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第二章 ~ぶらり馬車の旅 リディアス国・王都篇~
挿話 きらめく風の記憶(1)
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金色の風が暖かかった。
青空に向かって伸びる名前を知らない木々の樹冠や、地平線まで続く草原が大海原の波のように揺れ動き、鬱蒼とした森の近くで咲く白い花畑も、真昼の日射しであざやかに輝いていた。
そんな光景に急斜面を走りながら目を細めるのは、男の子と見紛う服装と髪型をした十ニ歳の少女レベッカ・オーフレイム。腰から抜け落ちないよう、片手で押さえる剣帯には訓練用の古びた模造刀が収まっていた。それは、長兄のジェイラスから特別に譲り受けた彼女の宝物でもある。
牛道をひとり行くレベッカは、程なくして森の中へと吸い込まれていく。ここを通れば、自分の住む屋敷に帰る時間が三十分は短縮できる。
その日の午前中、レベッカは丘の裏側に見つけた小さな縦穴の中を探検していたのだが、狭い空間を無理に進んだことが災いし、突起した岩肌に衣服が引っ掛かってしまい脱出するのにかなりの時間を費やしてしまった。昼食に間に合うためには、この暗がりの森の近道をどうしても通る必要があったのだ。
「きゃあああああああああッッッ!?」
そんなとき、春の木漏れ日にまぎれて、幼馴染みのクラリスが数メートル先の頭上から突然降ってくる。
「え? ウソだろ!?」
レベッカは瞬時に反応し、両手のひらを前に突き出して走る速度を限界まで上げる。
「だああああああああッッッ!」
しまいには腐葉土へ飛び込み、なんとかクラリスが地上に激突する間一髪のところで、見事に受け止めてみせた。
だがその際、レベッカはクラリスの身体に顔面を、お腹も腐葉土に強く打ちつけてしまったので、すぐに起きることができなかった。
「………………あれ? わたし、生きてるの?」
恐る恐る瞼を開けたクラリスは、胎児のように丸まった姿勢からスカートの裾をただし、薄暗い森をゆっくりと見まわしながら半身を起こす。自分の下敷きになっているレベッカに気づいたのは、しばらくしてからだった。
「やだ! レベッカったら、わたしのお尻の下でなにをしているのよ!? このスケベ!」
「なにって……おまえなぁ……」
賞賛に値する人命救助を否定されてしまい、レベッカは少々不快に感じてしまったが、いつもどおりの勝ち気な彼女の振る舞いに、ひとまず安堵のため息をつく。
「それだけ元気なら大丈夫そうだな。おい、早くどいてくれないか? 重くて腕の骨が折れそ……ウッ?!」
文句を言い終えるまえに、クラリスが放った強烈な肘打ちがレベッカの顔面を襲う。
「淑女に失礼ね! レベッカの馬鹿っ!」
すぐに起き上がろうとするクラリスではあったが、お尻が嵌まってしまったようで、なかなかうまく脱け出せなかった。
「痛てててて……おい、クラリス。横に転がれよ」
赤面してもがいていたクラリスは、無言のまま素直に従い、金色の総髪と華奢な身体を横へ転がせる。なんとか立ち上がったあとも、真っ赤な顔を伏せてしばらく佇み、「ありがとう」と感謝の言葉を残してから、光りあふれる草原へと走り去った。
*
結局レベッカは、昼食の時間には多少遅れてしまったのだが、父親からなにも叱られはしなかった。
剣聖と名高い偉大なる騎士の末裔であるオーフレイム家にとって、三兄妹の末っ子で、しかも、女の自分は父親からすれば興味が薄い存在なのだと、レベッカは物心がつく前よりも理解していた。
剣技も護身術程度しか学ばせてはもらえず、会得した技のほとんどが、父親には内緒でジェイラスが教えてくれていたものだった。
午後も縦穴の探検を続けるべく、レベッカがお腹を満足そうにさすりながら暗がりの森を抜けると、花冠を頭に載せたクラリスが、白い花畑の中央で幸せそうに微笑みながらすわっていた。
