名前のないその感情に愛を込めて

にわ冬莉

文字の大きさ
上 下
7 / 13

唐突な涙

しおりを挟む
 鳥居の前、佇む人影。
「……だから、ここには来るなとあれほどっ、」
 仁王立ちで待ち構えていた雪光が苦情を述べようとするも、それを遮ってあずさは雪光に突進していた。まさに『突進』という言葉がぴったりな動きだった。早歩きでずんずんと進み、雪光の体にそのままぶつかるようにして頭をぐりぐり押し付けたのだから。

「お、おい、なんの真似だっ」
 戸惑う雪光にはお構いなしに、あずさは雪光の腕のあたりに頭をぐりぐりこすりつけた。
「ちょ、おま……あずさっ」
 あずさの肩に手を置き引き剥がそうとするが、あずさは雪光の腰に手を回し引っ付こうとする。
「わー! なんなんだよ、もーっ!」
 いつの間にか胸に顔を埋められ、雪光は両手を上げ降参の構えを取った。

「雪光、私に何かできること、ない?」
 顔を埋めた状態のまま、くぐもった声であずさが言った。
「は? 勝手に押し掛けた挙句、なんだその質問はっ」
「いいからっ、私にできること、ないっ?」
 声の調子から、あずさがふざけているのではないとわかった雪光が、優しく声を掛ける。

「……なにがあった? 俺でよければ話くらいは聞いてやるぞ?」
 そう言ってあずさの頭を撫でる。
 あずさは抱きついたままの状態で顔だけを上げ、雪光を見つめた。
「私、お見合いした」
「……おお、そうか」
 困った顔で返答する雪光。かまわず続ける。
「お見合いした相手、私の後輩が思いを寄せてる人だった」
「な、なるほど。それはちと面倒だな」
「私、結婚したくない」
「誰か好きな男でもいるのか?」
「違う。結婚を、したくない」
「は?」
「家の事情で好きでもない男と結婚することにも抵抗あるし、そもそも結婚したいと思ってない。まだ仕事頑張りたいし、自由でいたい」

 一度口にしてしまえば、言葉などスルスルと出てくるものだ。今まで溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、あずさは喋り続けた。

「運命は最初から決まってるって言われた。だから逆らって生きるのは愚かだと。言われた通り、決められた運命に乗って生きていればそれでいいんだって。ほんと? ほんとにそう? だとしたら『私』って、なに? 今ここにいる自分が、なんだか藁で出来た人形みたいに思える。雪光のことも、可哀想って思っちゃ駄目なんだって。連れて行かれちゃうから駄目だって。私、雪光にだったら連れて行かれてもいいかもしれない」
「なっ、バカなこと言ってるんじゃないぞっ」
 肩を掴まれ、今度こそ引き剥がされる。

「連れて行かれてもいいなんて軽々しく口にするなっ!」
 険しい口調で、怒鳴られる。
「お前は今、生きてるんだろ? ちゃんとここにいて、意思があって、明日があって。目の前の困難くらい、どうとでも出来るだろうがっ」
 雪光の言葉に、あずさは顔を歪ませた。泣く気などなかったのに、涙が溢れてくる。

「お、おいっ、泣、」
 明らかに狼狽え始める雪光に、あずさは涙を拭いながら、
「ごめ、泣くつもりはなかったんだけど」
 と口にする。だが、一度溢れ出した涙はなかなか止まることがなく、あとからあとから泉の如く湧き出てくる。そのうち、泣いている自分がなんだかおかしくなって、くつくつと笑い始める。泣きながら、笑ってしまう。
 その様子があまりにも異質だったのか、雪光があずさの手を取り、
「おい、しっかりしろよっ」
 と、真剣な眼差しで顔を覗き込む。

 あずさはそんな雪光の顔を見て、よくわからない感情に支配された。
(なんだろう、これは、)
 考えるより先に、動いてしまう。
 自分を見つめる眼差し。目の前にある雪光の顔にそっと触れ、そのまま唇を重ねた。

 目を見開いた雪光は、今自分が何をされているのか理解するのに時間を要していた。なにしろ赤ん坊のころに捨てられてから、こんなことは今まで一度もなかったのだから。しかしこの行為がなんであるかくらい、知っている。これは、つまり、
「っ!」
 驚いて体を離そうとするが、頬に触れていたあずさの手は雪光の首へと絡みついている。がっちりホールドされていた。
「んっ、」
 少し離れては、またくっつく。まるで唇を食むように繰り返されるキス。頭の奥がふわふわして力が抜け始める。快楽などというものを知らない雪光にとっては、初めてのことである。

 気付けば、あずさを抱き締めていた。互いに、求めあうようなキスを交わす。何度も、何度も。
 だが、それは許される行為ではなかったのだ。

パンッ、パシッ

 何かが破裂するかのようなラップ音。それを聞いた雪光が慌ててあずさから離れる。
「……雪光?」
 名を呼ぶあずさに向かって、言い放つ。
「俺はもう、お前の前に姿を現すことはないっ。一刻も早くここを去れ! そして二度と、ここに来るな!」
「……え?」
 驚くあずさをその場に置き去りにし、雪光は鳥居の向こう側に姿を消した。そしてその瞬間、鳥居が、消えたのだ。

 そこはただの山の景色。
 屋敷にほど近い、林道だったのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

忘れさせ屋

水璃 奏
現代文学
「ペットって飼っているときはめちゃくちゃ楽しいけど、死んだときのショックがデカすぎるから飼いたくないんだよなー」と考えていたら思いついた話です。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

泥に咲く花

臣桜
現代文学
裕福な環境に生まれ何不自由なく育った時坂忠臣(ときさかただおみ)。が、彼は致命的な味覚障碍を患っていた。そんな彼の前に現れたのは、小さな少女二人を連れた春の化身のような女性、佐咲桜(ささきさくら)。 何にも執着できずモノクロの世界に暮らしていた忠臣に、桜の存在は色と光、そして恋を教えてくれた。何者にも汚されていない綺麗な存在に思える桜に忠臣は恋をし、そして彼女の中に眠っているかもしれないドロドロとした人としての泥を求め始めた。 美しく完璧であるように見える二人の美男美女の心の底にある、人の泥とは。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

処理中です...