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十章 今日からぼくは

#1

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 マギカ社での会合の後、なんどか真儀可社長から連絡をいただいた。勇は最初は一人で社長と会っていた。先輩たちの行きつけのスナックで、店主にVIPだからそれなりの酒を揃えておいてくれと頼んだ。そのとおりに用意しておいてくれたのは名酒と呼ばれるものばかりで、真儀可社長も喜んでくれいてるように見えたが、当の勇本人が違いのわからない男であった。真儀可社長の傍には常に秘書らしき女性がついていて、彼女とも打ち解けた。彼女が自分の身辺調査のために家まで訪ねてきていたことを勇は知らなかった。

 同じ店に招いているから、やがて他の作家たちの知ることにもなり、勇は彼女を作家仲間たちに紹介するようになった。

 作家複数名で接待しているのだから、さすがの社長もそれなりに楽しんでくれているようだった。

 そうこうして2ヶ月がたったころ、希望少年も相変わらず勇の部屋を訪ねて漫画・アニメ・映画・創作論に花を咲かせていた。

 小学生にしては大人びた感性を持っているのだと勇も気づいていた。

「そう言えば師匠、この前の読書感想文、賞をもらったって担任の先生に言われました」

「そうか、よかったじゃないか。唯と百合はどうだった?」

「二人も入選しました」

「やったな。これはあれか、おれの教え方がよかったんだな」

 作家ならではの視点での指導が功を奏したと胸を張っていいだろう。

「ほんそれ」

 希望も同感とのことだった。

「賞状でももらうのか?」

 ネット投稿作品のスカウトでデビューしたので、勇自身は文章で賞をもらったことがなかった。少し子どもたちを羨ましく思った。

「文部科学大臣賞だから役所で直接大臣からもらうんだって」

「そりゃ、随分おおげさだな。何人ぐらいもらうんだい?」

「ぼくの感想文が日本でNO.1だってさ」

「うん、じゃあ一人で行くのか?」

「クラス担任が一緒に行ってくれるって、あと新聞のインタビューがあるって。なんだか先生だけじゃ不安なんだよなあ。師匠、一緒に来てくれませんか」

「お母さんは一緒に行ってくれないのか?」

「まだ話してないけど、平日だからお仕事あると思う」

「部外者でも入れるなら行こう」

「お兄ちゃんだって言えば大丈夫でしょ」

「そうか。いつなんだ、授賞式は」

「来月はじめ」

「三週間あるか。コミュニテイカフェのみなさんにも報告しなきゃな」

 近隣住民が都道コミュニティ・カフェの活動の一環でもある勇による作文指導の結果、3人の小学生が入選、それも入選率が100%とあって利用者たちに祝賀ムードがあった。

『おめでとう、希望ちゃん、唯ちゃん、百合ちゃん』

「え、だれが作ったの」

 室内に白い布地に墨で書かれた幅2メートルほどの横断幕が掲げられていた。

(そういえば書道教室も開かれていたな)

 勇が作文教室を開いていたように、書道の練習をしているグループもあった。気を利かせて用意してくれていたらしい。

 お年寄りの参加者が多いコミュニティカフェだったが、唯、希望、百合の3人は孫のように思えるのだろう。みんなが喜んでいた。

「よかったねー、3人とも」

 とくに希望は全国NO.1として表彰されるのだが、住人たちに違いがよくわかっていないようだ。

 10人ほどの住民が集まり、お菓子とお茶が用意され3人を囲んで、ちょっとした祝賀会の様相だった。

 老人たちはこぞって小学生3人をもてはやしたが、師匠である勇を称える声はなかった。

「この横断幕、全国読書感想文1位って書き足して、団地の外にも掲げましょう」

 盛り上がる住人たちに、「それは学校と相談してからにした方がいいのではないですか」と待ったをかける勇だった。

 カラカラカラ。

 入り口はスライド式のガラス戸になっていたが、そこを開いて一人の女性が入ってきた。

「あ、こんにちわ」

 住人たちも会釈するが官女が誰か知っている人は少ないようだ。

「ああ、岬さん」

 同じ団地の住人だから、彼女を知っている者もいた。彼女も足を止めて二言三言話している。

「あ、お母さん、なんで?」

(ほお、よく似ている)

 名前を聞くまでも一目で希望の母と勇にもわかった。希望が10歳だからその親は若くとも30歳は超えているだろうと思っていたが、20代半ばなのかもしれない。

 横断幕に気づき、母はたいそう恐縮している様子だった。

「すいません、うちの子のためにこんなことまでしたいただいて」

「いやいあ、いいんですよ。めでたいことなんだから」

(うーむ。希望も美少年だが、さすがその母、美人だし、いや年齢の離れた姉にしか見えない)

