探偵と助手の日常<短中編集>

藤島紫

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本日のおやつは、さつま芋パイです。

差し入れはありませんか? 3

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 三枝は驚いて目を見開いた。

「犯人って……」

 紗川は自嘲気味に笑う。

「自分が警察になったつもりで想像してみろ。夫に内緒で連絡を取り合ったことがある若い男が夜分にやってきて、妻の遺体を発見したんだぞ――その男が犯人ではないかと疑うのが自然だ」
「あ……」

 三枝は目を見開いた。
 隣で木崎がその通りだと頷いている。

「店舗からは盗聴器が見つかってる。十中八九、旦那さんが設置したんだろうね。つまり、先方はキヨアキが奥さんと二人で会ってたのを知ってるんだよ」
「でも、奥さんは……」

 紗川は首を降る。

「問題は、相談内容ではない。二人きりで会っていたことが問題なんだ。つまり、岸さんが想定していたストーカーの顔は……」
「キヨアキだったってことだね」

 妄想もいいところだ。

「何言ってるんですか。そんなこと、あるわけないじゃないですか」
「じゃ、もうちょっとわかりやすく教えてあげようかな」

 木崎が口を開いた。まるで駄々っ子に言い聞かせるような口調だ。

「夫が帰宅すると、そこには若い男がいて、妻が首を絞められて死んでいた――どう? 三枝君だってさ、若い男が犯人って思わない?」
「そういう状況だったら……確かにそうですけど。でも、今回は違いますよ。先生は岸さんに頼まれてやってきたわけですし」

 三枝自身が証人なのだ。
 紗川が殺人を犯せるはずがない。

(なんだよ、先生の友達のくせに、信用しないのかよ)

 犯人は明白なのだ。
 にもかかわらず、どうして紗川が疑われなければならないのか。

「三枝君、意地になってはいけない」
「先生……」
「僕からも質問しよう。仮に、僕が独りだったとしたら……無罪の証拠を残すことができただろうか。僕は警戒を怠っていた。録音もしておらず、証拠はない。岸さんがそんなことは言っていないと証言したらどうなる?」

 紗川がつぶやいた。
 はっとしてそちらを見ると、紗川は肩をすくめて笑った。

「そのうえ、僕のスマートフォンには美子さんとの通話の履歴がある。僕は訪問することを報告したが、その時にいつも通りにしているよう頼んでいた。僕から連絡が来たことは知らないふりをしてもらう必要があった。彼女が依頼主で、調査対象が夫だったのだからな」

 調査対象である夫に知られるわけにはいかない。
 この場合、依頼主である美子と探偵は初対面を貫く必要がある。
 俊夫に殺意がなかった場合、夫婦間に亀裂が入るからだ。

(結局、そんな配慮は無駄だったけど……)

 だから、いつもと同じようにフットバスを使いながらも、美子はリラックスをした服装ではなかったのだ。洋服だけなら、着替え忘れたのだと言い訳が立つ。フットバスはいつもの習慣だからやらなければ怪しまれると思ったに違いない。

「先生が言ってることは分かります。だから被害者はフットバスとか使ってたんですよね。いつも通りにしようとして。洋服は気合が入ってましたけど、それは着替え忘れたとか、言い訳できますよね」
「リラックス時の彼女の様子は知らないが、不自然ではあった。あれでは日常を装っているようにしか見えない」
「スカーフってマフラーみたいなものですよね……だとしたら、巻かないってことですか」
「スカーフは一点ものだと言っていた。それにマニキュアが零れたらどうする? あれは落ちないぞ」

 フットバスの中の足の爪を見ても、非常に落ちにくい塗料であることに間違いはない。

「つまり、僕が一人で遺体を発見していたら英司の言う通り、最も容疑濃厚な容疑者になっていた。たとえ僕が岸さんから相談を受け、呼ばれたのだと言っても、岸さんがそれを否定したらどうしようもない」
「……」
「それがそうならずに済んだのは、君がいてくれたからだ」

 証拠はなくとも、三枝が一緒に移動したことで紗川は証人を得られた。
 しかし役に立てたと喜ぶことはできなかった。

「先生は……ただ、人の役に立とうとしただけじゃないですか。どうせ今回の件だって報酬をもらおうとしてなかったんじゃないですか? 請求したとしても交通費くらいですよね。だって――」

 紗川は事件性を感じていなかったのだから。
 ただの夫婦げんかに報酬を求めるような男ではない。
 事件に発展する可能性も多少はあったから動いただけで、紹介者に対する義理の方が大きかったのではないだろうか。

