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第九章 魔女の記憶

9-2 眠り続けるビオラを叩き起こすのに必要なものは?

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 途中休憩を挟み、さらに二時間ほど進んだだろうか。
 すっかり会話もなくなり、車内も静かになった。それに慣れた頃、農村地帯を過ぎた先に緩やかな丘が広がった。赤、紫、ピンク、黄色と鮮やかな花畑が続いている。
 
「ビオラが見たら喜びそうだな」
「起こしましょうか?」
「……そうだな」

 後になって、なぜ起こさなかったかと煩く言われるのも面倒だしな。
 路肩に車を止め、後部座席に身を乗り出すようにして、ビオラを少し乱暴に揺り動かした。

「ビオラ、起きろ」
「花畑が綺麗ですよ、ビオラさん」
「起きないな……おい、ビオラ。いい加減、寝すぎだぞ!」
「かれこれ四時間以上、寝てますね」

 ちらりと時計に目を向けたエイミーの顔に不安の色が浮かんだ。

「おいおい、悪ふざけは程々にしとけよ……ビオラ、起きろ!」

 俺の怒鳴り声が車内に響くが、ビオラはうんともすんとも言わずに、静かな寝息を立て続けた。

「近くに、組合ギルドの宿はあるか?」
「ありますね。ここからでしたら、五分くらいで着きます」
「今夜中に、もう少し進もうと思っていたが……」
「一度、ビオラさんをちゃんとみた方が良いかと」
「それもあるが……もしも、このままの状態で山越えをするなら、ビオラなしになる」
「起きない可能性があると考えてるんですか?」
「ゼロじゃないだろ?」
 
 それも含めて話をしたいと言うと、エイミーは少し渋い顔をして頷いた。
 宿はすぐに見つかった。
 車を止め、ビオラの荷物をエイミーに持たせると、俺は少し重たくなったビオラを抱え上げた。

 古いドアをくぐると、受付にいる中年の男と目があった。客を相手にしているとは思えないような、訝しんだ目を向けてくる。かどわかしか何かと思われているのだろう。

「お連れさん、具合が悪いのかい?」
「魔力酔いだと思う。休ませたい」
「……一泊かい? 登録証を出してくれ」

 あからさまに俺を下に見ている態度が気に入らなかったが、組合の国際証を提示すると、男の顔色がさっと変わった。
 この男も魔術師なのだろうが、片田舎で宿の受付にいるくらいだから高が知れている。だが、国際証は知っていたようだし、余計ないざこざを起こさずに済みそうだ。

「ご入用のものがありましたら、遠慮なくなくお申し付けください!」

 見事に態度を変えてきた男に興味などなく、ルームキーをエイミーに渡した俺はビオラを抱えなおした。
 ビオラが小さく何か呟いた気がし、その顔を見るが特に変化はなかった。
 昨夜の楽観的なビオラの笑顔を思い出し、舌打ちをしそうになった俺は、男に背を向けてさっさと部屋に向かった。

 部屋は昨日の宿とそう変わらない、シングルベッドが二つに長椅子が一つだ。
 奥のベッドにビオラを下ろすと、エイミーが不安そうに様子を伺った。

「呼吸が苦しい様子はありませんね」
「あぁ、体温も心拍数もいたって正常だ。寝ているだけだな」
「魔力酔い、でしょうか?」
「あの受付の手前そういったが……魔力不足かもな」

 魔力酔いは、一般的に魔法の発動、あるいは受けた際に起きる症状だ。平衡感覚を失ったり、昏睡したりする様子が、まるで酒に酔ったように見えるため、そ総称されている。魔術師であれば、学び途中の若い術者によく見られる。

「魔力不足?」
「あぁ、体が急に大きくなったはいいが、体内での魔力生成が追い付いていないのかもしれない」

 ジャケットの内ポケットから、車内でビオラの首から外しておいたペンダントを取り出した。

「このペンダントは、小さな球がビオラの魔力の貯蔵庫みたいなものでな」
「それを、一気に取り込んで体内に融合させたんです、よね?」
「あぁ……それで一気に活性化したのは……魔力を制御するときに、ビオラが呟いてた魔法だ。多分あれは種族変化の応用だ」
「見た目を変える魔法ですか。魔力を抑え込みながら、自ら肉体を変えて活性化させたとあれば、前例を見ない大魔法ですよ!」

 驚きと興奮を隠せないエイミーは顔を輝かせて、さすが魔女さんですと言う。
 種族変化の基本は、おおよそ同じ体型に限られる。自分より大きい、あるいは小さい者にはなれないのが、通説だからな。魔術師組合で報告をしたら、さぞ興味を持たれるだろう。

 だが、そんなことはどうでも良い。
 俺が欠片も笑みを見せないことに気づいたエイミーは慌てて口を噤《つぐ》んだ。
 
「肝心の生成能力が追い付いていないなら……」

 やることはただ一つだろう。
 人差し指に刻まれた印を見つめ、俺は静かに息を吐いた。

「ビオラを起こすことは出来ると思うが、しばらく、俺は使い物にならないだろう」
「……どういうことですか?」
「俺とビオラは、契約を結んでいる」
「契約と言いますと……使い魔的な?」
「分かりやすく言えば、そうだな」

 ベッドの端に腰を下ろし、ビオラの細い指に刻まれた赤い紋様を確認すると、その手を握った。

「契約ってのは、魔力の共有もされる」
「つまり、ラスさんの魔力をビオラさんに渡すということですか?」
「あぁ。ただ、寝こけてるビオラがどれくらい魔力を欲してるか、測れないからな……俺も倒れるかもしれない」
「分かりました。その時は、お任せください!」
「やたらなことはしなくていいが……その時、ビオラが起きたら、事情を説明してやってくれ」

 気合十分なエイミーに苦笑を見せると、彼女はほっと肩の力を抜いた。

「やっと笑いましたね」
「……そうか?」
「きっと、大丈夫ですよ」

 根拠のない励ましに、そうだなと相槌をうって、俺はビオラの指を握りしめた。
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