ギギュゥゥゥ……ブシャアアアアッ!」
ハダカネズミの大きくゆがんだ口の中央で、鋭利な門歯がけたたましく打ち鳴らされる。だが、アシュリンはそんな威嚇をものともせず、勇猛果敢に先制攻撃を仕掛けた。
「喰らえ、魔物め! 必殺──真空斬り‼」
突くように構えたレイピアから凄まじい衝撃波が放たれ、一瞬にして白銀の長い髪とミニスカートが逆方向へなびく。
「ギィギャアアアアアアス!?」
醜い顔に強力な風圧が直撃し、ハダカネズミはその巨体を仰け反らせて怯む。アシュリンはその隙に全速力で逃走した。
「すまない、ドロシー。わたしが意地を張ってしまったばかりに、このざまだ」
靴音と下水の流れる音に混じって、謝罪の言葉が聞こえたような気がした。
この下水道は、王都の規模とさほどの差異はない。それはつまり、暗闇の迷路を死ぬまでさまよう可能性が非常に高いということだ。
こんな劣悪な環境で人生を終わらせてたまるものか──ドロシーはあらためて周囲を見まわすが、どこにも光源はなかった。
視界に映るのは闇だけ。
汚水でずぶ濡れになった全身からは、ありえないくらいの悪臭も放たれていた。
カチン。
突然感じた、なにかが指に当たる感触──すると、奇跡が起こる。
歯車が動くような軋む音とともに、微弱な振動が冷たい煉瓦を通り抜けて手のひらに響いてきたかと思えば、大人がひとり通れる面積の壁が半回転し、光りの道筋が目の前に現れたのだ!
「えっ……ウソでしょ? だ……団長!」
それは、秘密の扉を開く仕掛けだった。
アシュリンとドロシーは、隙間からなかをのぞいてみる。
広さとして十畳ほどだろうか。
ボロ切れ同然の寝床の近くには空の酒瓶がいくつか転がり、壁一面に備え付けられた棚には、上から下までたくさんの書籍や透明な液体に浸された不気味な生物標本がびっしりと並んでいた。
「間違いない。ここが教祖の棲み家だ」
可動する壁をさらに押し広げて、アシュリンが鋭い目つきで隠し部屋へ入る。
「主は不在だな。今のうちに、いろいろと調べてみるとしよう」
アシュリンは不格好に作られた棚から本を一冊取り出すと、おもむろに開く。それは古代の魔導書だった。もちろん、内容も記された文字の意味もまったくわからない。
「ここで待ってれば、いつかは必ず帰ってきますよね? 待ちぶせをして、やっつけてやりましょうよ!」
だが、室内で身を潜められそうな場所は布団の中くらいで、それも一目でバレてしまうだろう。アシュリンから返事はとくに無かった。
ドロシーもなにか調べようと思い、ハルを背負ったまま密閉瓶に顔を近づける。
水溶液に沈む臓物の数々。
これらはすべて動物のものなのだろうか? それとも、やはり──ドロシーは、そこから先をあえて考えないことにした。
「おい、ドロシー。この矢印はなんだと思う?」
呼びかけられて振り返れば、壁に張られた地図をアシュリンが熱心に見つめていた。
色褪せたその地図は、マグヌス王が統治するリディアス国のものだった。謎の矢印が王都から遠く離れた北西の位置に連なるビオス山脈まで、いくつかの街道を突き抜けて赤い線で伸びている。
「矢印になにかがあるんですかね?」
「いや、そこはなにもない。荒野だけが広がっていたはず」
アシュリンは王族として、国土に関する知識は学者並みに記憶していた。そして、歴史についても。ふと、あの倉庫で秘密戦隊の少女が〈異形の民〉と叫んでいたのを思い出す。
「そうか……わかったぞ。黒衣の集団の正体は、かつてこの一帯を支配していた邪悪な原住民の子孫たちだ」
細い指先で地図上のビオス山脈に触れたアシュリンは、そのまま小さな円を描く。
「邪悪な原住民って……そんな物騒な民族がこの国に存在してたんですか?」
「ああ。歴史の教科書や博物館では教えてくれない、血ぬられた足跡さ」
ギギュゥゥゥゥ……。
突然、お腹が鳴ったような音が聞こえた。
アシュリンとドロシーは、お互いに気づかない素振りで地図を見続ける。大人の対応というやつだ。
ギギュゥゥゥゥ……。
ギギュゥゥゥゥ……。
さすがにニ度三度と立て続けに聞こえてくると、黙っているのも薄情な気がしたアシュリンは、
「ドロシー、もう少し辛抱してくれ。下水道を出たら、いつもの食堂でかるくなにか食べよう」
地図を眺めたまま、穏やかな口調でそう話しかけた。
「えっ? あの……誤解です。お腹の音は、わたしでもハルさんでもないですよ?」
「なんだと? それじゃあ、この音はいったい……」
ギギュゥゥゥゥ……ギギュゥゥゥゥ!
「──壁の外からか!?」
すばやく秘密の扉まで近づいたアシュリンは、身を潜めて下水道の様子をうかがう。先ほどの巨大スライムとはまた別の大きな影が、汚水の川を泳いでやって来ていた。
「ドロシー、灯りを確保しろ! 新しい魔物のおでましだ!」
そう言いながら、扉の横に掛けてあったキャンドルランプを掴んだアシュリンは、レイピアを抜いて刀身を見つめる。濡れてはいるが、切れ味に支障はないはずだ。
「ひえええっ!? 急にそう言われましても……」
ハルを背負ったまま右往左往するドロシーも、唯一残った光源を壁から燭台ごともぎ取り、臨戦態勢のアシュリンに続いて隠し部屋を出た。
その先に待っていたのは、全身が焼け爛れた皮膚のような見てくれの、虎よりも大きなげっ歯類の魔物──ハダカネズミだった。
人の腕ほどの太さもある長い尻尾を一本鞭のように振り乱しながら、汚水の波飛沫を巻き散らかして通路へと跳ね上がる。
「ギギュゥゥゥゥゥゥゥ!」
「こいつ、でっかいわりには随分と身軽だな。ドロシー、かまわず行け! この魔物を少し足止めしてから、わたしもあとを追いかける!」
「そっ……」
拒絶の言葉を発するよりも先に、ロウソクの灯りに照らされたハダカネズミの姿を間近で見たドロシーは、おびえきった表情で一目散に逃げだした。
「ギギュゥゥゥ……ブシャアアアアッ!」
ハダカネズミの大きくゆがんだ口の中央で、鋭利な門歯がけたたましく打ち鳴らされる。だが、アシュリンはそんな威嚇をものともせず、勇猛果敢に先制攻撃を仕掛けた。
「喰らえ、魔物め! 必殺──真空斬り‼」
突くように構えたレイピアから凄まじい衝撃波が放たれ、一瞬にして白銀の長い髪とミニスカートが逆方向へなびく。
「ギィギャアアアアアアス!?」
醜い顔に強力な風圧が直撃し、ハダカネズミはその巨体を仰け反らせて怯む。アシュリンはその隙に全速力で逃走した。
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