名前のないその感情に愛を込めて

にわ冬莉

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手探りの鳥居

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 本日、三度目の挑戦である。

 屋敷の庭から、山道へと入る。
 ここからは一本道なので、迷うことはない。
 緩い上りをゆっくり歩き、心の中で念じる。鳥居よ、現れろ! と。

 雪光にキスをしたあの時、彼は『もう二度と現れない』と口にしていた。それが現実のものになってしまったかもしれない不安を抱え、それでも諦めたくはないと、こうして山道を上ったり下りたりしているのだが、
「いい加減、疲れてきた」

 見えてこない鳥居。
 奪われる体力。……と言うのは大袈裟か。

 あずさは今来た道を引き返そうと踵を返す。時間の許す限り、何度でもやってやろうと思っていた。込み上げてくるものは、知らぬふりで飲み込む。

「……いい加減しつこいぞ」
 後ろから声を掛けられ、足を止める。
 勢いよく振り向けば、そこには古びた鳥居と、髪を無造作に後ろで束ね、佇む、絣の着物を身に纏った男が見えた。
「雪光!」
 あずさは駆け出した。そして、木の根に躓き前に倒れ込む。
「うわっ」
「おい!」
 飛んできたあずさを雪光が受け止め、尻餅を突く。あずさは雪光に抱き留められた格好で覆い被さった。

「危ないだろうがっ」
 頭上から聞こえる雪光の声。絣の着物から香のようなかすかな匂い。すべてが愛しく思えて、力一杯雪光を抱きしめる。
「おい、あずさっ」
 引き離そうとする雪光を無視し、その存在を離すまいと力を籠める。今、力を緩めたら、すっと消えてしまうかもしれないのだ。

「……おい」
「嫌」
「まだ何も言ってない」
「言わなくてもわかる」
「だったら、」
「嫌」
 いたちごっこだ。

 さわさわと風が流れる。あずさは雪光の胸の中で、彼の心音が聞こえないことに深く傷ついていた。何故、彼は人ではないのだろう。触れ合えるのに、ここにいるのに……いないのだ。

「……で、見合い相手とは上手くいってるのか?」
 雪光がぶっきらぼうにそう口にする。
「お見合いはした。最低最悪だった。だから断った」
「……そうか」

 鳥が鳴く。ほんの数分、そうしているだけなのに、まるでここに永遠があるかのような錯覚に陥る。そうだ。いっそこれが永遠ならいい。

「……そろそろ離れろ」
「嫌」
「嫌じゃない!」
 雪光に引き剥がされ、座った状態で向かい合う。あずさはすかさず雪光の顔を両手で押さえつけるが、その手を雪光が掴む。
「なにをしている」
「キスをしようと」
「だから、駄目だって、」
「私はしたい!」
「お前なぁ……、」
「私は雪光が好き! 雪光は? ねぇ、私のこと嫌い?」

 じっと目を見て、まっすぐにそう伝える。伝えたからどうなるものでもないとわかっていても、告白などされても雪光が困るだけだとわかっていても、それでも言わずにはいられなかった。

「俺、は」
 戸惑い、困った顔で視線を外す雪光の隙を突いて、あずさは雪光に覆い被さり、そのまま唇を押し付けた。
「んっ!」
 不意を突かれ、地面にねじ伏せられた雪光は、唇を離すとくるりと体を回転させ、あずさを組み敷く。見つめ合う、二人。

「……好きだよ」
 あずさが呟くのを合図に、雪光があずさの口を塞ぐ。何度も、何度も繰り返される口付け。優しくて、悲しいキス。
 唇を重ねながら、どうして彼は人間じゃないのか。どうして自分は幽霊じゃないのか、どうすれば一緒にいられるのだろうと、そんなことをぐるぐると考えていた。

 パンッ、パシッ

 空間でなにかが破裂する音。雪光がハッと我に返ったように離れる。あずさは反射的に雪光の腕にしがみついた。

「おい、」
「行かないで!」
「……おい、」
「もう、いなくならないで!」
 腕にしがみついたまま、叫ぶ。
「……そういうわけにはいかないだろ?」
「なんでよっ」
「なんでって……」

 パンッ、パシッ

「俺、もう行かなきゃ」
 あずさを抱き上げるようにして、立ち上がる。
「ねぇ、なんとかならないのっ?」
「なんとかって……なにが?」
「雪光を人間にする方法とか、ないのっ?」
 雪光を囲っている相手は神様だ。神様なら、そういうことだって出来るのではないかと勝手に思い込む。

「……無理だよ」
 そう言うと、雪光は優しくあずさの手を解き、鳥居の向こうへと消えて行った。それと同時に、鳥居もふわりと風に流れた。

*****

 重たい足取りで屋敷に帰り、その日、あずさは佳子と共に自分の考えを佐久造に話した。佐久造はただ黙って話を聞いていた。
 遅くまで話をしていたため、もう一日、休暇を取ることになってしまったのである。
 
 そして翌日。

 空が重たい雲に覆われ始める。あずさは見慣れない車が家の前に停まったのを部屋から見ていた。……嫌な予感がする。
 佳子が玄関先で何か話している声がした。そしてあずさを部屋に呼びに来る。
「ああ、あずさ、今ね、」
 佳子が困った顔であずさを見た。部屋から顔を出したあずさを見つけ、
「ああ、おはようございます、あずささん」
 玄関で声を掛けてきたのは、柊俊也。

