上 下
26 / 115
第三章 幼き魔女

3-1 暴食の魔女と言われても、五百年前の御伽噺を信じるのは難しい

しおりを挟む
 赤い布をばさりと翻して立つ幼女ビオラは、自分がだと言い放った。

 そんな話があるか。
 確かに、あの鏡の重複封印は並みのものじゃなかった。とは言え、稀代の悪女とも云われる魔女の封じられた異物が、そう簡単に世の中に出てくるなんてあり得ないだろう。
 そんなのがあるとしたら、どこぞの国が厳重に保管していても、おかしくない代物だ。
 だが、の魔力は凄まじかった。あれが自分を暴食の魔女だと言ったなら、信じてしまっただろう。

 まてまて、落ち着け。冷静になるんだ。
 そもそもだ。暴食の魔女はおとぎ話みたいなものじゃないか。

 小さな手に握られる銀の鏡とビオラを交互に見た俺は、片手で口元を覆うようにして自分の頬を触りながら唸った。
 
 暴食の魔女と言えば、その名の通り異常な食欲をもち、ネヴィルネーダ国を喰いつくして衰退に導いたといわれる魔女だ。
 絶世の美女でもあり、最後の国王となった暗君フレデリックはその美貌に魅了され、魔女の求めるものは何でも与えたという。
 ただ美しいだけならまだ良かった。
 知性と教養もあった為、魔女は社交界でもその地位を確かなものにしていった。そして、王の寵姫となってからの地位は、第一王妃をしのぐようになった。
 絶大な権力と魔力をもって全てを意のままに操った伝説の悪女にして傾国の魔女。

 その暴食の魔女が、今目の前にいるちんちくりんな幼女だというのか。

「お前が封じられていた女と同一人物なのは、百歩譲って認める」
「百歩もなにも、妾じゃ!」
「けどな、暴食の魔女ってのは、絶世の美女だった、て伝え聞くが──」
「妾ほど美貌の持ち主は、国中どこを探してもいなかろう!」

 絶世の美女という単語に、にんまりと笑ったビオラは小さな体をのけぞらすように胸を張った。もっと褒めたたえよと言わんばかりの天狗てんぐぶりだ。
 
「俺には、お前が絶世の美女にはこれっぽちも見えないな」
「なんじゃと?」
「その幼児体型から、どう見たら絶世の美女が想像できるんだ?」
「お主が失敗せねば、このような情けない姿になどならんかったわ!」
「第一に、絶世の美女ってのは、そんな傲慢じゃないと思うぜ」
「妾を愚弄するか!」
「五百年前は、高飛車な女の方が好まれたのか?」

 顔を真っ赤にして怒りをあらわにするビオラは持っていた鏡を振り上げ、俺に殴り掛かろうとしたところで、ぴたりと止まった。
 
「今、五百年前と言ったか?」

 真っ赤だった顔から、さっと色味が失せた。
 何に驚いているのかと、一瞬考えたが、ビオラの指が鏡の持ち手をきつく握りしめて震えているのが目に入った。
 嗚呼、そうかと察してしまった。
 封印されている間、ビオラの時間はほぼ止まっていた筈だ。つまり彼女は、つい昨日、あるいは数分前に封じられたような感覚でいるはずだ。
 
「──ネヴィルネーダ国はとっくの昔に滅んでる。と言うか、国のあらゆるものが封じられた」
「……なんじゃと?」
「暴食の魔女の話も、今じゃぁ、御伽噺おとぎばなしだ」

 どんぐりまなこをさらに大きく見開き、ビオラは驚愕の色をにじませる。

「では、ここはネヴィルネーダではないのか? 妾を封印したは、ここにいないというのか!?」
 
 だんっと小さな足が床を踏み鳴らした。その瞬間、幼い顔が憎しみに彩られたの顔と重なった。
 一瞬、ぞくりと背筋が冷え、会話が途切れる。
 もしもビオラのいう通り、こいつが暴食の魔女だとしたら、封印が完全に解かれたらどうなるんだ。
 婆さんや顔馴染みたちの笑顔、そして、依頼人のダグラス・メナードの顔が脳裏にちらついた。
 今なら葬れる──誰かがそう呟いたようだった。だが、もしもはどうなるか。
 
 杖を握りしめたその時だ。ビオラの傍にいたシルバが、彼女の小さな手に頭を擦りつけた。
 ハッとした赤い瞳がしぱしぱと瞬きを繰り返し、不思議そうに素利用頭を見た。次に見せたのは、困惑の表情だ。

