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病院職員たちの昼時の日常7
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「後ろ足部分があるだろ。ここ、尻のあたりな。ばねになるように折り返しをしてるんだ。だからここの、すみっこを少しだけ……指を滑らせるようにしながら押してやると……ほら、跳ぶだろ」
「本当ですね。これは面白い」
「これを教えた犬飼さんって、元保母さんとか、そういう仕事してたのかなあ。子だくさんママさんってのもありそうな気がするけど。いいチョイスだよ。語呂合わせにもなってるし、できた後で遊べるっていうのもいいよな」
「病棟は電子機器の持ち込みが禁止されていますから、読書ができない入院患者には退屈しのぎになりえますね。病院側にとっても、これは好ましいものです」
桐生さんの言い方だと、まるで楽しくなさそうに聞こえるが、本人は興味深げにカエルを見ているから良しとする。
「んじゃ、どうするよ。さっさとメシ食って、3階病棟いっとく?」
「A~Cまでありますよ。どこの病棟か分からないのに行くつもりですか?」
そうだった。
3階はICUを含め、重症患者が多く入院している。
よってICU以外は全て個室だ。
看護部直結のナースステーションはどのフロアよりも大きく、各部屋の変化にいち早く対応できるよう、看護師の数も多い。
心身ともにタフなスタッフが集まる3階からは、常に怒声が聞こえてくる。一刻を争う症状に対し、迅速に的確な判断を下さなければならないからだ。医師がいない時、あるいは医師が来るまでの間をどう乗り切るか、そこにいる看護師たちはよく知っている。
救命センターと3階の看護師だけは絶対に怒らせてはいけない。
これは、事務員たちがここに配属された時に最初に覚える事だ。
「あそこの看護師さん、こえーからなあ……」
配属されたばかりのころ、美人の看護師さんとの出会いを求め、迷ったふりをして3階に行ったところ――ベテランのマダム看護師に強烈に怒られたのは、いい思い出だ。
「怖いですか? 常に緊張感をもって業務に取り組まれている、好ましい方々と思っていますが……」
「桐生さんは特別だろ。雰囲気イケメンだし、仕事できるし」
「前半も後半も、言いたいことはありますが……」
突然、桐生さんが言葉を切った。
珍しい。
どうしたのかと思ってみていると、私のすぐ脇を見ている。つられてそちらを見ると、クロネコがいた。
もちろん、店内ではない。
ガラス越しの外側だ。
「お、さっきぶり!」
と、つい声をかけてしまった。
猫はこちらに目を向けて、にゃあと鳴いた。
そのとたんに桐生さんが目を見開いた。
分かりやすく驚いているからこっちの方が驚いた。
「なんだよ、こんな風に声かけたら変か?」
「いえ、そうではなく……見えて……いるのですか」
「見えてるぞ?」
クロネコは平和そうに目を細めている。
「ほーら、桐生さんが変なこと言うから、笑ってるじゃねえか」
「……本当に、見えているのですね」
「見えてなかったらおかしいだろ。何言ってんだ?」
全く分からない。
「それより、そこにいさせておいて、いいのか?」
病院職員としては、猫を追い払うべきだとはわかっている。
だが、できる事なら、そっとしてやって欲しいという気持ちもある。
実は私は猫が好きなのだ。
「……見えているのですか。ええ、そこにいていただいて、構いません。先方がそれを望まれているのでしょうから」
さすが桐生さんだ。猫相手にも丁寧な言葉遣いは崩さない。
私はそう思って、心から感心していた。
だが後に、お互いに大きな間違いをしていたと気づくのだが、この時には……私にも桐生さんにも、全く分からなかった。
「本当ですね。これは面白い」
「これを教えた犬飼さんって、元保母さんとか、そういう仕事してたのかなあ。子だくさんママさんってのもありそうな気がするけど。いいチョイスだよ。語呂合わせにもなってるし、できた後で遊べるっていうのもいいよな」
「病棟は電子機器の持ち込みが禁止されていますから、読書ができない入院患者には退屈しのぎになりえますね。病院側にとっても、これは好ましいものです」
桐生さんの言い方だと、まるで楽しくなさそうに聞こえるが、本人は興味深げにカエルを見ているから良しとする。
「んじゃ、どうするよ。さっさとメシ食って、3階病棟いっとく?」
「A~Cまでありますよ。どこの病棟か分からないのに行くつもりですか?」
そうだった。
3階はICUを含め、重症患者が多く入院している。
よってICU以外は全て個室だ。
看護部直結のナースステーションはどのフロアよりも大きく、各部屋の変化にいち早く対応できるよう、看護師の数も多い。
心身ともにタフなスタッフが集まる3階からは、常に怒声が聞こえてくる。一刻を争う症状に対し、迅速に的確な判断を下さなければならないからだ。医師がいない時、あるいは医師が来るまでの間をどう乗り切るか、そこにいる看護師たちはよく知っている。
救命センターと3階の看護師だけは絶対に怒らせてはいけない。
これは、事務員たちがここに配属された時に最初に覚える事だ。
「あそこの看護師さん、こえーからなあ……」
配属されたばかりのころ、美人の看護師さんとの出会いを求め、迷ったふりをして3階に行ったところ――ベテランのマダム看護師に強烈に怒られたのは、いい思い出だ。
「怖いですか? 常に緊張感をもって業務に取り組まれている、好ましい方々と思っていますが……」
「桐生さんは特別だろ。雰囲気イケメンだし、仕事できるし」
「前半も後半も、言いたいことはありますが……」
突然、桐生さんが言葉を切った。
珍しい。
どうしたのかと思ってみていると、私のすぐ脇を見ている。つられてそちらを見ると、クロネコがいた。
もちろん、店内ではない。
ガラス越しの外側だ。
「お、さっきぶり!」
と、つい声をかけてしまった。
猫はこちらに目を向けて、にゃあと鳴いた。
そのとたんに桐生さんが目を見開いた。
分かりやすく驚いているからこっちの方が驚いた。
「なんだよ、こんな風に声かけたら変か?」
「いえ、そうではなく……見えて……いるのですか」
「見えてるぞ?」
クロネコは平和そうに目を細めている。
「ほーら、桐生さんが変なこと言うから、笑ってるじゃねえか」
「……本当に、見えているのですね」
「見えてなかったらおかしいだろ。何言ってんだ?」
全く分からない。
「それより、そこにいさせておいて、いいのか?」
病院職員としては、猫を追い払うべきだとはわかっている。
だが、できる事なら、そっとしてやって欲しいという気持ちもある。
実は私は猫が好きなのだ。
「……見えているのですか。ええ、そこにいていただいて、構いません。先方がそれを望まれているのでしょうから」
さすが桐生さんだ。猫相手にも丁寧な言葉遣いは崩さない。
私はそう思って、心から感心していた。
だが後に、お互いに大きな間違いをしていたと気づくのだが、この時には……私にも桐生さんにも、全く分からなかった。
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