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第二章

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 リネットの案内に従い、皆で彼女の家に向かった。道中足下にはよどんだ水が溜まり、頭を上げれば張り巡らされた麻縄から洗濯物がつり下がっている。立ちこめる悪臭に鼻を押さえながら歩いていると、比較的身ぎれいな老婆が声を掛けてきた。

「あら、お帰りなさい」

 リネットは軽く会釈して、建物に入ろうとしたけれど、老婆が行く手を阻む。

「どうなさったの、その顔!」
「大したことではないんです」
「そんなに目を腫らして、何かあったんでしょう?」

 老婆は事情を聞くまで、てこでも動かないつもりらしく、リネットは仕方なくこちらを振り向いた。

「彼女は家主のオルコット夫人です」
「どうも、初めまして。イーサン・グランチェスターと申します」

 適当な偽名でも使っておけばいいものを。あっさり身分を明かすイーサンに、テオは頭がクラクラする。

「随分上等なスーツを来てらっしゃるのね? リネットさんとはどういったご関係なの?」
「少々相談を受けまして」
「それは彼女の怪我と関係あるのかしら?」

 イーサンは答えなかったが、オルコット夫人は勝手に想像力を働かせる。

「やっぱり旦那さんと何かあったの? 大人しくてシャイな方だし、とても暴力を振るうようには見えなかったけど」
「ミスター・ジャービスをご存知なんですか?」
「えぇ。部屋を貸すときには、厳しく面接しますから。私の店子は皆真面目な方ばかりで、問題を起こす人なんてひとりもいません」
「さぞ優れた観察眼をお持ちなんでしょうね」

 イーサンがオルコット夫人を持ち上げると、彼女は満更でもなさそうに言った。

「まぁこういう仕事をしていたら、否応なく身につくもんですよ。ジャービス夫妻も私の見込み通りだと思ってましたけど」

 オルコット夫人の疑わしげな瞳を受けて、リネットはやけに明るく言った。

「どうかご心配なさらず、本当にちょっとした諍いがあっただけなんです。それを証拠に周りから苦情もなかったでしょう?」
「それはまぁ、そうですけどね」

 まだ納得しかねるオルコット夫人を見て、イーサンが話題を変えた。

「ところでそのボンネット、実に素敵ですね」

 イーサンがとびきりの笑顔を作ると、オルコット夫人は生娘のように頬を染めた。彼の天然ジゴロぶりは、女性の年齢問わず通用するらしい。

「あら、わかる? 新調したばかりなのよ」
「どうりで最新の流行だと思いました。この辺りでも、女性の装飾品を売る店があるのですか?」
「あるにはありますよ。リネットさんもお針子として、近くのブティックで働いてらっしゃいますもの。でもこれは、ハロッズで買ったんです」

 オルコット夫人は自慢げに笑った。高級デパートで買い物ができるほど、彼女には資産があるのだろう。イーサンもそう察して尋ねる。

「こちら以外にも下宿を?」
「えぇ、もう二軒ほど。昔大きなお屋敷でメイドをしていましてね。その頃に溜めたお金で下宿を始めたんです」
「それは素晴らしい。しかし三軒もあれば、管理が大変なのでは? いつもこうやって見回りされているんでしょう?」
「見回りは趣味みたいなものですから。まぁ散歩がてらですよ」

 自分で言って、本分を思い出したのだろう。オルコット夫人は「じゃあそろそろ失礼するわ」と去って行く。

「なかなか話し好きのご婦人ですね」

 イーサンがオルコット夫人を見送っていると、リネットは軽く肩をすくめた。

「えぇそうなんです。悪い方ではないんですが、詮索好きなところが玉に瑕ですね」
「お寂しいんでしょうか」
「かもしれません。ご主人を亡くされて、もう長いですから。どうぞこちらへ。うちは三階なんです」
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