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第十章 マージョリー・ノエルテンペストの手記
10-6 マージョリー・ノエルテンペストの言葉
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赤い光に包まれた本が俺の手から離れると、発動した魔法陣は大きく広がった。ゆっくりと回転して輝きを増すと、その中央に朧気と人の姿を浮かび上がらせた。
ぼやけていた幻影は次第にはっきりと、その表情までもが伺えるようになった。
豊かな赤い髪を揺らし、女は口を何度か動かすと首を傾げる。
「師匠?」
俺の横に立ったビオラが、不思議そうに問いかけた。
本が生み出した赤い幻影は、壁にかかっていた絵画マージョリー・ノエルテンペストそのものだ。
マージョリーは何か考えて首を傾げていたが、何か思い付いたのだろう。ついっと指を動かして文字を描き始めた。何かの魔法を紡いでいるようだ。
『うむ、これで良さそうだ。時間もないし、このまま話を進めるとしよう』
「師匠! 時間がないとは、どういう事じゃ?!」
『この本が開かれたということは、無事に鏡の封印が解けたということか』
ビオラの幼い顔が一瞬、喜びに満ち、すぐに唇が尖って不満顔になった。
「そうじゃ、妾は五百年も──」
『我が愛弟子、ビオラが選びし者よ』
「師匠、妾の話を聞いて──」
『時間がなくてな』
噛み合わない言葉に違和感を感じたのだろう。ビオラは眉を寄せ、不満そうな顔を俺に向けた。
これはマージョリーが残した幻影と音の記録だ。つまり、ビオラの姿や声が五百年前の彼女に届くはずはない。
今の時代では当たり前のように使われる魔法を応用した記録技術だが、ビオラにとっては馴染みがないようだ。
『掻い摘んで話すのを許して欲しい』
「師匠、何を企んでおるのじゃ?」
「ビオラ、これは記録だ」
俺の一言で、こちらの言葉がマージョリーに届くことがないと理解したのか、ビオラは大きな瞳に涙を浮かべた。俺はその顔を見ていることが出来ず、頭に手を乗せて軽く叩くと、本に向き直った。
『ネヴィルネーダは腐敗しきっていた。ビオラを連れて戻ったのも、国を救うことが目的であった』
「……国を救う、じゃと?」
『宰相は私の幼馴染というやつだ。奴の提案で、私は稀代の悪しき魔女として城に囚われることとなった。表向き、そうすることで城に留まる理由を作ったのだ』
国を救うってのは大層なことだな。
マージョリーが宰相と共にビオラの能力も使い、国を動かしていたことの裏付けが取れた訳だが、若干、気分が悪い話だな。国のために小さなビオラを上手いこと使い続けたって言うんだからな。
顔をしかめてると、記録のマージョリーは首を垂れた。
『ビオラ、長年辛い思いをさせたな。安全な仕事をさせていたつもりだが、歳を重ねるごとに色々と理解し、不快に思うこともあっただろう。すまなかった』
突然の謝罪にビオラは驚いたのだろう。俺の手を握りしめてきた。
『だが、やらねばならないことだった』
顔をあげたマージョリーの表情はいたって真面目だ。
『とは言え、性急すぎたのであろう。協力者の裏切りに合い、国は戦火に飲まれることとなった』
ローブの下に手を差し込んだマージョリーは、封印の鏡を取り出した。それにはもうビオラが封印されているのだろうか。彼女は愛おしそうに鏡面をそっと撫でた。
『勝手な話だと思うだろうが、ビオラを逃がしてやりたくて、私はこの鏡を作ったのだ』
「妾を封印したのは男じゃった。師匠ではない!」
『……詳しい話はこの本に書いてある』
「師匠! 肝心なことは何も話してくれんのか。いつも、いつもそうじゃ!」
「ビオラ……」
俺はビオラの記憶に触れた時、垣間見た彼女の悲しみと孤独感を思い出した。
あの時、ビオラはマージョリーのやろうとしていることが分からず、師匠を信じきれない自分を許せなかったのかもしれない。
『ビオラ、怒っておるだろうな。お前は子どもらしい時期も過ごさず、気付けば私の片腕として働いていた……』
「そんなことは、どうでも良いのじゃ!」
『だからこそ、私のいない世界を見るんだ』
「師匠がいない世界など、つまらぬ!」
『……駄々をこねるんじゃないぞ。そこが、お前が望んだ王城の外だ』
マージョリーがにっと笑うと、ビオラは肩をびくりと動かし、頭をふるふると横に振り乱した。
彼女はビオラのことをどこまで見抜いていたのか。
「王城の外など望まぬ!」
『ビオラが選びし魔術師よ……』
「師匠!」
『不出来な弟子だが、よろしく頼む。共に、花を咲かせてやってくれ』
開かれた赤い瞳は涙に濡れていた。
マージョリーの唇は躊躇したように震えると、ゆっくりと再び弧を描く。
「師匠!」
『ビオラ、さよならだ』
浮いていた本は光を失くし、ごとっと床に落ちた。
俺の手を振り払ったビオラは本を持ち上げると、声を上げて泣き出した。
どうしてやることも出来ない俺は、その真後ろに腰を下ろすと、ビオラの小さな頭を撫でて彼女が泣き止むのを待った。
