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ホイップたっぷり、さくら待ちラテはいかがでしょうか。
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埼玉県で人気の観光地のひとつ、川越の菓子屋横町。小江戸と呼ばれながらも大正浪漫あふれる街並みは、地元の人々が長い時をかけて守り、作った風景だ。
歴史のある駄菓子屋や手作りのカフェが並ぶ石畳の小道を三枝紬は走っていた。
制服のブレザーは、走るには不向きだ。彼は舌打ちを一つすると、足を止めぬまま器用にブレザーを脱いだ。学校指定の鞄と一緒に左腕に抱え、額にうっすらと汗を浮かべて急ぐ。
白い花びらが目の前をよぎった。
ふと見れば、駄菓子屋の軒先に梅の花を飾ってある。今日は暖かい。近隣で梅が咲くのはもう少し先だろうが、春の気配は濃厚だ。
三枝はブレザーに続きネクタイも緩めた。
(ダメだ、今日はあったかすぎる)
学校からずっと走りっぱなしだ。
足を止めると首筋を汗が伝い落ちていくのが分かった。
大正ロマン通りにある自宅に寄って着替えようと思ったが、腕時計を見てあきらめた。老舗の和菓子屋が三枝の家だ。
(無理だよなー、間に合わないもんなあ……)
額に浮いてきた汗をぬぐいながら店を見ると、店番をしているパートの主婦とガラス越しに目が合った。
(ヤバイ)
直感的に感じる危機感程、正しいものはない。
こちらが店の息子だと知っているパートの主婦は、ニコニコしながら戸をあけて出てきた。
「おかえりなさい、つむぎ君」
「すみません、おれ、このままバイトに行くんで……」
「あ、紗川先生のところに行くのね。じゃあちょっと待ってて。奥さんから言われてるのよ」
急いでいると言うより先に奥に引っ込んでしまった。
店先に汗だくで残されてしまって、三枝は慌てて辺りを見渡した。幸い、客はない。
汗と埃でいっぱいの男子高校生が店先にいたら、観光客も入りにくいのではないだろうか。
跡取り息子として、店の売り上げが落ちるような真似はできない。
せめて隅っこで隠れていようかと思っていると「何やってるの?」と声をかけられた。
「えっと……」
「お待たせ。これ、紗川先生に渡して。奥さんから頼まれてたやつだから」
風呂敷包みを手渡され、三枝は首を傾げた。
饅頭でも入っていそうな大きさだが、ずっしりと重い。
「牡丹餅よ。まだ時期は早いんだけど、試作品のおすそ分けですって。つむぎ君が通るはずだから、渡しておいてって言われてたのよね」
「通るはずだからって……お母さん、また無茶なこと言って。接客中だったら分からないじゃないですか」
「その時は、あとで届けてもらうからいいって」
「勘弁してくれよ……」
ため息とともに荷物を受け取る。
今受け取りを拒否したら、帰宅後にもう一度出かけることが決定しているのだ。断れるわけがない。
(こんなものを持って走れるわけがないだろ……いじめかよ)
週末の菓子屋横町は、観光客でにぎわうため、先を急ごうにも限度がある。
三枝は仕方なしに包みをもって速足で道を進んだ。
菓子屋横丁を抜けた先が目的地だ。
廃屋――否、探偵の巣があった。
人が住んでいるとはとても思えない、厚い埃に覆われた一件の家。紗川曰く、ここはSS事務所と言うらしい。名前だけ聞くと、何か凄いもののような気がするが、実態は「探偵の巣」と言う表現がぴったりだと三枝は思っている。
三枝は鞄の中からシーラカンスのキーホルダーが付いた鍵を取り出した。
古びた戸に反して新しいカギ穴に差し込む。
昔はせんべい屋だったという建物の道路側の一面は、一面ガラス戸だ。引き戸につけるための鍵を特別注文したらしい。しかし三枝は古いガラス戸を見るたび思う。鍵を新しくする前に、するべきことがあったのではないだろうか、と。
(これが全部強化ガラス……なんてことはないな、絶対――あっ)
そんなことを考えながら動いていたせいだろうか。色褪せているカーテンに擦ってブレザーの一部を白くしてしまった。
「げ……」
眉根を寄せ、軽く叩いて埃を落とす。布を叩く音が部屋の静寂にこだまする。
三枝は短い深呼吸をすると自分の机の上に荷物を置いた。
カーテン越しにうっすらと差し込む明かりが、室内に四つあるパソコンを照らし出している。室内に異常はなく、いつもどおり、外見を裏切る近代的な部屋だった。
三枝は改めて室内を見渡した。
この部屋の土曜の午後は、決まって早朝の空気を持っていた。
(この雰囲気は悪くないんだよな)
三枝は朝の気配が好きだ。人が起きだして活動しだす前の静かな緊張感がいい。
(もちろん、そんなこと先生に言ったらロクなことにならないと思うから言わないけど)
調子に乗って、毎日起こしに来いとでも言いだしかねない。
もちろん、学校を優先してくれるだろうが、三枝を当てにして、夕方まで寝ていられたら困る。
「先生を起こさないと……」
名残惜しさを振り切るように、彼は伸びをして奥の部屋へ向かった。キッチンを通り抜け、ユニットバスの扉の横を通り、一番奥にあるドアのノブを回す。覗き込むと、案の定そこだけ夜が取り残されていた。この部屋のカーテンは光を遮断する種類のものだから、電気を点けないと真昼でも夜のようだ。
深呼吸をして気合を入れると、三枝はカーテンを開いた。
差し込んだ光が、取り残された夜を追い払う。
「先生、起きてください」
