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花咲く切り飴、ころころ。

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「何をです?」

 紗川も先ほどの母子を見送っていたらしい。

「昔、あんなふうにベビーカーを押して歩いている人を度々見かけたことがあった。話しかけることはなかったが」
「美人の若奥様だったから見とれてたんですか?」
「まあ、美人ではあった」
「人妻に手を出したらダメですよ」

 含むように頷く三枝に、紗川は苦笑した。

「君が思っているようなことはないよ」
「じゃ、なんなんですか? 事件関係だったとでも?」
「事件じゃないな」
「ほーらやっぱり。見とれてたんですね。駄目ですよ、人妻に手を出しちゃ」
「あのな。じゃあ、事件だったといった方がいいのか?」
「無理しなくていいですよ」
「やれやれ。あれは、事件は事件でも、殺人未遂事件だったんだ」

 三枝はぴたりと足を止めた。

「事件なんですか? どんな?」
「未遂だし、事件というほどのものではないよ。それに、もしあれが成功していたとしたら、事故扱いされただろうしね」

 事務所への帰り道、紗川は昔の話をゆっくりと語りだした。









「あれは、僕が高校3年のころだ」
「高校3年? じゃあほとんど今の俺と同じくらいなんですね。それで人妻に……」
「いい加減にそこから離れろ」

 えへへ、と笑うと、紗川がため息をつく。

「冬休み、昼はいつも近くの喫茶店で勉強していた。一日中家で勉強しているよりも、外で昼食をとりながらするほうがいい気分転換になって効率がよかったからだ」
「予備校は行かなかったんですか?」
「翠さんが勉強を教えてくれていたからな。必要なかった」
「そうなんですか」

 今日購入した飴は、彼女のためのものだ。
 高校生の頃の紗川が勉強を教えてもらっていたというのが意外に感じた。

「僕に株を教えてくれたのも翠さんだぞ」
「えっ! だって、先生って自分で大学の学費払えちゃったくらい、株で稼いだんですよね。それを教えてくれたのが……従姉の翠さん……」

 紗川がくつくつと笑う。

「彼女以上に頭のいい人に会ったことがない」
「先生より、ですか?」
「彼女に会えば、僕は小物に見えるだろうね」

 そんな人が本当にいるのだろうか。
 うなずくことができずにいる三枝に、紗川は肩をすくめるだけだった。

「それにしても、毎日のように喫茶店、ですか。よくそんなにお金がありましたね。どのくらい貯金があったんですか?」
「海外留学しようとでも思わなければ、毎日のように喫茶店に通っていても大学の入学金を十分に賄える程度だね」
「うわ、ヤな高校生だ」

 そこまで聞いた三枝が顔をしかめる。

「喫茶店で昼食をとるくらい、君だってするだろう?」
「そうじゃなくて、自分の金で大学に行くところが。うちの親に言ったら絶対見習いなさいって言われますよ」
「全額とは言わないまでも三枝君もいくらかは自分で払えばいい」
「あ、無理です。俺もらった給料は増やすより使っちゃう方なんで。あと、株取引は自分の性に会う気がしないんですよ」
「ギャンブルのように感じるのか?」
「まあ、ギャンブルとは違うと思ってますけど、でも、企業にとっては大事な資本金ですよね。それを目先の利益のために売り買いされてるって思うと……」
「その考え方は、あまりにも浅はかだ」
「そうなんですか?」
「経済を回すことは社会にとってプラスだ。しかしどのような回し方でもいいわけではない。だから株を買うときも、その企業の活動がどのように社会に影響するのか、あるいはどの程度の需要を満たすことができるのかを考える。世の中の役に立つサービスを提供できる企業には、生き残ってもらいたいからね」
「金儲けのためじゃないってことですか?」
「多くの人にとって利益があるようにすることが、自分の利益を生む。それだけのことだ」