マージョリー・ノエルテンペスト。あんたが最善と思ったことは、本当に最善だったのか。もしかしたら、ビオラは国と一緒に命を落としたとしても、あんたの傍にいたかったんじゃないのか。
ビオラの抱える本に視線を落とし、答えのない問いを投げた。
ぼやけていた幻影は次第にはっきりと、その表情までもが伺えるようになった。
豊かな赤い髪を揺らし、女は口を何度か動かすと首を傾げる。
「師匠?」
俺の横に立ったビオラが、不思議そうに問いかけた。
本が生み出した赤い幻影は、壁にかかっていた絵画マージョリー・ノエルテンペストそのものだ。
マージョリーは何か考えて首を傾げていたが、何か思い付いたのだろう。ついっと指を動かして文字を描き始めた。何かの魔法を紡いでいるようだ。
『うむ、これで良さそうだ。時間もないし、このまま話を進めるとしよう』
「師匠! 時間がないとは、どういう事じゃ?!」
『この本が開かれたということは、無事に鏡の封印が解けたということか』
ビオラの幼い顔が一瞬、喜びに満ち、すぐに唇が尖って不満顔になった。
「そうじゃ、妾は五百年も──」
『我が愛弟子、ビオラが選びし者よ』
「師匠、妾の話を聞いて──」
『時間がなくてな』
噛み合わない言葉に違和感を感じたのだろう。ビオラは眉を寄せ、不満そうな顔を俺に向けた。
これはマージョリーが残した幻影と音の記録だ。つまり、ビオラの姿や声が五百年前の彼女に届くはずはない。
今の時代では当たり前のように使われる魔法を応用した記録技術だが、ビオラにとっては馴染みがないようだ。
『掻い摘んで話すのを許して欲しい』
「師匠、何を企んでおるのじゃ?」
「ビオラ、これは記録だ」
俺の一言で、こちらの言葉がマージョリーに届くことがないと理解したのか、ビオラは大きな瞳に涙を浮かべた。俺はその顔を見ていることが出来ず、頭に手を乗せて軽く叩くと、本に向き直った。
『ネヴィルネーダは腐敗しきっていた。ビオラを連れて戻ったのも、国を救うことが目的であった』
「……国を救う、じゃと?」
『宰相は私の幼馴染というやつだ。奴の提案で、私は稀代の悪しき魔女として城に囚われることとなった。表向き、そうすることで城に留まる理由を作ったのだ』
国を救うってのは大層なことだな。
マージョリーが宰相と共にビオラの能力も使い、国を動かしていたことの裏付けが取れた訳だが、若干、気分が悪い話だな。国のために小さなビオラを上手いこと使い続けたって言うんだからな。
顔をしかめてると、記録のマージョリーは首を垂れた。
『ビオラ、長年辛い思いをさせたな。安全な仕事をさせていたつもりだが、歳を重ねるごとに色々と理解し、不快に思うこともあっただろう。すまなかった』
突然の謝罪にビオラは驚いたのだろう。俺の手を握りしめてきた。
『だが、やらねばならないことだった』
顔をあげたマージョリーの表情はいたって真面目だ。
『とは言え、性急すぎたのであろう。協力者の裏切りに合い、国は戦火に飲まれることとなった』
ローブの下に手を差し込んだマージョリーは、封印の鏡を取り出した。それにはもうビオラが封印されているのだろうか。彼女は愛おしそうに鏡面をそっと撫でた。
『勝手な話だと思うだろうが、ビオラを逃がしてやりたくて、私はこの鏡を作ったのだ』
「妾を封印したのは男じゃった。師匠ではない!」
『……詳しい話はこの本に書いてある』
「師匠! 肝心なことは何も話してくれんのか。いつも、いつもそうじゃ!」
「ビオラ……」
俺はビオラの記憶に触れた時、垣間見た彼女の悲しみと孤独感を思い出した。
あの時、ビオラはマージョリーのやろうとしていることが分からず、師匠を信じきれない自分を許せなかったのかもしれない。
『ビオラ、怒っておるだろうな。お前は子どもらしい時期も過ごさず、気付けば私の片腕として働いていた……』
「そんなことは、どうでも良いのじゃ!」
『だからこそ、私のいない世界を見るんだ』
「師匠がいない世界など、つまらぬ!」
『……駄々をこねるんじゃないぞ。そこが、お前が望んだ王城の外だ』
マージョリーがにっと笑うと、ビオラは肩をびくりと動かし、頭をふるふると横に振り乱した。
彼女はビオラのことをどこまで見抜いていたのか。
「王城の外など望まぬ!」
『ビオラが選びし魔術師よ……』
「師匠!」
『不出来な弟子だが、よろしく頼む。共に、花を咲かせてやってくれ』
開かれた赤い瞳は涙に濡れていた。
マージョリーの唇は躊躇したように震えると、ゆっくりと再び弧を描く。
「師匠!」
『ビオラ、さよならだ』
浮いていた本は光を失くし、ごとっと床に落ちた。
俺の手を振り払ったビオラは本を持ち上げると、声を上げて泣き出した。
どうしてやることも出来ない俺は、その真後ろに腰を下ろすと、ビオラの小さな頭を撫でて彼女が泣き止むのを待った。
マージョリー・ノエルテンペスト。あんたが最善と思ったことは、本当に最善だったのか。もしかしたら、ビオラは国と一緒に命を落としたとしても、あんたの傍にいたかったんじゃないのか。
ビオラの抱える本に視線を落とし、答えのない問いを投げた。
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