大きな声でそう言いながらベッドに近づく。ベッドの紗川は三枝がやって来た事に気が付いた様だったが、起きようという努力がまるで見うけられない。
三枝は鼻を鳴らした。
歴史のある駄菓子屋や手作りのカフェが並ぶ石畳の小道を三枝紬は走っていた。
制服のブレザーは、走るには不向きだ。彼は舌打ちを一つすると、足を止めぬまま器用にブレザーを脱いだ。学校指定の鞄と一緒に左腕に抱え、額にうっすらと汗を浮かべて急ぐ。
白い花びらが目の前をよぎった。
ふと見れば、駄菓子屋の軒先に梅の花を飾ってある。今日は暖かい。近隣で梅が咲くのはもう少し先だろうが、春の気配は濃厚だ。
三枝はブレザーに続きネクタイも緩めた。
(ダメだ、今日はあったかすぎる)
学校からずっと走りっぱなしだ。
足を止めると首筋を汗が伝い落ちていくのが分かった。
大正ロマン通りにある自宅に寄って着替えようと思ったが、腕時計を見てあきらめた。老舗の和菓子屋が三枝の家だ。
(無理だよなー、間に合わないもんなあ……)
額に浮いてきた汗をぬぐいながら店を見ると、店番をしているパートの主婦とガラス越しに目が合った。
(ヤバイ)
直感的に感じる危機感程、正しいものはない。
こちらが店の息子だと知っているパートの主婦は、ニコニコしながら戸をあけて出てきた。
「おかえりなさい、つむぎ君」
「すみません、おれ、このままバイトに行くんで……」
「あ、紗川先生のところに行くのね。じゃあちょっと待ってて。奥さんから言われてるのよ」
急いでいると言うより先に奥に引っ込んでしまった。
店先に汗だくで残されてしまって、三枝は慌てて辺りを見渡した。幸い、客はない。
汗と埃でいっぱいの男子高校生が店先にいたら、観光客も入りにくいのではないだろうか。
跡取り息子として、店の売り上げが落ちるような真似はできない。
せめて隅っこで隠れていようかと思っていると「何やってるの?」と声をかけられた。
「えっと……」
「お待たせ。これ、紗川先生に渡して。奥さんから頼まれてたやつだから」
風呂敷包みを手渡され、三枝は首を傾げた。
饅頭でも入っていそうな大きさだが、ずっしりと重い。
「牡丹餅よ。まだ時期は早いんだけど、試作品のおすそ分けですって。つむぎ君が通るはずだから、渡しておいてって言われてたのよね」
「通るはずだからって……お母さん、また無茶なこと言って。接客中だったら分からないじゃないですか」
「その時は、あとで届けてもらうからいいって」
「勘弁してくれよ……」
ため息とともに荷物を受け取る。
今受け取りを拒否したら、帰宅後にもう一度出かけることが決定しているのだ。断れるわけがない。
(こんなものを持って走れるわけがないだろ……いじめかよ)
週末の菓子屋横町は、観光客でにぎわうため、先を急ごうにも限度がある。
三枝は仕方なしに包みをもって速足で道を進んだ。
菓子屋横丁を抜けた先が目的地だ。
廃屋――否、探偵の巣があった。
人が住んでいるとはとても思えない、厚い埃に覆われた一件の家。紗川曰く、ここはSS事務所と言うらしい。名前だけ聞くと、何か凄いもののような気がするが、実態は「探偵の巣」と言う表現がぴったりだと三枝は思っている。
三枝は鞄の中からシーラカンスのキーホルダーが付いた鍵を取り出した。
古びた戸に反して新しいカギ穴に差し込む。
昔はせんべい屋だったという建物の道路側の一面は、一面ガラス戸だ。引き戸につけるための鍵を特別注文したらしい。しかし三枝は古いガラス戸を見るたび思う。鍵を新しくする前に、するべきことがあったのではないだろうか、と。
(これが全部強化ガラス……なんてことはないな、絶対――あっ)
そんなことを考えながら動いていたせいだろうか。色褪せているカーテンに擦ってブレザーの一部を白くしてしまった。
「げ……」
眉根を寄せ、軽く叩いて埃を落とす。布を叩く音が部屋の静寂にこだまする。
三枝は短い深呼吸をすると自分の机の上に荷物を置いた。
カーテン越しにうっすらと差し込む明かりが、室内に四つあるパソコンを照らし出している。室内に異常はなく、いつもどおり、外見を裏切る近代的な部屋だった。
三枝は改めて室内を見渡した。
この部屋の土曜の午後は、決まって早朝の空気を持っていた。
(この雰囲気は悪くないんだよな)
三枝は朝の気配が好きだ。人が起きだして活動しだす前の静かな緊張感がいい。
(もちろん、そんなこと先生に言ったらロクなことにならないと思うから言わないけど)
調子に乗って、毎日起こしに来いとでも言いだしかねない。
もちろん、学校を優先してくれるだろうが、三枝を当てにして、夕方まで寝ていられたら困る。
「先生を起こさないと……」
名残惜しさを振り切るように、彼は伸びをして奥の部屋へ向かった。キッチンを通り抜け、ユニットバスの扉の横を通り、一番奥にあるドアのノブを回す。覗き込むと、案の定そこだけ夜が取り残されていた。この部屋のカーテンは光を遮断する種類のものだから、電気を点けないと真昼でも夜のようだ。
深呼吸をして気合を入れると、三枝はカーテンを開いた。
差し込んだ光が、取り残された夜を追い払う。
「先生、起きてください」
大きな声でそう言いながらベッドに近づく。ベッドの紗川は三枝がやって来た事に気が付いた様だったが、起きようという努力がまるで見うけられない。
三枝は鼻を鳴らした。
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