上 下
76 / 89
ホイップたっぷり、さくら待ちラテはいかがでしょうか。

13

しおりを挟む
 香りの話などあっただろうか――三枝はノートを見返した。
 メモを見返す中に、「藤木」「希望、退職してアロマ」と書いた箇所があった。

「先生、その香りの話というのは、藤木さん――じゃなくて、事務の人が退職してアロマテラピーのお店をやりたいって言ってた……そのことですか?」

 紗川は頷くと、タブレットに表示されている画面を三枝と爾志が見やすい位置に置いた。
 先ほど三枝が見たPDFのページが開いている。よく見ると、中毒情報センターが提供している医療従事者向けの資料の様だ。

「先ほど、料理が苦手なコアラの人が生のユーカリの葉をペーストにできるかどうか、またそれを使うアレンジができるかどうかという事について考えていました。しかし、生の葉を取り扱うよりもずっと簡単に、また合法的にユーカリの毒を手に入れることができます。それが、これです」

 タブレットの中のPDFをピンチ・インで拡大する。長い日本の指が画面の上を撫でるように滑った。

「ユーカリ油……?」

 思ってもいない単語だったのだろう。爾志が独り言のようにつぶやき、眉間に皺を寄せている。
 しかしすぐに思い当たる節があったのか、顔を上げた。

「あ、動物園の土産コーナーにあります。ユーカリ油。爽やかな香りで人気です。虫よけにもなるからって、夏場、飼育員の間でも人気がありました。市販のスプレータイプの虫よけは、動物が嫌う臭いだからって、使いたがらない人も多いんですが、ユーカリだとそこまで酷くはないらしくて」
「先ほども、ユーカリの香りの土産物があるとおっしゃっていましたね」
「そうなんです。アロマは藤木さんが得意で、夏休み企画で虫よけを作ろうってイベントは、大盛況でした。ナチュラルで子供にも安心して使える……って」
「ユーカリ油の主成分であるシネオールは、爽やかな香りと味で人気が高いオイルですが、4mlの経口摂取で死亡例もある神経毒でもあります。もちろん、成人男性ならその程度では問題はないでしょうが……」
「え、そうなんですか?」

 示されたタブレットの画面覗き込み、三枝と爾志はそこに書かれているデータを見て息を飲んだ。
 子供であれば、ティースプーン一杯程度で死んでしまうこともある事実に、寒気すら覚える。
 三枝が背筋が凍る思いでデータを見ていると、ポンと肩に手が乗った。

「ちろん、小さな子供でなければ、通常の使用ではメリットの方が大きい」

 確かにそうだろうが、動物園の売店でも取り扱っていたり、夏休みのイベントで子供が取り扱ったというのなら話は別ではないだろうか。
 爾志も不安に思ったのだろう、「大丈夫でしょうか」とつぶやいた。

「一般に流通しているものは濃度を抑えているはずです。殺害目的で使うのであれば、プロ用の高濃度のものと考えられます」
「そうですか……」

 安堵のため息を着く爾志と視線があってしまった。
 自分だけが上司から慰められてしまい、気恥ずかしい。
 もう、紗川の手は離れているが、照れ隠しにコーヒーを一気飲みしてしまった。

(う……甘い)

 顔をしかめていると、紗川がタブレットで別のページを開いた。

(生チョコの……つくりかた?)

 いくつものレシピがずらりと並んでいる。

「これを見ていただければわかる通り、生チョコレートはココアパウダーと油を使って作る事ができます。これは加熱しません」
「ああ、カビが生えたパンも焼けば食える理論」
「ニシ、いい加減に気つけ、あれは冗談だ」

(先生、それは無理です)

 あれを冗談と受け止めることは誰一人できないだろう。
 長い前髪を払いながら、「やれやれ」と笑う紗川に「腹たつー」と河西が言っているが部下としてそれには参加しないでおいた。

「さて、これらのレシピを見ていると、概ね、パウダーの2倍の重量のオイルが必要になるようです。よく流通しているココアパウダーは100グラム程ですから、それを一箱使って作るならオイルは200グラム。流石にこれだけの量を摂取すれば、成人男性であっても危険です」

 言われていくつかのページを開く。
 多少の差こそあれ、いずれも紗川の言った通りの割合だった。

「殺意があったのであれば、致死量を計算した上で作っているはずです」
「ユーカリ油を使ったのは……コアラの人に罪を着せるつもりだったんでしょうか
「それはわかりません。単純に手元にあったからかもしれませんし、爽やかな味や香りがこの前うがいやのど飴などにも含まれていますから、故意ではなかった……ということもできるでしょうね。料理が得意なショートの人と親しかったとはいえ、事務の人は料理が苦手とのことですから」

