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婚約者

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「……陛下、今なんと申されました?」

 いつになく真面目な顔の国王を前に、リース卿《きょう》はしばし放心状態であった。やっとの思いで口を開き、飛び出した言葉。自分で言うのもなんだが、叫び出さなかっただけ、偉いと思う。

「そう驚くこともあるまい? 何も今すぐという話ではない。ゆくゆくは、の話だ」
「しかし、グランティーヌ様はまだ十歳ですぞ? そのような話を今なされても、」
「ティン、……いや、グランティーヌとて自分の立場くらいわかっているだろう」
「……それは、そうでしょうが……」
 と、口にはしたものの、本当に理解しているのかどうか、疑問である。さすがにそうも言えず、黙って頷く。

 リース卿。御歳六十七歳だが、これでもれっきとした学術者であり、国王ジーア、グランティーヌと王家二代に渡っての教育係兼「じい」である。デュラの次くらいに大変な毎日を送っている人物なのだが、国王同様グランティーヌをこよなく愛するその心ゆえ、苦労を苦労と思っていない節がある。リース卿から見ればグランティーヌは孫のようなものなのだから、無理もない。

「グランティーヌを自由にさせたい気持ちは山々だ。だが、私の血を引くものはティン以外にはないのだし」
「……はぁ」
「正式な婚約を交わすまで、まだ数年ある。それまでゆっくりと相手と付き合ってみればよかろう」
「……グランティーヌ様が……婚約」

 リース卿の心は複雑な思いで一杯だった。彼女が大人になることなど有り得るのだろうか、という不安や、晴れ姿をこの目で見たいものだ、という希望や、もちろん、婚約者に対しての同情の念も。

「ティンには折を見て私が話す。実は二人を逢わせる為の準備も進んでいるのだよ」
「準備?」
 キラリ、ジーアの双眸が悪戯な光を宿す。こういう所はちっとも変わりゃせん、と心の中で溜息をつく。

 何故溜息か?

 リース卿はジーアの教育係もやっていたのだ。グランティーヌの傍若無人っぷりは正に父親譲りである。つまり、ジーアがああいう顔をするときはろくでもない企みを抱いているのだということをリース卿は誰よりもよく知っているのだ。

「で、そのお相手というのは誰なのです?」
 一生グランティーヌに振り回され続けるであろう哀れな子羊の名を尋ねる。
「ああ、相手か。実はな……」
 ごにょごにょごにょ、
「ええっ! あのカナチスの双子っ? 陛下っ、国を売るおつもりですかっ!」
 リース卿が叫ぶ。
「私も初めはそう思った。だが、それも有りかなー、とも思うわけだ」
「お言葉ですが、陛下、グランティーヌ様がこの話を納得するとお思いなので?」

 隣国カナチスには双子の王子がいる。これがまたグランティーヌに匹敵するほどの人物であるという噂が最近特に目立って伝わってきている。やることなすこと無茶苦茶で、誰も手をつけられずにいるのだ、と。

「ティンはこの国を継ぐ者だ。そのくらい本人とてわかっているであろう」
「しかし、陛下……グランティーヌ様がもう一人増えるような結果になったらどうするおつもりで?」

 しばしの、間。

 そして何事もなかったかのように会話は進む。要するに『おとっつぁん、それは言わない約束だろ?』ってやつである。

「上手く行けば何よりだと思っている。くれぐれも慎重に頼むぞ、じい」
「……承知しました」
「それから、今の話は。いいな?」
「心得ております」
「……あのグランティーヌも、年頃になれば少しは女らしくなるだろうて」
 希望的観測だということは重々承知なのだが、そう心から願わずにはいられない二人なのである。
「どうして王妃様に似なかったのでしょうかねぇ?」
 ポロ、っとリース卿が漏らした。
「それは言うなよ、じい」
 自覚ありの父。

 グランティーヌの双眸は母親そっくりである。菫色の長い巻き毛も、緑色の大きな瞳も、小さく赤い唇も。ただ、性格だけが父親に似てしまったのだ。

「言いたくもなります。あのような可愛らしいお姿でありながら、やることなすこと全てが陛下のお若いときとそっくりなのですから」
「……じゃあ聞くが、顔が私似で性格がサナだったらどうする?」
 ごつい骨格、太い眉毛の聡明な王女。
 二人は顔を見合わせた。
「……そ、それも困りますなぁ」
「グランティーヌにはサナの分まで元気に、逞しく育って欲しいと思っていたが……少々逞しすぎてしまったなぁ」
「ですなぁ」

 婚約など、もっと先でもよかったのかもしれない。が、かつての約束を思い出し、ジーアは目を細めるのだった。
 
*****

「なっ、なんですってぇ?」
 国境近くで馬車を止め、初めて家出の理由を聞かされたデュラ。そして向かっている先に何があるのかを知ってしまった今、彼は頭が真っ白になり思わず神に祈ってしまった。

(我を導きたまえっ!)

「な? ひどい話であろう?」
 グランティーヌは自分に非はないどころか「私は可哀想な女」と言わんばかりの勢いで喋り捲っている。デュラは、自分が今やっていることと、これから起こるかもしれないひと騒動を考え、すっかり血の気が引いていた。
「わらわとて恋愛する自由があるのじゃ。それを無視して婚約者を立てるなど、自由恋愛を満喫した父上らしからぬ馬鹿げた行為なのじゃっ!」
「いや、しかし、」
「大体、何でカナチスの王子なのだ? 父上はわが国を売るつもりなのかっ?」
「姫、」
「わらわはそんなの断じて許さんっ!」
「……はぁ、」

 もはや言葉もない。
 カナチスの王子は双子だと聞く。一人が国を継ぎ、もう一人がフラテスの国王となる。カナチスの王子としてはこれほど美味しい話はなかろう。兄弟でのつまらぬ権力争いもなくなるのだから。
 しかし、どうしてカナチスの王子なのかは確かに謎だった。グランティーヌにとって、いや、フラテスにとってどんな利があるというのか……。カナチスの王子は悪い噂ばかりだというのに。

「わらわは決めたのじゃっ」
 グランティーヌが拳を握り締める。
「……なっ、何をです?」
 顔の筋肉が引きつる。
「せっかくここまで来たのじゃ。このまま城に殴り込みをかけるぞっ!」
「はぁ?」
「直々に婚約破棄を申し出るのじゃ!」
 とんでもないことを口にするグランティーヌを前に、デュラは頭を抱えた。

(なんでそうなる……)

 言われるがままに家出の片棒なんか担ぐんじゃなかったのだ。ちょっと馬車を走らせて、気が済んだら帰ればいい、などと安易に考えていた自分を、心の底から後悔したのである。
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