 まるでライトノベルに出てくる主人公の母親のようだった。ライトノベルにおいて主人公の母親は設定年齢は40歳前後であっても容姿は20代後半ほどにしか見えない。リアリティのある普通の母親は読者に求められていない。父親に至っては単身赴任などで存在さえ抹消される。

「あ、母さん。お仕事は」

 希望は少し驚いた顔をしている。現在時刻は16:15。希望の母は会社にいるはずだった。

「ちょっと、希望。お母さんの携帯に、先生から電話あったわよ。表彰式のことなんて言ってなかったじゃない」

(希望、親にも話してないのか? なぜだ)

「賞をもらったって言ったでしょ」

「文科省まで行って授賞式があるなんて聞いてなかったわよ。お母さんも来られませんかって先生から電話があってお母さん恥ずかしかったわ」

「だって、お仕事いそがしいでしょ?」

(希望、いじらしいな。母親に負担をかけまいと)

 母はみんなが見ている中でも、希望の頭に手を回しその胸に抱き寄せた。

「ばかね、お母さんにとっても嬉しいことだわ。仕事だって休めたら休んで行くわよ。有給休暇だってあるんだから」

(そうは言っても、休んだ分をどこかで取り戻さなければいけないのだろう。会社員は大変だな)

「お母さん、来てくれるの?」

 子どもの晴れ舞台だ。普段忙しい会社員の母だって駆けつけたいところだろう。

「もちろん、行くわよ。会社でお休みの予定入れて、GPS見たらここにいるから様子見に来たのよ」

 母は腰に両手を当てて、前かがみに子どもに話しかけている。立ち上がった希望の頭が、母の胸の位置にある。身長は165センチ前後ありそうだ。

「会社早退してまで?」

「それぐらい嬉しかったのよ。あ、唯ちゃんと百合ちゃんもおめでとうね」

 ベージュのジャケットにスカート、白いブラウスにブローチ。服装に文字数を費やすほどの特徴は無いが、やはり本人の容姿が印象的だ。

「ありがと、のぞみママ」

(微笑ましい光景だな。どうやらおれの出る幕はなさそうだ)

「新聞のインタビューもあるって言うじゃない。先生がついてるとはいえ、あなた答えられるの?」

「悩んでた。できたらインタビューは断ろうかなって思ってもいた。名前と顔が紹介されたらお母さんが心配するだろうから」

 今日日、このようなインタビュー自体いつまで成立するのか疑問だ。個人情報に厳しい時代なのだから。

「そうね。お母さん、とても心配よ」

「でも……」

「でも?」

「師匠がいてくれれば大丈夫かなって」

「師匠?」

「師匠だったら同じ団地にいつもいて相談に乗ってくれるから」

 希望の心配はインタビューの内容だろうか、メディアに自分の名前が紹介されることの心配だろうか。

「ああ、作文指導をしてくれた先生ね。お母さんもお礼を言わなきゃ。ここにいらっしゃる?」

 希望が頷く。

「師匠! お母さんがお礼したいって」

 母の目が宙を泳ぐ。「師匠」を探しているのだろう。勇はその眼前に進みでる。

「初めまして、○○大学3年 東方勇です」

「え?……っあ、岬希望の母でございます……」

(あれ、明らかに戸惑っているぞ)

「あの、あなたが、大学生の方とは聞いてなくて、小説家の方と希望から聞いておりました」

「そうでしたか、彼が言うとおり二足のわらじで小説家もしています」

 ピクリと彼女の眉が動いた。

「あの、とてもよく面倒見ていただいているとのことで、もっと早くご挨拶すべきかと思ったのですが、てっきり年配の方かと勘違いしておりました」

「そうですね。普通小説家って聞いたらそれなりに年齢が言ってるものと思います。 に普通小説家って聞いたらそれなりに年齢が言ってるものと思います。まだまだ若輩者ですが、それなりに作品を世に出しております」

「あの、今回のことのお礼も含めてですがこのあと少しお話しできませんでしょうか」

「いいですよ」

 人払いしたうえでという意図が伝わってきた。17時を過ぎると住民も帰宅し始めたので、希望少年と母、勇で岬家の自宅に向かった。

「はじめて来たなあ、希望の部屋。場所は知っていたけど」

「どうぞ、おあがりください」

 6畳のダイニングキッチンに通された。他に居間と寝室があるのだろう。多分、居間が希望の勉強部屋を兼ねていると言っていたと思う。

「いまお茶を淹れますから」

「ああ、すいません」

「紅茶と緑茶、どちらになさいますか、コーヒーもありますけど」

 勇と母がちゃぶ台を挟んで正座し、希望は母の隣にあぐらをかいていた。

「お二人の飲まれるものを淹れてください」

 ティーカップにポットから紅茶が注がれる。

「希望が仲良くしていただいていると言うことで、ご迷惑をおかしていないでしょうか」

「いえいえ、素直で好感の持てるお子さんですよ。わたしの中の近隣の小学生たちのイメージもだいぶ変わりました」

「この度は色々とご指導いただいたおかげで、たいそう立派な賞をいただいたとのことでありがとうございました。恥ずかしながら息子から簡単に聞いただけで日本で一番なのだということにまで思い至りませんでした」