 殺意はあっただろう。
 なければ本来食用ではないものを使いはしないはずだ。
 それに、アロマオイルのショップを開きたいと言っている人間が、その毒性を知らないはずがない。

「爾志くんさ、ちょっと質問なんだけど、いい?」

 河西が小さく手を挙げた。

「事務の人は一番年が上なんだよね。被害者より、上?」
「そうです」
「年上なの、その人だけ?」
「はい。あとは田中さんと同じ歳か、下です」
「なるほどね。でさ、カンガルーとコアラの人みたく他人の評判を貶めるようなことはなくて、美人で料理上手なショートの人とも仲良かったと」
「はい」
「あー……なるほどねえ」

 うんうんと頷いている。

「何がなるほど、なんだ?」
「キヨアキの苦手分野だよ。いわゆる痴情のもつれってやつ。彼女さ、自分だけ年上だから抑えてたんだと思うよ、感情を。年下の田中さんに対して、引け目を感じてたのかもしれない。色々想像できちゃうよね、そういう女の人の心の闇ってさ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【毎日20時更新】アンメリー・オデッセイ

ユーレカ書房
ミステリー
からくり職人のドルトン氏が、何者かに殺害された。ドルトン氏の弟子のエドワードは、親方が生前大切にしていた本棚からとある本を見つける。表紙を宝石で飾り立てて中は手書きという、なにやらいわくありげなその本には、著名な作家アンソニー・ティリパットがドルトン氏とエドワードの父に宛てた中書きが記されていた。 【時と歯車の誠実な友、ウィリアム・ドルトンとアルフレッド・コーディに。 A・T】 なぜこんな本が店に置いてあったのか? 不思議に思うエドワードだったが、彼はすでにおかしな本とふたつの時計台を巡る危険な陰謀と冒険に巻き込まれていた……。 【登場人物】 エドワード・コーディ・・・・からくり職人見習い。十五歳。両親はすでに亡く、親方のドルトン氏とともに暮らしていた。ドルトン氏の死と不思議な本との関わりを探るうちに、とある陰謀の渦中に巻き込まれて町を出ることに。 ドルトン氏・・・・・・・・・エドワードの親方。優れた職人だったが、職人組合の会合に出かけた帰りに何者かによって射殺されてしまう。 マードック船長・・・・・・・商船〈アンメリー号〉の船長。町から逃げ出したエドワードを船にかくまい、船員として雇う。 アーシア・リンドローブ・・・マードック船長の親戚の少女。古書店を開くという夢を持っており、謎の本を持て余していたエドワードを助ける。 アンソニー・ティリパット・・著名な作家。エドワードが見つけた『セオとブラン・ダムのおはなし』の作者。実は、地方領主を務めてきたレイクフィールド家の元当主。故人。 クレイハー氏・・・・・・・・ティリパット氏の甥。とある目的のため、『セオとブラン・ダムのおはなし』を探している。

ピエロの嘲笑が消えない

葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美から奇妙な相談を受ける。彼女の叔母が入院している精神科診療所「クロウ・ハウス」で、不可解な現象が続いているというのだ。患者たちは一様に「ピエロを見た」と怯え、精神を病んでいく。葉羽は、彩由美と共に診療所を訪れ、調査を開始する。だが、そこは常識では計り知れない恐怖が支配する場所だった。患者たちの証言、院長の怪しい行動、そして診療所に隠された秘密。葉羽は持ち前の推理力で謎に挑むが、見えない敵は彼の想像を遥かに超える狡猾さで迫ってくる。ピエロの正体は何なのか? 診療所で何が行われているのか? そして、葉羽は愛する彩由美を守り抜き、この悪夢を終わらせることができるのか? 深層心理に潜む恐怖を暴き出す、戦慄の本格推理ホラー。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

どんでん返し

あいうら
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~ ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが… (「薪」より)

闇の残火―近江に潜む闇―

渋川宙
ミステリー
美少女に導かれて迷い込んだ村は、秘密を抱える村だった!? 歴史大好き、民俗学大好きな大学生の古関文人。彼が夏休みを利用して出掛けたのは滋賀県だった。 そこで紀貫之のお墓にお参りしたところ不思議な少女と出会い、秘密の村に転がり落ちることに!? さらにその村で不可解な殺人事件まで起こり――

失った記憶が戻り、失ってからの記憶を失った私の話

本見りん
ミステリー
交通事故に遭った沙良が目を覚ますと、そこには婚約者の拓人が居た。 一年前の交通事故で沙良は記憶を失い、今は彼と結婚しているという。 しかし今の沙良にはこの一年の記憶がない。 そして、彼女が記憶を失う交通事故の前に見たものは……。 『○曜○イド劇場』風、ミステリーとサスペンスです。 最後のやり取りはお約束の断崖絶壁の海に行きたかったのですが、海の公園辺りになっています。

処理中です...