名前のないその感情に愛を込めて

にわ冬莉

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あなたもただの駒

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「……ですよね? あずささん? あずささんっ」
 大きな声で名を呼ばれ、ハッと前を見る。そこにいるのは柊俊也。そう。デートに誘われ都内のカフェで話をしているところだったのだ。

「気もそぞろ……ですねぇ」
 困ったように俊也が言う。
「ごめんなさい、ちょっと寝不足で」
 曖昧な笑顔であずさが返す。

 昨日、林道に放り出されてからというもの、ずっと雪光のことが頭から離れなかった。
 もう会わない、と言われた。このままもう二度と会えないのかもしれない、と考え始めると、心臓が痛い。

「これからどこかで、少し休みますか?」
 俊也が発した言葉に、首を傾げる。
「どういう意味です?」
「だから……の問題なんかもあるでしょう?」
 何を言っているのかわからなかった。しかしそれがホテルへの誘いだとわかると、一気に頭に血が上る。

「なっ……!」
「嫌だなぁ、そんな顔しないでくださいよ。あずささんだってこのお見合い話が愛ある結婚に繋がっているなんて思っていないでしょう? 我々は親の……いや、会社同士の駒みたいなもんだ。だったら最初から割り切って関係を持つしかないじゃないですか」
 どうやら本性を現したらしい俊也に、あずさが軽蔑の眼差しを向ける。

「おや、もしかして政略結婚だとわかっていながらお伽噺のような愛のある未来を思い描いていましたか? だとしたらすみません。そっちで攻めればよかったな」
「は?」
「あなたをお姫様扱いしてその気にさせて、ごっこ遊びをするやり方もあったのですよ。でもあなたは私と同じ人種だと思っていたもので」
「同じ人種?」
「そうです。親に敷かれたレールの上をただ進んでいくだけの駒。不満はあれど、それが正しいと信じて黙って従うしか道のない駒。そういう人生も悪くない、とどこか冷めた目で見ている頭のいい女性なのかと」
「……」
「お互い好きに生きましょうよ。結婚をして、子供を作って、あとは好きなようにやりたいことをする。外で恋人を作ろうが、なにをしようが自由です」

 あずさは眉をしかめた。この男は、地位や名誉のためだけに、自分の人生を捨てることも構わないというのだ。いや、地位と名誉があってこそ、好きなことが出来ると思っているのかもしれない。そういうやり方もあるだろう、ということは理解出来る。だが、

(気持ち悪い)

 それがあずさの正直な感想だった。

「どうです? 悪い話じゃないと思うんですが」
 手を伸ばし、さら、とあずさの髪を指で流す。全身に寒気が走った。
 あずさは俊也の手を素早く払うと、
「私、帰ります!」
 と席を立った。
「逃げるんですか?」
 挑戦的な目でそう言われ、グッと手を握りしめる。
「いいえ、お断りするんです」
 キッパリと言い放つ。

「あなたのお母様もお爺様もあんなに乗り気だったのに? うちの祖父も楽しみにしていますよ? それとも、私以上の人材が他にいるとでも?」
「そんなのこれからいくらだってっ、」
「お爺様のご病気がそれまで持ちますか?」
「……え?」
 あずさが目を見開く。俊也がわざとらしく大きなリアクションを取り、
「おっと、これは言っちゃいけないんだった」
 と口元に手を遣る。

「……どういう……ことですか?」
 あずさの声が震えた。
 俊也は眉をハの字に曲げ、
「私から聞いたことは内緒にしてくださいね?」
 と、人差し指をあずさの口元にあてた。
「御病気らしいですよ、会長さん」
「……う、そ」
 佳子からは『過労だ』としか聞いていなかった。本人からも、もちろん何も聞いていない。一週間の療養だと言われていたのだ。

「あずささんに心配をかけまいとしたんですかね? 気持ちはわかりますよ」
 腕を組み、うんうんと頷く。
「しかし、だとしたらあずささんはどうです? ご病気の会長……お爺様が望んでいる結婚話。会社での引き継ぎのことを考えれば、結婚は早い方がいいに決まっている。違いますか?」
 ニヤリ、と笑うその顔は、あずさにとって嫌悪以外のなにものでもない笑顔だった。

