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本日のおやつは、さつま芋パイです。
遥かなるティータイム 3
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死は、暴力的に人と人を別れさせる。
冷たい体。
二度と開くことのない瞼。
死者の唇は幼い子供のものであっても青い。
抱きしめていなければ、冷たくなっていく。
二度と聞くことのない声。
固まる体。
殺人は、荒々しく未来を奪い去る。
(奪われていい命なんて……ないはずだ)
幼くして殺された少女の笑顔と、うっすらと開いたまま干からびた瞳が交互にフラッシュバックする。
探偵助手となってから、落ち着いたはずだった。
もう克服したと思っていたのに、遺体を目の前にしてしまうと、揺らいでしまう。
死の気配に心臓を掴まれているようだ。
息苦しさを覚えた時だ。
突然、ポン、と頭に重さを感じた。
遺体を見て、黙り込んでしまった三枝の頭に、紗川が掌を置いたのだ。
「忘れるな。君は日常を生きている」
――冷静になれ
視線がそう言っている。
死は常に生の隣にある。
それが当たり前なのだ。
三枝は一度目を伏せた。
(あの子は……死んだ)
あの子――三枝が守りたいと思った、小さな命。
死の臭いは三枝の近親者であろうがなかろうが、ひどいものに変わりはない。
きつく巻かれたスカーフのうえに、明らかに生きていない人間の顔が乗っているのは恐怖を通り越して奇妙だった。
だが、その見開いた目を見るのは純粋に怖かった。
――悲しみにつかまる前に、考えろ
いつだったか、紗川が教えてくれたことを思いだす。
(フラッシュバックなんか、してる場合じゃないよな)
――今日もいつもと同じ、日常だ
エネルギーが足りなければ空腹を感じ、疲れたら眠くなる。
昨日と同じように日が登り、月が登る。
どこかで誰かが生まれ、誰かが死ぬ。
その死が、目の前にあっただけのこと。
――悲しんでいい。だが、悲しみに、囚われてはならない
離別の悲しみを知っているからこそ、その悲しみに囚われ抗ったことがある者だからこその言葉だと知っている。
死者に敬意を払うことと、自分がいつもの自分であるための努力をすることは反しない。
(大丈夫、普通の会話をしてるし、できてる。俺はいつも通り)
頭に軽く置かれた紗川の掌の重さと、体温が、興奮で拡張した脳の血管を圧迫してくれたようだ。三枝はゆっくりと目を開いた。
紗川の黒い双眸が自分を捉えている。
その瞳の黒は平均的な日本人のそれ以上に黒い。
鋭い眦と相まって、無表情でいるとどこまでも冷たく感じるのだ。
しかし三枝は知っている。
紗川は冷たいわけではない。
(誰かを失っている人だけが持つ目だ……)
その黒い瞳の奥には言葉にならない痛みがあると、三枝は感じ取っていた。
紗川がなぜ探偵であることにこだわるのか、その訳を三枝は知らない。
だが、悲しみや苦しみが優しい人を作り出すのだとしたら、紗川が抱える悲しみはどれほど深いものだろうかと思うことはある。
(俺のせいで、あの子は死んだ。「あの子は俺が殺した」と俺が言ったとき、先生は――)
――ならば僕も殺人者だ
そう、言った。
「先生」
死のにおいが重くまとわりつく。
だが三枝は微笑んだ。
死は常にそばにある。
これの意図することは「いつか人は死ぬ」だけではない。
自分の大切な人が死んだとき、その死とともに生きていくと言うことを伝えているのだ。
(先生は……この人の死も抱えて生きていくつもりなのかな)
事件など起きないほうがいい、そう言って笑った紗川の横顔を思い出し、三枝は胸が痛んだ。
「俺は、大丈夫です」
何が起きようと、それが1日であることに代わりはないのだから、日常を生きなければならない。
「そうか」
柔らかく微笑まれ、髪をぐしゃぐしゃにされた。
「ちょっ! 先生、やめてくださいよ。頭セットするの、大変なんですからね」
慌てて距離を置くと紗川は安堵したように頷いた。
(まったく。そういう気の紛らわせ方はやめて欲しいんですけど)
三枝がひそかに口を尖らせている間に、紗川は再び席についていた。
随分長い時間、しゃがみこんでいたような気がしたが、実際にはほんの数分の出来事だ。三枝も上司にならって立ち上がり、パイプ椅子にかけた。
「ところで岸さん」
紗川が敏夫に向ける声は、それまでになく、冷たく聞こえた。
その声に苛立ちを感じたのは気のせいだろうか。三枝は顔を上げた。
「奥様が殺されるかもしれないとあなたは恐れていました。脅すような言葉があった、ショップの住所が知られている以上、危険だ、とのですが……実際に被害は起きていない」
「ですから、そうなる前にと……」
「こう言う場合、まずは殺されると思うより先に、ストーカーの被害を考えるのではないでしょうか」
「もちろんです」
深刻な敏夫の表情を見ているうちに、ふと思い出した。
妻の美子に紗川に依頼するように言ったのは友人だと言う。
その友人が実店舗の常連客だったと言うことも考えれば、美子自身は危機感を覚えていなくても付き合いで依頼をしようと考えても不思議ではない。