 それは自分の損にはつながらないのだろうか。
 紗川の意見は、まるでお人よしの理屈のように聞こえる。
 もちろん、紗川は理性的に考えて行動しているのだろうし、その結果利益が出ているのだから、間違っているわけではないのだろう。
 しかし自分が同様の考えをもって行動できるかどうかは自信がなかった。
 多くの人にとって利益があることが、自分にとってより大きな利益につながる、というのは、それだけ多くの労力を割くという事だ。
 利益を得るほかの人々の分の労力を自分が払う――言葉にすればたやすいが、実践は難しい。紗川は相当量の情報を集め、分析し、考えたはずだ。
 三枝には、それだけの代償を支払える自信がない。
 確かにアルバイト料をためて、それを元手にすればある程度の運用は可能かもしれないが、自分の利益だけを追求するやり方以外には、できそうにない。

「えーっと……。そうだっ! それよりその喫茶店、教えてくださいよ。先生が入り浸ったくらいだから美味しいとか安いとか、あるんでしょ?」
「雲行きが怪しくなってきたからごまかしたな?」
「いやあ」
「まあ、いいだろう」

 紗川は少しばかり遠くを見た。

「残念ながら、その喫茶店を気にいっていたのは、値段が安い、コーヒーがうまいと言う理由ではない。どちらかというと全体の価格は高めだ。ランチメニューもないから、昼時は周辺のレストランと比較すると高くなる」
「じゃあ、よっぽど食事が美味しいとか?」
「いや、味は普通」
「コーヒーも特に美味しかったわけじゃないんですよね……あ、じゃあ、豆の種類が豊富だったとか? ゲイシャとかトラジャとかあったら珍しいですよね」

 紗川は無類のコーヒー好きだ。
 これが正解だろうと思ったのに首を振る。
 三枝は首をひねった。

「じゃあ、何でそこがよかったんですか?」

 何一つ、いいところがないではないか、と思っていると、意外な答えが返ってきた。

「空いてたから」

 つまり、何ひとついいところがないから、人が入らなかったのだろう。

「よほど繁盛しなかったんだな。僕が大学に入ってすぐにつぶれたよ」
「うわ……よくそんな店に行ってましたね」
「その喫茶店は道路に面したビルの二階にあったんだが、昼時も静かだったから勉強がはかどった」
「静か……誰もいなかったわけですか……」
「おかげで、いつも窓際のカウンター席に座ることができた」
「あ、それ、なんだか判る気がします。お気に入りの席ってありますよね。それに、勉強して煮詰まってきた時に外が見えるってすごく大事」

 紗川は笑って頷いた。

「冬の街路樹は、葉もすっかり落ちて枝だけで寂しげなんだが、整然と並んでいるさまはそう悪くない。その窓から見える景色は、夏場は青々と茂った葉だけなんだが、冬には枝の隙間から街の往来が見える」

 高校生の紗川が見ていた景色を想像してみる。
 人のいない喫茶店。建物の二階の窓の外には枯れ枝。
 うまくもないコーヒーを飲みながら、勉強をして、ふと外を見ると、枯れ枝の隙間からは人々の往来が見える。
 そんなところだろうか。

(なんか……高校生の先生って、ものすごく想像しにくいな)

 今の姿のまま、喫茶店にいる姿は想像できるが、高校生が一人でそんな喫茶店にいるのを想像するのは無理があった。

(ほんっと、可愛げのない高校生だったんだろうなあ……)

「どうした」
「え……あー……可愛くない高校生だったんだろうなって」
「そうか?」

 紗川は風で乱れた前髪を整え、首を傾げた。長い指に髪が絡みながら落ち、輪郭を縁取る。

(うわあ……女の子好きそうだなあ、このポーズ。少女漫画とかでありそうだもん、かっこいい男のポーズとかでさ、こういうの)

 まさに、正面からやってきた女性が紗川を見たとたんにスマホを打ち出していた。

(何かつぶやいてるのかなあ、ツイッターとかラインとかで。かっこいいヒトいた! とか。盗撮しないだけ、まだいいけど)

「あの……往来でかっこつけるとか、ほんとひと目引くからやめて欲しいんですけど」
「何のことか分からないが」
「……もういいですよ。で、街路樹があって。街を見てたわけですよね、全然高校生らしくない高校生の先生は」
「やれやれ、何を拗ねているのか全く分からないが――まあ、そうだな。毎日同じような時間に見ていると、いつも見かける人も一定数現れる」

 そこまで言ってから不意に紗川が言葉を切った。

「どうしたんですか?」
「その中に、ベビーカーを押していた女性がいたんだ」
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