探偵と助手の日常<短中編集>

藤島紫

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雨の日のゲイシャにご用心ください。

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「何を熱心に見てるんだ?」

 戻ってきた紗川が接客用のテーブルにコーヒーミルを置きながら尋ねてきた。

「友達からのメッセージなんですけど……ちょっと気にかかるんです」

 カリタのコーヒーミルにカラカラと豆を入れながら、紗川は視線で続きを促してきた。

「ダイキ――友達の名前なんですけど、そいつ最近、彼女とすごく盛り上がってたんですけど。なんか喧嘩してるみたいで」
「なるほど。そのダイキ君とやらにコンドームを使っているかどうか確認を取れ。それはマナーだ」

 彼女のことを話す顔はまさに「鼻の下が伸び」ていた。思い出すだけで笑ってしまう。

「あはは、先生、そんな真面目な顔で言わないでくださいよ。ダイキのにやけヅラと全然噛み合わなくておかしくて」
「笑い事じゃない。その歳で妊娠したら大変なことになる」

 紗川はコーヒーを挽く手を止め、三枝をじっと見ている。
 どうやら本気で言っているらしい。

(マジか)

 普段はうるさいことを何一つ言わない紗川が、学校の教師のようなことを言うとは思わなかった。
 紗川は女性にはとことん甘い。
 金があってルックスがよければ女性の方から寄ってくる。彼女はいるが、誘ってくる女性があまりにも多いのだ。
 そんな紗川が恋愛関係で硬い事を言うなんて思ってもみなかった。
 ほんの少し、この上司を見直してやってもいいかもしれない。

「彼女のことが大切なら、指先を清潔にすることと避妊は絶対に必要だ」
「そうなんですか?」
「当然だ。雑菌だらけの手に、感染症の菌がいたらどんな病気を発症するか分からない。性感染症を防ぐためには手を清潔にすることとコンドームを使用することが効果的だ。また望まない妊娠を強制的に中断する行為は女性への肉体的精神的負担が非常に大きい」

 紗川が言っていることは正論だが、面と向かって言われるとどう反応していいのか分からない。
 同級生の間の下ネタや冗談とは違う、リアルすぎる話だ。

「だから彼女を大切に思うなら当然だと言っているんだ。わかったな」
「……」

 まさかこんなことを言われるとは思ってもみなかった。
 大切なことではあると思うが、同時に照れくささもあった。

「……みょうに熱心ですけど、経験者ですか?」
「怒るぞ?」

 三枝は素直に引き下がることにした。照れくささでごまかしてしまうと、本気で怒られそうだ。

(それにしても珍しいなあ……先生が最後まで聞かないで話し出すなんて。まあ、それだけ心配してくれたんだろうけど)

 三枝が照れくささをどう隠そうかと思っていると、キッチンから湯が沸いている音が聞こえてきた。
 火を止めるために紗川がキッチンに向かっている間に、なんとか気持ちを落ち着けることに成功した。
 紗川がコーヒーケトルと道具一式をもって来た。
 今日はペーパーフィルターではなく、布のドリッパーだ。ネルドリップは扱いが難しいが、その分、味がクリアになる。
 華やかで品のいい酸味のために、手間をかけることにしたのだろう。
 紗川はガラスのポットにドリッパーをセットし、挽いた豆を入れると一刺しだけ湯を落すと、蒸らすためにケトルを一度置いた。

「付き合いはじめで盛り上がっているとき、喧嘩の原因はそういうものが多い。学生のころ、さんざんな目にあったからな。すまなかった、厳しく言い過ぎたか?」
「いえ」
「あらかじめ言っておくが、僕や君が知っている僕の友人たちが起こしたトラブルではないぞ? 君も今まさに経験している通り、火の粉は飛んでくるものだ」

 面倒なトラブルに巻き込まれたのだろうか。ひょっとしたら、なんらかしらの事件で探偵役を押し付けられたのかもしれない。
 今でこそそれを仕事としている紗川だが、学生の頃は違っていたはずだ。

(先生は探偵の仕事をしたくてしているわけじゃなさそうだからな……)

 どちらかというと、義務や責任感で動いているように見える。

「まあ、先生が心配してることは……その通りで。たぶんダイキたちは大丈夫だと思うんですけど。でも、今喧嘩になってるのは、そういうのじゃないみたいなんです」

 蒸らしが終わったのだろう。
 コーヒーケトルを持ち上げた紗川は、細い注ぎ口から優しく湯を注ぎ始めた。
 円を描くように湯が落ちる。
 焦げ茶色の泡のドームがふわりと膨らみ、これまで嗅いだことのないコーヒーの香りが漂い始めた。
 コーヒーの香りに間違いはないのだが、確かに、花が咲いているような香りでもある。

「そういう盛り上がり方をしているとき、それ以外の喧嘩要因はたいしたものではないことが多いのだが……」
「その一言に先生の経験数を見た気がします」
「君は誤解しているようだが、僕は誠実な男だ」

 紗川が彼女をとても大切にしているのは知っている。
 何しろ、彼女が好きだと言った、それだけの理由で1000万を超える車を買ってしまったほどだ。

「分かってますよ。でも、俺もあのラブラブの二人が喧嘩するなんて思えないんですけどね」

 事務所はコーヒーの香りに包まれていた。
 心が落ち着いてくる。
 穏やかに湯をさしながら、紗川は苦く笑った。
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