プリンセスソードサーガ

黒巻雷鳴

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序章 ~お姫さまが旅立つまでのお話~

読書好きのお姫さま

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 生まれてこの方、労力というものを知らないであろう白くて美しい指の持ち主が、勢いよく文庫本サイズの書物を閉じて物語の余韻にひたる。
 天蓋付きベッドの傍らにある脇机では、白磁のティーカップ──王家の紋章である双頭の鷲と百合の絵付けが施された上等品──が紅茶の香りを静かに漂わせ、その人物を夢想から呼び戻そうと、ささやかながら務めていた。
 シャーロット・アシュリン・クラウザー。
 リディアス国のうら若き姫君である。
 華麗で繊細な様式のベッドから遠くの青空を見つめたシャーロット王女は、小さな鼻腔からため息をひとつき、天人の羽衣はごろもを彷彿とさせる乙女色の天蓋カーテンを優雅にすり抜けて、開け放たれた窓辺へと素足のまま近づく。
 大空には雲ひとつない。
 快晴を喜んでいるのか、小鳥たちが舞うようにして飛びまわっているのが見えた。

「姫さま」

 静かに入室した侍女の柔和な呼び声に振り返ることなく、シャーロット王女は急に吹いた一瞬の暖かい風に目を細める。腰まで伸ばされた透きとおるように美しい白銀の長い髪が、日射しを浴びてキラキラと輝きながら宙を泳いだ。

「やっと国王陛下も認めてくださりました。あとは……」
「ハルは一緒に来てくれるの?」
「ええ、もちろんですとも。わたしの運命は、姫さまとともにあります」
「でも、レベッカは違うみたいね。嫌がっているのがよくわかるわ」

 ここでようやく、シャーロット王女は顔を見せた。逆光と窓辺までの距離もあり、その表情をハルはうまく読み取れなかったが、どこか悲しそうにも感じられる──そんな気がした。

「それは多分、あの子なりの優しさではないでしょうか。遠方の旅路には危険がつきもの。野盗や流行はやり病も心配です。もしも、姫さまの身に〝なにか〟が起きれば……(国王陛下の逆鱗に触れて、わたしたちはあぶりの刑に)……ああっ、もう考えただけで胃に無数の穴が……ブハッ!?」

 ハルは吐血し──彼女はよく強いストレスを感じるとこうなる──口もとを片手で押さえながら、膝から崩れてその場にうずくまってしまった。だが、聡明な王女は彼女が侍女仲間をかばっていることを十分に理解していた。

「新しい侍女はどう?」

 小首を愛らしくかしげて問いかけるシャーロット王女に、ハルは数回咳きこんでから「問題ありません」とだけ答えた。
 すると突然、辺りに雷鳴が響きわたる。
 変わらない青空。
 ただ違うのは、小鳥たちの姿がもう見えなくなってしまったことだけだ。

「あら……どうやら、雨が降りそうですね。ここでは濡れてしまいます。さあ、姫さまはベッドで安静になさってください」

 いつの間にか復活したハルは、笑顔でシャーロット王女に寄り添いながら、天蓋付きベッドへと歩みをうながした。

「まだわたくし、眠たくはないわ」
「ウフフ。横になるだけでもお身体に良いのですよ?」
「本当に? 横になってばかりいると、お尻と背中がベッドにくっつきそうで、なんだか亀になった気分になるの。しかも、ひっくり返った亀よ。この気持ち、ハルにはわからないでしょうね」

 外界がいかいを名残惜しそうにして寝そべるシャーロット王女の胸もとに、ハルはやさしい笑顔のままデュベをそっと掛ける。

「いいえ、わたしにもそのお気持ち、わかりますとも。ですが姫さま、今お身体の調子を崩されては、せっかくの御予定も変更になりますよ?」
「それは……そうだけど……」
「ウフフ。今は我慢の時でございます。あと何日かすれば、お城の外へ出ているのですから」

 そう言いながらハルは、開け放たれた窓を次々と閉めて歩く。透明な窓ガラスに、雨粒の模様がいくつも出来上がっていった。
 シャーロット王女は生まれつき奇病を患っているため身体も弱く、今までは国王の許可が下りずに城外へ出ることなど決して許されはしなかった。だが、今回の療養を目的とした国内旅行だけは、特別に──いや、ハルの少々強引な説得で許しを得ることができた。
 窓を弾く雨音が徐々に強くなっていく。
 雷が鳴る間隔も、心なしか狭まっていた。

「物凄い雷の音ですね……姫さま、おへそを隠すのをどうか忘れずに」

 窓ガラスの向こうに映る稲光を眺めながら、ハルは言った。

「おへそを隠す? どうして? いったいなにから、おへそを守るというの?」
「それは……」

 ベッドの上から不思議そうに見つめてくるシャーロット王女を見つめ返したハルは、言葉の続きをあえて飲み込み、ニッコリと微笑みながら「さあ、なにからでしょう?」と答えた。

「ハルはときどき、おかしなことを言うわね。でも、あなたのそういうところ、わたくし嫌いじゃないわ」
「ウフフ。ありがとうございます、姫さま」

 そのとき、ひときわ大きな雷鳴が響きわたる。
 どこか近くに落ちたのだろう。窓ガラスが小さく震え、メイドらしき女性たちの悲鳴も王女の寝室にまで聞こえた。

「あら、誰の声かしら? 雷なんて、ちっとも怖くないのに」

 どこよりも安全な城内で育てられてきたからであろう。自然災害はシャーロット王女にとって、物語の中の出来事と同等の扱いなのかもしれないと、ハルはこのとき、あらためて思った。

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