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大病院のささやかな日常2

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「はい。患者様は無事です」
 
 だから、そうじゃないだろ。
 絶対にどこか痛いはずだ。
 ところが私がそれを指摘するより前に、真っ青な顔の搬送担当の女性がやってきた。

「申し訳ございませんでした。私が不注意なせいで……」

 今にも泣き出しそうだ。
 様子からして、アルバイトだろう。まだ若そうだ。
 ところが、それに負けじと母親の方が声を張り上げた。

「何をおっしゃるんですか。突然飛び出したこちらが悪いんです。病院の中は走ったらダメだって言っているのに……ご迷惑をおかけして申し訳ありません。お怪我はありませんか」

 母親が桐生さんに深々と頭を下げている。

「わたしは問題ありません。お子さんの点滴の針、動いてはいませんか? 子供の血管は細いので切れてしまっては大変です」
「あ、ええ。大丈夫です」
「確認もせずに安易に大丈夫と答えているようですが、大丈夫と思う根拠はありますか」

 だから桐生さん、心配しているのはわかるから、そんな怖い顔で畳み掛けるな。
 若いお母さん、完全に気圧されている。

「あーすみませんね、失礼しますよ。はーい、おにいちゃん大丈夫かな? 怖かったねえ」

 私は男の子の前にしゃがんで目の高さを合わせた。
 ちなみに、桐生さんのこの一連の会話は立ち上がってのものであり、真剣に患者さんの体を心配しているのでいつも以上に凄みが増している。

「……うん。へいき」

 男の子に「おにいちゃん」と言ったのは、若い母親が赤ちゃんを背負っていたからだ。
 上の子が入院していてその見舞いにやってきたってところだろう。
 下の子は母親の背中で好奇心いっぱいの顔でこっちを見ている。
 よしよし、この状況でなき出さないとは、君は将来大物になるぞ。

「よーし、平気かー。どこも痛いところないかー。良かったなあ」

 満面の笑みで男の子の腕をさりげなくチェックする。
 針を固定するためのバンドはしっかりとついている。その先のテープが動いた気配はない。
 すげえな桐生さん。点滴している腕を庇いつつ、男の子を守ったと。

「点滴してる方の腕も痛くないね?」
「うん」
「良かった良かった。でも怖かったよなぁ。びっくりしちゃっただろ」
「うん。あのね、ぼく、りょうくんに、べビーカーもってくるんだよ」

 後ろの方で、桐生さんが「りょうくん?」と、つぶやいていたが、今は仕方ない、無視する。

「そうかー。弟くんはりょうくんっていうのか。君のお名前は何て言うのかな?」
「コウ」
「そうっか。コウくん、えらいなあ。ママにベビーカー持ってきてあげようと思ったんだな。お手伝い、すごいじゃないか」

 それまで涙ぐんでいた男の子の顔が明るくなる。

「あー、すみません、搬送さん」

 青ざめたまま立ちすくんでいる搬送スタッフに声をかける。そんな飛び上がるほどびっくりせんでも。
 まあ、しかたないか。
 脅かさないように、言ってやるしかない。

「正面玄関のところに貸出のベビーカーがあるから持ってきてあげてください」
「え、あ、はい!」

 こくこく頷いて走ろうとする。

「あー、走らないで。おっけー?」
「はい!」

 よしよし。

「それで、びっくりしちゃったコウくんに、ちょっとお願いしたいんだけどいいかなあ」
「うん」
「今みたく走ってくると、みんなびっくりしちゃうから、通路に出るときは右と左、見てからにしようって、弟のりょうくんに教えてあげてくれないかな」
「うん」

 なかなか素直ないい子じゃないか。おかあさん、あんた良い子育てしてるよー、うんうんと頷いているところに、騒ぎを聞きつけた外来の看護師長がやってきた。
 おお、良かった、ついてる。
 外来の看護師長は3名いるのだが、今きてくれたのは、その中で一番話しやすい幸田師長だ。

「ちょっと、大丈夫? あっちの方から見てたんだけど、肝が冷えたわ」

 あっちの方、とは、カフェ入り口から正面玄関を挟んだ反対側、総合受付のことだろう。総合受付には代わる代わる看護師長が立ち、患者のありとあらゆる質問に答えられる体制になっている。
 総合案内に人がいないと困るんじゃないかと思ったが代わりの看護師が立っていた。流石だな。感心している間に、桐生さんが師長に状況を説明していた。
 いつもながら、適切で無駄のない説明だ。
 幸田師長はそのあいだに男の子の腕の様子を確認し、他にも怪我がないかチェックしていた。

「良かったわ。それにしても、桐生さんのおかげね。どこか痛くしてない?」
「問題ありません」
「そう、何かあったら、看護部にきてね。じゃあ、患者さんは小児科の処置室に行きましょうか。大丈夫そうですけど、念のため、怪我がないか確認しないとね」

 師長はそう言って、男の子の手を引いて立ち上がる。ベビーカーはその間にはもう到着しており、お母さんはそこに弟君を座らせていた。

「ほんと、事故がなくて良かった。友利さん、悪いんだけど、片付けお願いねー」

 看護師長は私の手元とその周辺を指さしてにこやかに立ち去ってしまった。
 どういうことですかと呼び止めるために手を上げて、ようやく気づいた。
 私は、大地震に備えてと書かれたチラシを持ったままだった。無意識のままに掴んだまま行動していたらしい。それを見て、私が片付けを積極的にしてくれると勘違いをされたようだ。
 待ってくださいよ師長。
 散らばっているちらし、種類も豊富で量も多い。マジでこれ、一人でやるのか。
 市内の小冊子やチラシは膨大な量だ。恨むぞ広報課。

「まじか……これ、かたづけんのか」
「友利さん、早く動きましょう。店の迷惑です。早急に行動してください」

 桐生さんは既に動いている。
 おおっ、助かる。
 しかも桐生さんは動きが早い。すでに半分近くのチラシを回収していた。流石、できる男は何をやらせてもできる。
 ふと見ると、カートの中にまで落ちている。
 それをまとめて拾い、倒れたラックを戻して並べ直した。

「桐生さん、申し訳ありませんでした」

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