探偵と助手の日常<短中編集>

藤島紫

文字の大きさ
上 下
59 / 89
花咲く切り飴、ころころ。

5

しおりを挟む
 そういえば、ベビーカーを押している女性を見かけたところから、この話が始まったのだった、と思い出した。
 紗川に子供時代があったことに衝撃を受けてしまい、すっかり忘れていた。

(うん、子供時代……あるのが当然なんだけどさ。先生の子供時代って、ほんっと、想像できないんだよな。喫茶店に一人で昼を食べに行く高校生って……普通じゃないだろ)

 せいぜい、ファーストフードだ。

「美人でしたか?」
「こっちは2階の窓から見ているんだぞ。そんなことが分かるわけがないだろう」

 紗川は苦笑していたが、美人だったに違いないと三枝は思った。

「道路を挟んだ反対側に、春に建ったばかりのマンションがあったんだが、彼女はそこの住人だった。決まった時間に出かけるらしく、僕が食事をしているとエントランスから出てくる」
「よく見てましたね」

 紗川は三枝の考えていることが分かったように首を振った。

「日中の温かい時間に散歩に行くことにしていたんだろう。平日の昼食時とはいえ、、同じ道を何度も往復していたら、目についてしまうだろう?」
「え、何でその人、そんなことしてたんですか」
「さて……どうしてだろうな」

 紗川の吐息が白い蒸気となって宙に消えた。












 高校三年生の紗川がその母子に気がついたのは、喫茶店に入り浸るようになってから、そう何日もたたない頃のことだった。
 以前から勉強の時に利用していたのだが、受験シーズンになって毎日利用するようになった。
 店に入ると、いつもの店員に挨拶をすると慣れた仕草で窓際のカウンターに着く。店員も慣れたもので、紗川が荷物を置くなり「ご注文は?」と問いかけてきた。

「エビグラタンとブレンドをお願いします」
「いつものですね」

 にこやかに答える店員に紗川は頷く。
 よほどのグラタン好きと思われているに違いない。
 しかし、実際のところは、これが一番価格に見合う味というだけの話で、格段に好きだというわけではない。

(だが、音楽の好みは悪くない)

 それまで誰もいなかった店内に紗川という客が来たからだろう。耳障りの良い洋楽が流れてきた。時折、CDを入れ替えている様子を見るに、その日の気分でかけているのだろう。
 勉強道具をかばんから出しながら、ふと窓の外に目をやると、建ったばかりのマンションから、ベビーカーを押している女性の姿が見えた。
 夏は街路樹の葉で隠れていた視界が、冬になってひらけた。
 新築マンションの前だから、子供をつれた若い女性の姿はけして珍しくはない。
 だから毎日見ていなかったら、あるいはその時間に何度も道を眺めることがなければ、気づかなかっただろう。
 ベビーカーに乗せられているのは、赤ちゃんというよりも、もう自分で歩くことができそうな年の頃の子供だった。
 子供はベビーカーから降りて歩きたいのか、いつも手足をじたばたと動かして暴れていた。ベビーカーから下ろしてやれば、つたない足取りで走りだすかもしれない。
 ところが、母親は子供を下ろさない。
 ベビーカーの前に回っては何かを話して再び押し始める。子供はぐずって泣き、より暴れることもしばしばだったが、母親はけして下ろしはしなかった。
 子供が道路に飛び出たら危ないからだろう、最初はそう思っていた。

(またか……)

 数式をいくつか解き終え、再び窓の外を見た時、先ほどの母親が坂を降りようとしていた。
 先程もその坂を下りていた。
 つまり、一度坂を下りて戻り、もう一度下りていることを示している。
 紗川は眉を寄せた。
 勤めて気にかけないようにしながら、次の大問に取り掛かった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

彼女が愛した彼は

朝飛
ミステリー
美しく妖艶な妻の朱海(あけみ)と幸せな結婚生活を送るはずだった真也(しんや)だが、ある時を堺に朱海が精神を病んでしまい、苦痛に満ちた結婚生活へと変わってしまった。 朱海が病んでしまった理由は何なのか。真相に迫ろうとする度に謎が深まり、、、。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...