「むしろ、わたしも鼻が高いですよ。作家のはしくれの面目躍如ですかね」

「おかあさん、知らないと思うけど東方先生はベストセラー作家だよ」

「そうなの、どおりで大学生にしては落ち着いた話し方をされると思いました」

 希望は気づいていないのかもしれない。勇は先ほどから、いやコミュニティカフェから場所を移す前から母の言葉にはっきりとはしないが勇への警戒心を感じていた。

「希望、いままで東方先生にお世話になっていたけどこれからはご厚意に甘えてはダメよ。唯ちゃんたちと遊んでいなさい」

「えーーー?」

 不服げな希望だったが。

「そういうことはちゃんとしないとダメよ」

「あ、お母さん。わたしは全然気にしませんよ」

「あなたがよくてもこちらはそう言うわけにはいきません」

 母もとうとう内に秘めたる不信感を露わにした。

「東方さん、あなたも大学のお友達がいるでしょう。小学生と遊んでばかりいてはおかしな目で見られますよ。聞けば、自宅に希望がお邪魔しているとか、それは親としてきつく叱っておきます」

「……」

「……グズッ」

「うん? どうした希望」

 希望が下を向いている。涙をこらえているようだ。

「お母さん、心配しなくてもわたしは希望のことを弟のように思っていますよ。そりゃ、確かに百合や唯を気安く自宅に上げるのはまずいと思って気をつけてますが、男同士なんだし……」

(いや、待てよ。同性であってもセクシャルハラスメントは成立するし、男子児童が性的虐待を受けるなんて事件も多くあるな。おかあさんはそれを心配しているのか? ならば希望との関係も考え直さないといけないな)

「女の子です」

「え?」

「女の子なんです」

「誰がですか?」

「わたしの娘のことです」

 希望を見る。

「あれ、お姉さんか妹がいたの?」

 希望は首を横に振る。勇はもう一度、母を見た。逆卵型かつほっそりとした輪郭に、すっと通った鼻筋。優しげかつ涼やかな眼差し。眉だけは息子の方が太いが、それはカミソリで整えているのだろう。

「東方さんがうちの子を男の子だと勘違いしていることは、なんとなくすぐわかりました。だから何かを疑ったりするようなことはありませんけど、やはり母としては我が子になにか間違いが無いように常に気をつけていなければなりませんから」

 失礼では無いがはっきりと言った。勇のことを親から見れば不審人物であると。

「希望、もしかしてきみ女の子だったの?」

 ライトノベルではよくあるシチュエーションだが、まさか自分がこのセリフを使うことになるとは思わなかった。

「男の子だとは一言も言ってない」

「マジか! 唯と百合はおれが勘違いしていること知ってたのかな」

「呆れてたよ」

 なんと言うことだろう。記憶の中にある友人、彼に瓜二つだったから、希望のことを少年と思い込んでしまったのか。

「唯と百合をきみのガールフレンドだと思っていたよ。三角関係で友情が壊れないのかと心配していた」

「普通に親友です」

「それはよかった」

 勇は座布団から降りて一歩下がり、寮の掌と額を床につけた。

「このたびのこと、この東方勇、一生の不覚です。お母様に多大なご心配をおかけしたこと、誠に申し訳ありません」

「師匠!」

 希望が勇の肩に手をおいて体をゆさぶる。

「この上は、これからのこと全てお母様の心配無きようご指示に従う所存」

「やめてよ、師匠!!」

「しかし、お母様」

 勇は顔を上げた。いきなりの土下座にちょっと引き気味の母と目が合った。勇は若かりし頃、貴人に仕える身分だったので、平伏は堂に入ったものだった。

「希望さんのことを弟のように思っていたことは事実です。もし彼に、いえ彼女の身に危険があればこの命に代えて守りぬく覚悟はあります。それは唯や百合たち、この周辺に住む子らも同様です。それだけは信じていただければ幸いです」

「うっ、師匠ーー」

 シャツの背中に雫の感触が落ち、染みた。

「ずいぶん大げさなことを言うのね」

 反論はしなかったが、それが勇の生き様だった。愛する人、主を守るために負ったいくつかの刀傷が衣服の下に隠れている。よく見れば左まぶたの少し下にも横一線の切り傷があることに気づくだろう。

「希望さんに助けが要るときだけでも見守らせていただければわたしはそれで十分です」
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