どうやら、もうひとつ花冠を作っているようで、指を器用に動かして細い茎を編み込んでいる。同じ女の子でも模造刀を振るうことしか出来ないレベッカは、ほんの少しだけ羨ましく思えた。
「なんだよ、おまえ。昼飯は食わなかったのか?」
「うん。お腹、空いてないし」
「や……」
レベッカは〝痩せようとしているのか〟と言葉にしそうになるが、先ほどの肘打ちを思い出してそれをやめた。
「これ、やるよ。こんなところで目を回して倒られたら、おれが背負って家まで帰らないといけないじゃん」
あとで食べようと持ってきた南瓜の種のゼンメルを、腰にぶら下げていた小さな布袋から差し出す。けれどもクラリスは、笑顔をゆっくりと左右に振った。
「えっ……クラリス、おまえ具合が悪いんじゃないのか?」
自分と負けずとも劣らない食いしん坊の幼馴染みが、食べ物を断るなどありえないことだった。血相を変えてゼンメルを布袋にしまったレベッカは、クラリスのもとへ慌てて駆け寄り、片膝を立てる。
「ちょっと! 熱なんてないわよ、やめて……もう!」
嫌がるおでこに触れてみても、たしかに熱は無かった。顔は赤いのに不思議なものだと、レベッカは思った。
「本当に食欲が無いだけよ」
笑顔をみせて自分の前髪を指先で撫でたクラリスは、出来たばかりの花冠をレベッカの頭に載せ、そのついでに、折れ曲がっていたシャツの襟も整えてあげた。
「心配してくれて、どうもありがとう。うーん……こうしてみても、やっぱり男の子よねぇ」
「〝やっぱり〟ってなんだよ。それよりさ、この先に縦穴を見つけたんだ。一緒に探検しないか?」
「えっ、ホントに!? うん! 行く行く!」
クラリスは、指差された方角に顔を向けたままレベッカの手を握り、元気よくそちらへと先導し始める。
「あっ、オレが見つけたんだからな!」
「うふふふ。わかってるわよ」
仲睦まじいふたりは、穏やかな風に逆らって白い花畑を進んでいく。
クラリスに手を引かれながらレベッカは、総髪を留める薄花色の大きなリボンが風にそよぐさまを、春に舞い踊る蝶のようだと思って見惚れていた。
青空に向かって伸びる名前を知らない木々の樹冠や、地平線まで続く草原が大海原の波のように揺れ動き、鬱蒼とした森の近くで咲く白い花畑も、真昼の日射しであざやかに輝いていた。
そんな光景に急斜面を走りながら目を細めるのは、男の子と見紛う服装と髪型をした十ニ歳の少女レベッカ・オーフレイム。腰から抜け落ちないよう、片手で押さえる剣帯には訓練用の古びた模造刀が収まっていた。それは、長兄のジェイラスから特別に譲り受けた彼女の宝物でもある。
牛道をひとり行くレベッカは、程なくして森の中へと吸い込まれていく。ここを通れば、自分の住む屋敷に帰る時間が三十分は短縮できる。
その日の午前中、レベッカは丘の裏側に見つけた小さな縦穴の中を探検していたのだが、狭い空間を無理に進んだことが災いし、突起した岩肌に衣服が引っ掛かってしまい脱出するのにかなりの時間を費やしてしまった。昼食に間に合うためには、この暗がりの森の近道をどうしても通る必要があったのだ。
「きゃあああああああああッッッ!?」
そんなとき、春の木漏れ日にまぎれて、幼馴染みのクラリスが数メートル先の頭上から突然降ってくる。
「え? ウソだろ!?」
レベッカは瞬時に反応し、両手のひらを前に突き出して走る速度を限界まで上げる。
「だああああああああッッッ!」
しまいには腐葉土へ飛び込み、なんとかクラリスが地上に激突する間一髪のところで、見事に受け止めてみせた。
だがその際、レベッカはクラリスの身体に顔面を、お腹も腐葉土に強く打ちつけてしまったので、すぐに起きることができなかった。
「………………あれ? わたし、生きてるの?」
恐る恐る瞼を開けたクラリスは、胎児のように丸まった姿勢からスカートの裾をただし、薄暗い森をゆっくりと見まわしながら半身を起こす。自分の下敷きになっているレベッカに気づいたのは、しばらくしてからだった。