「……帰ります」
 力なくそう口にすると、
「送りますよ」
 と俊也があずさの腕を掴んだ。

 あずさはその手を、振り払うことが出来なかった。

◇◇◇

「吉宮先輩、おはようございますっ」
 週明け、どんよりした気分で会社に着くと、奥田里美が満面の笑みで出迎えてくれた。彼女が気になっていると言っていた柊俊也が自分の見合い相手だったと、どう伝えればいいものかとずっと悩んでいたのだ。

「おはよう。元気ね。何か言いことあった?」
「やだ、わかりますっ? 聞いてほしいことがありましてぇ」
 珍しく甘ったれた声で、あずさに寄ってきた。
「私が気になってた、彼……覚えてます?」
 急に核心に迫られ、ドキリとする。
「あ、うん」
「先輩がお休みしてた金曜日、私、思い切って彼……あ、柊《ひいらぎ》さんって言うんですけどね、声掛けたんですっ!」
「ええっ?」
「でぇ、その日の夜……えへへ」
 頬を赤らめて言い淀む。あずさの心臓がドクドクと早鐘を打つ。

「……会ったの?」
「そうなんですっ。一緒に夕食を食べてぇ、その後、柊さんの行きつけのお店に連れて行ってもらってぇ」
「……まさか、まだあるの?」
「その先は、秘密ですよぉ」
 バシバシと腕を叩かれる。
 まさかとは思うが、お見合い前日にそんな馬鹿なことを……、

「あ、先輩はどうだったんですか? お見合い」
 ギクリ、と肩が震える。
「あ、うん。まだ……どうなるかわからない……かな」
 苦笑いで返すと、残念そうに
「そうなんだ。後で詳しく教えてくださいね!」
 そう言って自分の席に戻って行った。

 頭がぐるぐるする。
 お見合い前日に、声を掛けられた女性とデートをしていたというのだろうか。しかし、俊也ならやりそうだという考えも浮かんだ。『お互い好きなようにやりましょうよ』と言ったあの言葉は彼の本心に違いないのだ。

 悶々としながら仕事をし、昼を迎える。残念ながら席を外している里美を捕まえることが出来ず、ひとりで外へ出た。近くの喫茶店でランチを食べようと向かったはいいが、今、一番会いたくない人物と鉢合わせてしまう。
「あれ? あずささん!」
 俊也だ。
 また仕事でこっちに来ていたのか。さすがに無視することも出来ず、小さく息を吐き、
「こんにちは。お仕事で?」
 と、当たり前の質問を投げかける。

「そうですよ。でも、もしかしたらあずささんにも会えるかな、って期待してましたけど」
 屈託のない笑顔を向けられ、辟易する。
「あら、会いたかったのは奥田さんではなく?」
 そう詰めると、俊也は一瞬何かを考えるような素振りをし、
「ああ、あの子か」
 と手を叩いた。
「あずささん、知り合いなんですか?」
「ええ。私の後輩なの」
「おっと、それは、」
 まずいな、と言いかけてやめる俊也に、

「どういうことなの? お見合い前日に別の女性と夕飯に行くだなんて、」
「あはは、なにを古風なこと言ってるんですかっ」
 心底可笑しそうに言われ、腹が立つ。
「あのね、あなたがどうでも構わない。でも奥田さんの気持ち弄ぶような真似はっ」
「おお、怖い。わかりましたよ、金輪際会わないようにしますよ、未来の奥様」
「はっ? 誰があんたなんかとっ」
 つい、本音が駄々洩れる。
「まだ決心がつかないんですか? 困った人ですね」
 スッとあずさの腰に手を遣る。
「ちょ、なにっ」
「後ろ、人通りますよ」
 さりげなく自分の方に引き寄せる俊也に、吐き気すら覚える。
 人が通るのを確認し、すぐに離れる。もう、食欲は一切なかった。

 あずさは踵を返すと、
「失礼します!」
 と言い放ち、その場を去った。

 そんな二人を、遠くから見ている人物がいた。見るつもりはなかったのだが、たまたま目に入ってしまったのだ。そして、思う。
「……なんであの二人が、」

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