「君が言いたいことは分かる。しかし僕にも過失がある。慢心があったと認めざるを得ない。僕は――救えたはずの命を目の前で失ってしまったんだ」
「慢心なんかじゃないですよ。俺も、仲のいい夫婦の惚気だって思いました。旦那さんの方は綺麗な奥さんもらって勝ち組じゃんって思ったし、奥さんの方は写真載せてちやほやされて調子に乗ってるんだなって思ってました」

 店のためとはいえ、美子は確かに変わった。
 あまりにも変わってしまった妻に、俊夫が焦ったのは事実だろう。

「すこしだけ……川越のキツネの昔話に似てますね」
「狐? ああ、久太郎狐か」

 三枝が漏らした唐突な単語にうなずいたのは、紗川だけだ。木崎はきょとんとして目を見開いている。
 それはそうだろう。三枝が思い出したのは、土産に買ってきたさつま芋パイのパッケージに書かれている昔話だからだ。
 木崎が知らないのも無理はない。

「昔話があるんです。昔、川越に変化するのがうまいキツネがいて、村人を驚かせてばかりいたんだそうです。人々はそれをひと目見ようと集まるんですけど、そのせいでキツネは住処を失い、姿を消す――と言う話です」
「美女に変化したキツネをひと目見ようとキヨアキがやってきて、そのせいで被害者が死んでしまったって?」
「そうです。昔話のキツネは、人間の反応が面白くていろんな変化を見せて驚かせてくれて……それが評判になって人が集まったんですよ。被害者も、同じだなって思ったんです。お客さんが喜ぶから綺麗に化けて、でもそのせいで……」

 一瞬、沈黙が流れた。

「俺が思うに、昔話のは、そもそもキツネだって悪いんです。もちろん最初は、キツネも人を追い払うために化けたりしてたんだと思うんです。でも人間が喜ぶから嬉しくなっちゃったんだと思うんです」
「そうだねえ……普通のキツネだったら、そこまで人が集まることもなかっただろうし」

 木崎の言葉に三枝は頷く。

「被害者にも、嬉しくなっちゃって、調子に乗ってやりすぎてたところがあったと思うんです。だからピンチだったのにそれを感じ取れなかったのかなって思ったりしますし」

 紗川は人の心理を追う事を嫌う。
 だがそれは、無関心だからではない。
 人の心はいくら考えても分からないからだ。

(先生は、頭が良すぎるだけじゃなくて、優しいから……人の心をすごく考えすぎてしまうんだろうな)

 そんな紗川が観察した結果、自分が殺されるという危機感が美子に全くなかったのなら、誰が見てもそうだったに違いない。

「被害者がちやほやされて調子に乗ってる一方で、夫である俊夫の狂気は深まっていったわけか。ここだけの話。盗聴器がいくつも見つかってるんだ。あと、俊夫のバッグから奥さんの隠し撮りとかもね」
「それ、ひどいですね……先生に依頼するように言ってきたのって被害者のご友人らしいですけど。そんなの目の当たりにしてたらヤバイって心配するの当たり前ですよ」
「だよねえ。自分の奥さんの職場に盗聴器しかけるとか。異常だよね」

 うんうん、と木崎もうなずく。
 三枝は俊夫がどのような会話を聞いていたのか想像し、気付いた。

「木崎さん……俺、ふと思ったんですけど。岸さんが先生に言ってきた頼み事って……警察に相談に行くように、説得を手伝って欲しいって話だったんですよ。これ、そのまんま、被害者の友達が探偵に依頼するように説得してた場面と重なりませんか?」

 ぞくりと寒気を覚えた。
 強烈な支配欲。
 遺体がある空間にいながら、紅茶を飲もうと言った俊夫の表情を思い出す。
 あの時はただ、気が動転しているのだろうと思ったが、そうではなく、妻を自分だけのものにできた喜びを感じていたのだとしたら――

「……やれやれ」

 低くやわらかな声が、三枝の思考を遮った。
 見上げると、いつも通りの表情をした上司が困ったように笑っている。

「助手に心配されるようでは、探偵の名折れだ」
「え」

 こちらを見降ろす表情には、先ほどまでの冷たさはない。
 どの角度が自分を一番よく見せるのかを分かったうえで、長い前髪をかきあげ、サラリと払う。

「さて、三枝君。では探偵として、助手の期待に応えよう」
「期待?」

 探偵は笑う。

「期待に応えようとしたキツネは化けた――つまり偽りを見せていたようだが、探偵が見せるものは違う。真実だ」
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