「……な、んで」
 眉間に皺を寄せ、あずさ。
「どうぞお上がりください」
 そう言ってスリッパを差し出す佳子も、困惑顔だ。

 居間には佐久造の他、俊也と、そしてが揃った。

「初めまして、あずささん」
 俊也と共に屋敷を訪れたのは、俊也の祖父、源吾だった。挨拶をするその声は穏やかそうに聞こえるが、向けられた視線は値踏み、だ。断りを入れたはずの縁談相手が押しかけてくるなど、理由は絞られる。そしてそれはきっと、いい話では、ない。

「うちの俊也との縁談を断ると言われたそうですね?」
 出されたお茶に手を掛け、突き刺すような視線でそう告げられ、一瞬たじろぐ。が、ここでハッキリさせなければならない事案であることもよくわかった。
「ええ、申し訳ありません。私にまだその気がないもので」
 言葉を濁すと、
「結婚は先でもいい。婚約だけ済ませてゆっくり愛を育めばよいのでは?」
 と話を被せてくる。チラ、と祖父の顔を見るも、こちらに加担する気はないようだ。外では雨が降り出した。

「すみませんが、無理です」
 ハッキリと答える。
「困りましたな。実はうちの俊也はあなたのことをいたく気に入ったようでしてね。もう、周りにこの縁談のことを言ってしまっているのですよ。婚約者が出来た、と」
「は?」
 そんな身勝手な話、許されてなるものか。

「それは随分早とちりなさいましたね。即刻、訂正なさった方がよろしいですよ?」
 あずさが笑顔で返す。雨の音が、強くなり始めた。
「何故、うちの俊也では駄目なのです?」
 威厳ある爺さんの藪睨みは思った以上に迫力があった。しかし、だからなんだというのか。虎の威を借る小賢しい真似をしてくる男など、願い下げだ。

「母の仕事は私が手伝います。大体、条件だけで結婚相手を決めるなど今時流行りませんし、何よりも、これは私の人生の選択ですのでそう簡単に決めることはしたくありません」
「ほぅ、随分と夢見がちなお嬢さんだ」
 小馬鹿にしたように笑うと、俊也が続ける。
「あずささんはそういうところが可愛いんですよ、お爺様」
 整った顔立ち。身綺麗な格好。なのに、底知れぬ嫌悪感。人となりは見た目に現れるというが、俊也という人間を知れば知るほど、整った顔も高そうなスーツもくすんで、歪んで見える。

「あの、お断りした縁談話をどうして今更蒸し返すんでしょう? 祖父が体調を崩していることもご存じですよね? あまりにも非常識なのでは?」
 あずさも負けじと言い返す。と、そんなことを言われると思っていなかったのか、老人の顔がみるみる険しいものに変わってゆく。

「お祖父ちゃんはどう思ってるの? こんな姑息な真似をする男と結婚した方がいいと? 私は彼が社長の器だなんて思えないし、添い遂げようという気にもなりません。もしそれでも結婚しろと仰るのでしたら、私は家を出ます」
 ハッキリとそう言った。すると、佐久造が一瞬俯き、肩を震わせる。怒りに打ちひしがれているのかと思いきや、どうやらそうではないようだ。

「ククク、ふふっ、あははは」
 何故か大笑いを始めたのである。
「いつの間にかそんな口を利くようになったんだなぁ、あずさは!」
 膝を叩き、爆笑する。雨の音と佐久造の笑い声が交じり合う。
「源吾、聞いたか? うちの孫は大したもんだろう?」
 俊也の祖父に向け、自慢げにそう言うと、
「なるほどこれは、いい娘さんに育ったなぁ。それに比べてうちのバカ孫はっ」
 ギッ、と俊也を睨み付ける。俊也が驚いたように身を引いた。

「いやいや、あずささん、茶番に付き合わせてすまなかった。俊也が私に泣きついて来た時点で、私にはわかっていたのだがね。佐久造に言われてちょっとした小芝居をね、」
「おい、ばらすなよ源吾」
 慌てた様子の佐久造を睨み付けるあずさ。

「お祖父ちゃん、どういうこと?」
「お父さんっ?」
 佳子もまた、声を荒げる。
「すまない。少しばかり確かめたかったんだよ。あずさがこの縁談に乗り気じゃない理由が現実離れした夢物語なのか、現実を見据えた結果出したものなのか。それに、昨日の話もだ。どこまでの覚悟があるのか知りたかった」
「はぁ?」
 試されていた、ということなのか。

「お前の気持ちはよくわかった。その覚悟のほども。何とか今の仕事を切り上げて、佳子の仕事を手伝いなさい」
 お許しが、出たのだ。
「お祖父ちゃん……ありがとう!」
 喜ぶあずさを、俊也が苦い顔で見つめていた。

 激しく窓を打つ雨の音が、あずさには盛大な拍手に聞こえたのだった。

 帰って行く二人を見送り、あずさは自分も帰る支度を始める。雨は上がり、しかしまだどんよりと厚い雲が上空を支配している。

 帰る前にもう一度、とあずさは山道を上ったが、その日、鳥居が現れることはなかったのである
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