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第二章 ~ぶらり馬車の旅 リディアス国・王都篇~
最初の試練
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王都のほとんどは、中心部の高台にそびえ建つクラウザー城から一望のもとに眺められる。
いつも私室から遥か遠くに見えていた城下町だが、こうして足を運ぶのは生まれて初めてのことであった。
「意外と……寂しいものだな」
御者台の後ろから、カーテンを開けてのぞき見ているアシュリンが──道中は王族ではなく騎士団長の身分なので、仲間たちは王女をミドルネームで呼ぶことになった──感想を静かに告げる。
「でしょーね。だって、まだ早朝だし」
頭から毛布に包まれているレベッカの言うとおり、一行は夜明け前に出発したため、店は軒並み閉められたままである。こんな時間に開いているとすれば、閉店間際の酒場くらいだろう。
「アシュリン団長ぉー、とりあえず王都を出ましょーよぉー」
レベッカは大きなあくびをしながら、眠たそうにして手綱を握り直す。すると突然、数メートル先にひとりの男が現れ、よろけながら幌馬車の進路上に倒れこむ。
「おっと、危ねぇ!」
「ヒヒーン!?(ぐほっ!?)」
シルバー号が前足の蹄で踏みつける寸前のところで、レベッカは手綱をめいっぱいに引いて急停止させた。
その頃、幌馬車の荷台では、急に止まったがために、ティーカップを口につけようとしたハルの顔面に熱い紅茶が浴びせられる。
「ブハッ!?」
そしてそのまま、勢いよく後ろへ卒倒した。
「だ、大丈夫ですか、ハルさま!?」
心配そうに膝立ちでオロオロと涙目でうろたえるアリッサム。
「大丈夫だって、アリッサムちゃん。血が出てないだけマシよ」
そんな彼女とは対照的に、ドロシーは横ずわりで優雅に紅茶をすすった。
道端に倒れこんだ謎の男。
こいつは事件のにおいがする──アシュリンは荷台から軽快に飛び降りると、男に猛ダッシュで近づいた。
「おい、おまえ! しっかりしろ!」
「ううっ……」
横たわる男の顔は、生傷だらけで血がにじんでいた。
「ねぇー団長ぉー、どうせただの酔払いですって。ほっておきましょーよぉー」
「いや、酒の臭気はまるでしない。それに傷だらけだ」
「!」
冷気を防ごうと毛布を改めて被り直したレベッカではあったが、それを惜し気もなく御者台に脱ぎ捨てて、プリーツスカートをはためかせながら地上へと飛び降りる。
「怪我の度合いは?」
すぐに駆け寄ったレベッカは、アシュリンの肩ごしに男の顔をのぞき込む。無数の細かい引っ掻き傷……これらは獣の仕業だろうか。
「おい、なにがあった? 誰にやられたんだ?」
ふたりに抱き起こされた男は、秋風に吹かれる枯れ葉のように唇をはかなく震わせると、「化物」と一言だけつぶやき、絶命した。
*
男の亡骸を丁重に教会へ運んだ一行は、そのまま裏庭に幌馬車を停めさせてもらっていた。
荷台で全員が肩を寄せ合うようにして並びすわり、今後について話し合う。
「こんなことに……なりましたけど、一応……予定どおりに王都を出てみませんか?」
いつもとは違う、笑顔ではないハルの提案。けれども、誰もが口を重く閉じて返事をしなかった。
「冒険ってさぁー」
今度はレベッカが、ため息まじりに頭を掻きながら、誰となく喋りはじめる。
「難しいこと抜きにして、楽しければよくないかな? 人さまに迷惑かけない程度のバカを一緒にやってさ……笑って旅しようよ」
滅茶苦茶なことに聞こえるが、今のドロシーはその意見に賛同できた。
本来、王女が伝説の勇者に憧れて始まった突拍子もない冒険旅行のはずなのに、それが不測の事態によって、まるでお通夜みたいな雰囲気になってしまっていた。
これからどんな困難が待ち受けていたとしても、せめて、みんなが笑顔でいられれば、この旅はなにか救われるような気がした。
「わたしもレベッカさまに賛成です。あの男性は気の毒だと思いますけど、姫さ……アシュリン団長の冒険の旅とはまた別の、不幸な出来事として──」
「いや、わたしは調べる」
アリッサムの言葉を遮ったアシュリンは神妙な面持ちで立ちあがると、ひとり足早に幌馬車を降りた。
「団長!」
ひき止めようとする一同の声に振り返ることもなく、アシュリンはそのまま教会の中へ入っていった。
男が納められている棺の前では、神父が死者への手向けの言葉を厳かに唱えていた。その脇を無言ですり抜けて、アシュリンは棺を迷わずに開ける。
「な、な、なにをなさるのです!? 騎士さま、なんと罰当りなことをされるのですか!」
当然ながら神父は驚き、すぐにやめさせようとするも、わずかな糸口を求めて男の傷口や所持品を次々と調べていくアシュリンの気迫がそれを躊躇わせた。
「団長、やめてください!」
止めようと腕を伸ばすドロシーの肩に、レベッカが手を乗せてそれを制する。
「やらせておけ」
「でも……!」
「これはもう〝お姫さまの道楽〟なんかじゃない。ちゃんとした〝試練〟なんだよ」
そう言ってレベッカもアシュリンのそばへ近づくと、男の亡骸を一緒になって調べ始めた。
「試練って……なによ……それ……」