「やだ! レベッカったら、わたしのお尻の下でなにをしているのよ!? このスケベ!」
「なにって……おまえなぁ……」
賞賛に値する人命救助を否定されてしまい、レベッカは少々不快に感じてしまったが、いつもどおりの勝ち気な彼女の振る舞いに、ひとまず安堵のため息をつく。
「それだけ元気なら大丈夫そうだな。おい、早くどいてくれないか? 重くて腕の骨が折れそ……ウッ?!」
文句を言い終えるまえに、クラリスが放った強烈な肘打ちがレベッカの顔面を襲う。
「淑女に失礼ね! レベッカの馬鹿っ!」
すぐに起き上がろうとするクラリスではあったが、お尻が嵌まってしまったようで、なかなかうまく脱け出せなかった。
「痛てててて……おい、クラリス。横に転がれよ」
赤面してもがいていたクラリスは、無言のまま素直に従い、金色の総髪と華奢な身体を横へ転がせる。なんとか立ち上がったあとも、真っ赤な顔を伏せてしばらく佇み、「ありがとう」と感謝の言葉を残してから、光りあふれる草原へと走り去った。
*
結局レベッカは、昼食の時間には多少遅れてしまったのだが、父親からなにも叱られはしなかった。
剣聖と名高い偉大なる騎士の末裔であるオーフレイム家にとって、三兄妹の末っ子で、しかも、女の自分は父親からすれば興味が薄い存在なのだと、レベッカは物心がつく前よりも理解していた。
剣技も護身術程度しか学ばせてはもらえず、会得した技のほとんどが、父親には内緒でジェイラスが教えてくれていたものだった。
午後も縦穴の探検を続けるべく、レベッカがお腹を満足そうにさすりながら暗がりの森を抜けると、花冠を頭に載せたクラリスが、白い花畑の中央で幸せそうに微笑みながらすわっていた。
どうやら、もうひとつ花冠を作っているようで、指を器用に動かして細い茎を編み込んでいる。同じ女の子でも模造刀を振るうことしか出来ないレベッカは、ほんの少しだけ羨ましく思えた。
「なんだよ、おまえ。昼飯は食わなかったのか?」
「うん。お腹、空いてないし」
「や……」
レベッカは〝痩せようとしているのか〟と言葉にしそうになるが、先ほどの肘打ちを思い出してそれをやめた。
「これ、やるよ。こんなところで目を回して倒られたら、おれが背負って家まで帰らないといけないじゃん」
あとで食べようと持ってきた南瓜の種のゼンメルを、腰にぶら下げていた小さな布袋から差し出す。けれどもクラリスは、笑顔をゆっくりと左右に振った。
「えっ……クラリス、おまえ具合が悪いんじゃないのか?」
自分と負けずとも劣らない食いしん坊の幼馴染みが、食べ物を断るなどありえないことだった。血相を変えてゼンメルを布袋にしまったレベッカは、クラリスのもとへ慌てて駆け寄り、片膝を立てる。
「ちょっと! 熱なんてないわよ、やめて……もう!」
嫌がるおでこに触れてみても、たしかに熱は無かった。顔は赤いのに不思議なものだと、レベッカは思った。
「本当に食欲が無いだけよ」
笑顔をみせて自分の前髪を指先で撫でたクラリスは、出来たばかりの花冠をレベッカの頭に載せ、そのついでに、折れ曲がっていたシャツの襟も整えてあげた。
「心配してくれて、どうもありがとう。うーん……こうしてみても、やっぱり男の子よねぇ」
「〝やっぱり〟ってなんだよ。それよりさ、この先に縦穴を見つけたんだ。一緒に探検しないか?」
「えっ、ホントに!? うん! 行く行く!」
クラリスは、指差された方角に顔を向けたままレベッカの手を握り、元気よくそちらへと先導し始める。
「あっ、オレが見つけたんだからな!」
「うふふふ。わかってるわよ」
仲睦まじいふたりは、穏やかな風に逆らって白い花畑を進んでいく。
クラリスに手を引かれながらレベッカは、総髪を留める薄花色の大きなリボンが風にそよぐさまを、春に舞い踊る蝶のようだと思って見惚れていた。
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