真剣味にかける依頼だったのかもしれない。
だから紗川は油断し、結果、依頼人が死んでしまった。
三枝はいたたまれなさに眉を寄せた。
冷たい体。
二度と開くことのない瞼。
死者の唇は幼い子供のものであっても青い。
抱きしめていなければ、冷たくなっていく。
二度と聞くことのない声。
固まる体。
殺人は、荒々しく未来を奪い去る。
(奪われていい命なんて……ないはずだ)
幼くして殺された少女の笑顔と、うっすらと開いたまま干からびた瞳が交互にフラッシュバックする。
探偵助手となってから、落ち着いたはずだった。
もう克服したと思っていたのに、遺体を目の前にしてしまうと、揺らいでしまう。
死の気配に心臓を掴まれているようだ。
息苦しさを覚えた時だ。
突然、ポン、と頭に重さを感じた。
遺体を見て、黙り込んでしまった三枝の頭に、紗川が掌を置いたのだ。
「忘れるな。君は日常を生きている」
――冷静になれ
視線がそう言っている。
死は常に生の隣にある。
それが当たり前なのだ。
三枝は一度目を伏せた。
(あの子は……死んだ)
あの子――三枝が守りたいと思った、小さな命。
死の臭いは三枝の近親者であろうがなかろうが、ひどいものに変わりはない。
きつく巻かれたスカーフのうえに、明らかに生きていない人間の顔が乗っているのは恐怖を通り越して奇妙だった。
だが、その見開いた目を見るのは純粋に怖かった。
――悲しみにつかまる前に、考えろ
いつだったか、紗川が教えてくれたことを思いだす。
(フラッシュバックなんか、してる場合じゃないよな)
――今日もいつもと同じ、日常だ
エネルギーが足りなければ空腹を感じ、疲れたら眠くなる。
昨日と同じように日が登り、月が登る。
どこかで誰かが生まれ、誰かが死ぬ。
その死が、目の前にあっただけのこと。
――悲しんでいい。だが、悲しみに、囚われてはならない
離別の悲しみを知っているからこそ、その悲しみに囚われ抗ったことがある者だからこその言葉だと知っている。
死者に敬意を払うことと、自分がいつもの自分であるための努力をすることは反しない。
(大丈夫、普通の会話をしてるし、できてる。俺はいつも通り)
頭に軽く置かれた紗川の掌の重さと、体温が、興奮で拡張した脳の血管を圧迫してくれたようだ。三枝はゆっくりと目を開いた。
紗川の黒い双眸が自分を捉えている。
その瞳の黒は平均的な日本人のそれ以上に黒い。
鋭い眦と相まって、無表情でいるとどこまでも冷たく感じるのだ。
しかし三枝は知っている。
紗川は冷たいわけではない。
(誰かを失っている人だけが持つ目だ……)
その黒い瞳の奥には言葉にならない痛みがあると、三枝は感じ取っていた。
紗川がなぜ探偵であることにこだわるのか、その訳を三枝は知らない。
だが、悲しみや苦しみが優しい人を作り出すのだとしたら、紗川が抱える悲しみはどれほど深いものだろうかと思うことはある。
(俺のせいで、あの子は死んだ。「あの子は俺が殺した」と俺が言ったとき、先生は――)
――ならば僕も殺人者だ
そう、言った。
「先生」
死のにおいが重くまとわりつく。
だが三枝は微笑んだ。
死は常にそばにある。
これの意図することは「いつか人は死ぬ」だけではない。
自分の大切な人が死んだとき、その死とともに生きていくと言うことを伝えているのだ。
(先生は……この人の死も抱えて生きていくつもりなのかな)
事件など起きないほうがいい、そう言って笑った紗川の横顔を思い出し、三枝は胸が痛んだ。
「俺は、大丈夫です」
何が起きようと、それが1日であることに代わりはないのだから、日常を生きなければならない。
「そうか」
柔らかく微笑まれ、髪をぐしゃぐしゃにされた。
「ちょっ! 先生、やめてくださいよ。頭セットするの、大変なんですからね」
慌てて距離を置くと紗川は安堵したように頷いた。
(まったく。そういう気の紛らわせ方はやめて欲しいんですけど)
三枝がひそかに口を尖らせている間に、紗川は再び席についていた。
随分長い時間、しゃがみこんでいたような気がしたが、実際にはほんの数分の出来事だ。三枝も上司にならって立ち上がり、パイプ椅子にかけた。
「ところで岸さん」
紗川が敏夫に向ける声は、それまでになく、冷たく聞こえた。
その声に苛立ちを感じたのは気のせいだろうか。三枝は顔を上げた。
「奥様が殺されるかもしれないとあなたは恐れていました。脅すような言葉があった、ショップの住所が知られている以上、危険だ、とのですが……実際に被害は起きていない」
「ですから、そうなる前にと……」
「こう言う場合、まずは殺されると思うより先に、ストーカーの被害を考えるのではないでしょうか」
「もちろんです」
深刻な敏夫の表情を見ているうちに、ふと思い出した。
妻の美子に紗川に依頼するように言ったのは友人だと言う。
その友人が実店舗の常連客だったと言うことも考えれば、美子自身は危機感を覚えていなくても付き合いで依頼をしようと考えても不思議ではない。
真剣味にかける依頼だったのかもしれない。
だから紗川は油断し、結果、依頼人が死んでしまった。
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