もしかして本当に、この人たちは巨悪や魔物を相手にしようとしているのではないだろうか。熱心なふたりの背中をただ見つめるドロシーは、人知れず恐怖から震えていた。
いつも私室から遥か遠くに見えていた城下町だが、こうして足を運ぶのは生まれて初めてのことであった。
「意外と……寂しいものだな」
御者台の後ろから、カーテンを開けてのぞき見ているアシュリンが──道中は王族ではなく騎士団長の身分なので、仲間たちは王女をミドルネームで呼ぶことになった──感想を静かに告げる。
「でしょーね。だって、まだ早朝だし」
頭から毛布に包まれているレベッカの言うとおり、一行は夜明け前に出発したため、店は軒並み閉められたままである。こんな時間に開いているとすれば、閉店間際の酒場くらいだろう。
「アシュリン団長ぉー、とりあえず王都を出ましょーよぉー」
レベッカは大きなあくびをしながら、眠たそうにして手綱を握り直す。すると突然、数メートル先にひとりの男が現れ、よろけながら幌馬車の進路上に倒れこむ。
「おっと、危ねぇ!」
「ヒヒーン!?(ぐほっ!?)」
シルバー号が前足の蹄で踏みつける寸前のところで、レベッカは手綱をめいっぱいに引いて急停止させた。
その頃、幌馬車の荷台では、急に止まったがために、ティーカップを口につけようとしたハルの顔面に熱い紅茶が浴びせられる。
「ブハッ!?」
そしてそのまま、勢いよく後ろへ卒倒した。
「だ、大丈夫ですか、ハルさま!?」
心配そうに膝立ちでオロオロと涙目でうろたえるアリッサム。
「大丈夫だって、アリッサムちゃん。血が出てないだけマシよ」
そんな彼女とは対照的に、ドロシーは横ずわりで優雅に紅茶をすすった。
道端に倒れこんだ謎の男。
こいつは事件のにおいがする──アシュリンは荷台から軽快に飛び降りると、男に猛ダッシュで近づいた。
「おい、おまえ! しっかりしろ!」
「ううっ……」
横たわる男の顔は、生傷だらけで血がにじんでいた。
「ねぇー団長ぉー、どうせただの酔払いですって。ほっておきましょーよぉー」
「いや、酒の臭気はまるでしない。それに傷だらけだ」
「!」
冷気を防ごうと毛布を改めて被り直したレベッカではあったが、それを惜し気もなく御者台に脱ぎ捨てて、プリーツスカートをはためかせながら地上へと飛び降りる。
「怪我の度合いは?」
すぐに駆け寄ったレベッカは、アシュリンの肩ごしに男の顔をのぞき込む。無数の細かい引っ掻き傷……これらは獣の仕業だろうか。
「おい、なにがあった? 誰にやられたんだ?」
ふたりに抱き起こされた男は、秋風に吹かれる枯れ葉のように唇をはかなく震わせると、「化物」と一言だけつぶやき、絶命した。
*
男の亡骸を丁重に教会へ運んだ一行は、そのまま裏庭に幌馬車を停めさせてもらっていた。
荷台で全員が肩を寄せ合うようにして並びすわり、今後について話し合う。
「こんなことに……なりましたけど、一応……予定どおりに王都を出てみませんか?」
いつもとは違う、笑顔ではないハルの提案。けれども、誰もが口を重く閉じて返事をしなかった。
「冒険ってさぁー」
今度はレベッカが、ため息まじりに頭を掻きながら、誰となく喋りはじめる。
「難しいこと抜きにして、楽しければよくないかな? 人さまに迷惑かけない程度のバカを一緒にやってさ……笑って旅しようよ」
滅茶苦茶なことに聞こえるが、今のドロシーはその意見に賛同できた。
本来、王女が伝説の勇者に憧れて始まった突拍子もない冒険旅行のはずなのに、それが不測の事態によって、まるでお通夜みたいな雰囲気になってしまっていた。
これからどんな困難が待ち受けていたとしても、せめて、みんなが笑顔でいられれば、この旅はなにか救われるような気がした。
「わたしもレベッカさまに賛成です。あの男性は気の毒だと思いますけど、姫さ……アシュリン団長の冒険の旅とはまた別の、不幸な出来事として──」
「いや、わたしは調べる」
アリッサムの言葉を遮ったアシュリンは神妙な面持ちで立ちあがると、ひとり足早に幌馬車を降りた。
「団長!」
ひき止めようとする一同の声に振り返ることもなく、アシュリンはそのまま教会の中へ入っていった。
男が納められている棺の前では、神父が死者への手向けの言葉を厳かに唱えていた。その脇を無言ですり抜けて、アシュリンは棺を迷わずに開ける。
「な、な、なにをなさるのです!? 騎士さま、なんと罰当りなことをされるのですか!」
当然ながら神父は驚き、すぐにやめさせようとするも、わずかな糸口を求めて男の傷口や所持品を次々と調べていくアシュリンの気迫がそれを躊躇わせた。
「団長、やめてください!」
止めようと腕を伸ばすドロシーの肩に、レベッカが手を乗せてそれを制する。
「やらせておけ」
「でも……!」
「これはもう〝お姫さまの道楽〟なんかじゃない。ちゃんとした〝試練〟なんだよ」
そう言ってレベッカもアシュリンのそばへ近づくと、男の亡骸を一緒になって調べ始めた。
「試練って……なによ……それ……」
もしかして本当に、この人たちは巨悪や魔物を相手にしようとしているのではないだろうか。熱心なふたりの背中をただ見つめるドロシーは、人知れず恐怖から震えていた。
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