名前のないその感情に愛を込めて

にわ冬莉

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音のない月

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 木曜日、祖父の家に向かう車の中であずさは前日のことを思い出していた。
 里美に振られた後藤正真の泣き言、である。

『いい感じだと思ってたんですよ、自分では。他にも奥田さん狙いの社員がいるってことは知ってたし、だからつい、焦っちゃったんですよね。でも、結局のところこういうのって早い者勝ちっていうか、自分を推していかないといつまで経っても見てもらえないじゃないですか。だったらもう、当たって砕けろ! って気になっちゃって……砕けちゃいました』

「ふふっ」
 思い出して、笑ってしまう。
 別に報告義務があったわけでもないのに、たった一度あずさに『奥田さんのこと気になってるんです』と言った手前、わざわざ結果を教えてくれたのだ。真面目でいい子なのは間違いない。ついでにと言っては何だが、あずさの愚痴まで聞いてくれたのである。
「誰かいい子がいるといいわねぇ、後藤君にも」
 そんなことを独りごちる。

 夜の田舎道は暗い。あずさは慎重に車を運転しながら屋敷に向かった。
「ただいま」
 玄関先で荷物を下ろし中に入ると、テーブルに置手紙がある。そこには祖父の字で
『松田家にいます』
 と書かれていた。
「まったく、おじいちゃんてば!」

 松田というのは祖父である佐久造の幼馴染の家で、週末、こっちに帰ってきている時はしょっちゅう上がり込んで酒を飲む仲である。療養のためにこっちに来ているというのに、もうすっかり元気になって飲み歩いているというわけだ。松田家にいるということは、きっと帰りは午前様に近い。何のためにここまで来たのやら、である。

 ぽっかりと空いた、時間。
 あずさは思い立ち、運動靴に履き替えた。
 外に出ると、大きな月が見える。これなら、大丈夫だろう。携帯と懐中電灯を手に、山の方へと歩き出す。

 足元を照らし、転ばないよう、注意する。月明かりのおかげで、そこまで真っ暗闇、ということもなく進めた。ただ、あの場所に辿り着くとは限らないのだ。
「ううん、多分大丈夫」
 確証など何もなかったが、ただ漠然とそう思いながら、進む。
「ほらね」
 開けた場所に見えてくる、赤い古びた鳥居。そしてその近くには、雪光が立っているのが見えた。あずさに気付くと、腰に手を当て斜め上から睨みつけてくる。

「なんで来た! って言うんでしょ?」
 くすくすと笑いながら近付くあずさ。
「わかってるじゃないか」
 不機嫌そうに、雪光。
「では聞きますが、そういう雪光は、何故ここに? 私が来るってわかって、待っててくれたみたいじゃありませんこと?」
 下から睨み返すと、雪光が降参、とばかり手を挙げた。
「確かに」
 あずさは嬉しくなってズイ、と雪光の隣に並んだ。

「月、見てた?」
「え? あ、まぁ」
「どう思う? 月」
「どうって……綺麗だな、って」
「ふ、ふふふ」
 あずさはニヤニヤしながら笑いを堪えきれなくなる。
「なにを笑ってるんだ?」
 意味がわからず、雪光が訊ねる。
 雪光はきっと知らないだろう。

『月が綺麗ですね』

 夏目漱石が言った、有名なアイラブユーの訳である。

「……雪光って、好きな人とかいなかったの?」
 さすがに進行形にするのは変かな、と、過去形で話を聞くあずさ。多分彼は幽霊……のような存在なので、生きていた頃の話でもいいから聞いてみたかったのだ。  しかし、
「いない」
 三文字しか返ってこなかった。
「もぅ! 素っ気ないなぁ。もう少しなんかこう、ないわけ?」
 更に突っ込むと、思ってもみなかった言葉が返される。

「俺、赤ん坊のころに捨てられてるから」
「えっ?」
 今、目の前にいる雪光はあずさと同じくらいの年齢だ。それに、出会った時の彼も、確か当時のあずさと同じくらいだったように思う。なのに、赤ん坊のころに捨てられた?

「もしかして、前に言ってた姫様に育ててもらったってこと?」
 だとするなら、雪光は神の子ということになるのではないか?
「半分はそうで、半分は違う……かな。俺がここにいることで、瀬織津姫《せおりつひめ》もここにいられる、っていうか」
「どういうこと? 一心同体なの?」
 話が見えず、聞き返す。

「ん~、なんて言えばいいんだろう。俺がこの地に縛られてるうちは、瀬織津姫《せおりつひめ》もこの地にいる、って……わかるか?」
「ごめん、わかんない」
 素直にそう口にする。

 この地に縛られている。その言葉を聞き、最初に思い浮かんだのは『地縛霊』という言葉だ。幽霊かもしれないとは思ったが、まさか地縛霊だったとは……。

「でも、そんな小さい頃になんで捨てられちゃったの? 酷い親がいたもんだわ。っていうか、なんで赤ちゃんの時に捨てられたのにその姿? え? 待って、私が小さい頃に会った時は雪光も小さかったよね? どういうこと?」
 幽霊って、成長するんだろうか、と想像し、首を捻る。そんな話、聞いたことがない。

「ああ、俺の姿が違って見えるのはおま……あずさの思念に反応してそう見えているだけだと思う」
「うわぁ、名前呼び」
 久しぶりの名前呼びに嬉しくなって顔を覗き込むと、雪光が照れたように顔を逸らした
「やめろよっ」
「んふふ」

 不思議な存在だ。幽霊なのか神様なのか、よくわからないモノ。けれど、恐ろしさは微塵も感じず、まるで幼馴染と話しているかのような妙な安堵感。

「で、お前は何しにここに来たんだよ。こんな時間に」
「ああ、私は……、」
 急にモヤっとした何かが心の中に渦巻き始める。
 親の言いつけで見合いをするためにここに来ました、と言おうとして、やめる。きっと雪光はこんな話に興味などないだろうと思ったからだ。ふぅん、で済まされてしまうことが、なんだか嫌だったのだ。

「私は……月が綺麗だったから」
「は?」
「雪光と一緒に、月を見たかったのかも」

 空を見上げる。
 鳥居の上に、丸い月が美しく輝く。流れゆく時間が、心地よかった。
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