 その小さな唇から深い息が吐き出された。
 静かに窓の外を振り返り、朝日が燦燦さんさんと差し込む様子に目を細める。
 ゆっくりと、ドレスの裾が翻った。
 重いだろうに、ビオラは裾を引きずりながら窓辺に歩み寄った。

「ここは……どこじゃ?」
 
 少し背伸びをすると、外を見る赤い瞳が不安に染まった。その形の良い眉がひそめられる。
 ビオラの瞳に写る景色は、ネヴィルネーダとは違うのだろう。

 肩を落とすビオラの後ろ姿を見ながら、俺は鏡の封印解除を依頼したダグラス・メナードのことを考えていた。
 この傲慢なガキを引き渡して、彼の母親が納得するだろうか。ひとまず、弟ウィニーを亡き者にするような計画には加担せずに済みそうだが。
 暴食の魔女だと知ったら、完全に封印を解けと言われる可能性もあるな。だが、あの化け物のような女の相手はしたくない。

「……ラスと言ったな」
「あぁ、何だ?」
「五百年などと、嘘を言っておるのではないな?」
「そんな嘘をついて、俺に何の得がある?」
「では、ここはどこじゃ! お前にはその説明をする義務があろう!」

 勢いよく振り返ったビオラは、まるで獣のような眼をしていた。
 不安、孤独、怒り。様々な負の要素が魔力の生む陽炎となり、彼女を包んでいるのが分かる。それは、まるで封印を解いた直後に見た女がまとう魔力のようにも感じ取れた。
 やはり、人畜無害の幼女と言うわけでもなさそうだ。とはいえ、俺の魔力の半分にも満たないこいつを、依頼人に脅威だとは言えないな。

 俺はおもむろに立ち上がり、ビオラに歩み寄ると、その小さな体をひょいっと抱え上げた。
 
「何をする! 気安く触るでない!」
「口で説明するより、見た方が早いだろう?」

 長いドレスの裾を手繰り寄せ、それごと抱えてビオラを外に連れ出した。
 晴れ渡る青空から、燦燦とした陽射しが降り注いだ。それが眩しかったのか、ビオラは目を細め、小さな手で俺の襟元を掴んできた。

「そのまま、しっかり摑まってろ!」
「何を──!?」

 ビオラが問う前に、俺は杖で地面を叩いた。
 風が舞い上がり、ふわりと体が軽くなる。ほんの数センチ、足が地上を離れた直後だ。足裏に衝撃を受け、俺たちは吹き上がった風と共に勢いよく上昇した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

婚約破棄されて異世界トリップしたけど猫に囲まれてスローライフ満喫しています

葉柚
ファンタジー
婚約者の二股により婚約破棄をされた33才の真由は、突如異世界に飛ばされた。 そこはど田舎だった。 住む家と土地と可愛い3匹の猫をもらった真由は、猫たちに囲まれてストレスフリーなスローライフ生活を送る日常を送ることになった。 レコンティーニ王国は猫に優しい国です。 小説家になろう様にも掲載してます。

勇者に幼馴染で婚約者の彼女を寝取られたら、勇者のパーティーが仲間になった。~ただの村人だった青年は、魔術師、聖女、剣聖を仲間にして旅に出る~

霜月雹花
ファンタジー
田舎で住む少年ロイドには、幼馴染で婚約者のルネが居た。しかし、いつもの様に農作業をしていると、ルネから呼び出しを受けて付いて行くとルネの両親と勇者が居て、ルネは勇者と一緒になると告げられた。村人達もルネが勇者と一緒になれば村が有名になると思い上がり、ロイドを村から追い出した。。  ロイドはそんなルネや村人達の行動に心が折れ、村から近い湖で一人泣いていると、勇者の仲間である3人の女性がロイドの所へとやって来て、ロイドに向かって「一緒に旅に出ないか」と持ち掛けられた。  これは、勇者に幼馴染で婚約者を寝取られた少年が、勇者の仲間から誘われ、時に人助けをしたり、時に冒険をする。そんなお話である

若返った! 追放底辺魔術師おじさん〜ついでに最強の魔術の力と可愛い姉妹奴隷も手に入れたので今度は後悔なく生きてゆく〜

シトラス=ライス
ファンタジー
パーティーを追放された、右足が不自由なおじさん魔術師トーガ。 彼は失意の中、ダンジョンで事故に遭い、死の危機に瀕していた。 もはやこれまでと自害を覚悟した彼は、旅人からもらった短剣で自らの腹を裂き、惨めな生涯にピリオドを……打ってはいなかった!? 目覚めると体が異様に軽く、何が起こっているのかと泉へ自分の姿を映してみると……「俺、若返ってる!?」 まるで10代のような若返った体と容姿! 魔法の要である魔力経路も何故か再構築・最適化! おかげで以前とは比較にならないほどの、圧倒的な魔術の力を手にしていた! しかも長年、治療不可だった右足さえも自由を取り戻しているっ!! 急に若返った理由は不明。しかしトーガは現世でもう一度、人生をやり直す機会を得た。 だったら、もう二度と後悔をするような人生を送りたくはない。 かつてのように腐らず、まっすぐと、ここからは本気で生きてゆく! 仲間たちと共に!

加護を疑われ婚約破棄された後、帝国皇子の契約妃になって隣国を豊かに立て直しました

ファンタジー
幼い頃、神獣ヴァレンの加護を期待され、ロザリアは王家に買い取られて王子の婚約者となった。しかし、侍女を取り上げられ、将来の王妃だからと都合よく仕事を押し付けられ、一方で、公爵令嬢があたかも王子の婚約者であるかのように振る舞う。そんな風に冷遇されながらも、ロザリアはヴァレンと共にたくましく生き続けてきた。 そんな中、王子がロザリアに「君との婚約では神獣の加護を感じたことがない。公爵令嬢が加護を持つと判明したし、彼女と結婚する」と婚約破棄をつきつける。 家も職も金も失ったロザリアは、偶然出会った帝国皇子ラウレンツに雇われることになる。元皇妃の暴政で荒廃した帝国を立て直そうとする彼の契約妃となったロザリアは、ヴァレンの力と自身の知恵と経験を駆使し、帝国を豊かに復興させていき、帝国とラウレンツの心に希望を灯す存在となっていく。 *短編に続きをとのお声をたくさんいただき、始めることになりました。引き続きよろしくお願いします。

転異世界のアウトサイダー 神達が仲間なので、最強です

びーぜろ@転移世界のアウトサイダー発売中
ファンタジー
告知となりますが、2022年8月下旬に『転異世界のアウトサイダー』の3巻が発売となります。 それに伴い、第三巻収録部分を改稿しました。 高校生の佐藤悠斗は、ある日、カツアゲしてきた不良二人とともに異世界に転移してしまう。彼らを召喚したマデイラ王国の王や宰相によると、転移者は高いステータスや強力なユニークスキルを持っているとのことだったが……悠斗のステータスはほとんど一般人以下で、スキルも影を動かすだけだと判明する。後日、迷宮に不良達と潜った際、無能だからという理由で囮として捨てられてしまった悠斗。しかし、密かに自身の能力を進化させていた彼は、そのスキル『影魔法』を駆使して、ピンチを乗り切る。さらには、道中で偶然『召喚』スキルをゲットすると、なんと大天使や神様を仲間にしていくのだった――規格外の仲間と能力で、どんな迷宮も手軽に攻略!? お騒がせ影使いの異世界放浪記、開幕! いつも応援やご感想ありがとうございます!! 誤字脱字指摘やコメントを頂き本当に感謝しております。 更新につきましては、更新頻度は落とさず今まで通り朝7時更新のままでいこうと思っています。 書籍化に伴い、タイトルを微変更。ペンネームも変更しております。 ここまで辿り着けたのも、みなさんの応援のおかげと思っております。 イラストについても本作には勿体ない程の素敵なイラストもご用意頂きました。 引き続き本作をよろしくお願い致します。

錬金術師カレンはもう妥協しません

山梨ネコ
ファンタジー
「おまえとの婚約は破棄させてもらう」 前は病弱だったものの今は現在エリート街道を驀進中の婚約者に捨てられた、Fランク錬金術師のカレン。 病弱な頃、支えてあげたのは誰だと思っているのか。 自棄酒に溺れたカレンは、弾みでとんでもない条件を付けてとある依頼を受けてしまう。 それは『血筋の祝福』という、受け継いだ膨大な魔力によって苦しむ呪いにかかった甥っ子を救ってほしいという貴族からの依頼だった。 依頼内容はともかくとして問題は、報酬は思いのままというその依頼に、達成報酬としてカレンが依頼人との結婚を望んでしまったことだった。 王都で今一番結婚したい男、ユリウス・エーレルト。 前世も今世も妥協して付き合ったはずの男に振られたカレンは、もう妥協はするまいと、美しく強く家柄がいいという、三国一の男を所望してしまったのだった。 ともかくは依頼達成のため、錬金術師としてカレンはポーションを作り出す。 仕事を通じて様々な人々と関わりながら、カレンの心境に変化が訪れていく。 錬金術師カレンの新しい人生が幕を開ける。 ※小説家になろうにも投稿中。

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐@書籍発売中
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

処理中です...