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第二章 五百年前の遺物

2-11 思考を止めるな。一か八かに賭けろ!

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 あの女が、封じられていたものか。
 窓ガラスは粉々に砕け、外から吹き込んだ風をはらんだカーテンがバサバサと音を立てた。

「ふふっ……ふふふっ」

 艶のある笑い声が響き、ゆらりと影が動いた。影の動きに合わせるように、赤いドレスがふわりと揺れる。
 薄暗い中でもその様子は分かった。

「……女?」

 外から差し込むわずかな薄明かりの中、こぼれんばかりの白いふくらみがたゆんと揺れた。くびれた腰の下で形の良い臀部ヒップが左右に揺れれば、ドレスの裾が風に揺れる花弁のように広がる。
 二十四、五歳ってところか。俺とそう齢は変わらなさそうだ。着ているドレス姿から、それなりの貴族の女に見える。

 白魚のような細い指に握られる銀の手鏡が鈍く光ると、笑い声がぴたりと止んだ。

 何かがおかしい。
 今、ひしひしと感じる異様な威圧感プレッシャーは何なんだ。あの女の魔力か。
 背筋を落ちる汗に嫌なものを感じ、煩く鳴る鼓動を静めようと、俺は静かに息を吐いた。

わらわをこのようなものに封じるとは……あの男、許しはせぬ」

 いきどおりをにじませる冷ややかな声が響いた。
 影がゆっくりと振り返ると、長いハニーブロンドの髪がふわりと揺れた。

 マズい!──無意識に体が動き、身構えていた。
 今まで感じたことのない威圧感と魔力の波が向けられ、喉が干上がった。これは、俺の手に終える相手じゃない。
 薄暗い部屋でも分かるほど、女の赤い瞳が鋭い光を放っていた。

「お前が、妾の封印を解いたのか? ご苦労であった」

 俺を指さす爪の先に、星の瞬きを思わせる白い光が灯る。
 この女は化け物だ。
 あの一撃を食らったら、ひとたまりもないだろう。だが、あらがうにも俺の杖は床に刺さったままだ。
 さあ、どうする。
 待ってなどくれそうにない相手を前に、干上がった喉に唾液を押し流し、必死に思考回路を働かせた。そして出た答えは──

「褒美として、その魔力いのち、妾のかてとしてもらってやろう」

 赤い唇がつり上がった。
 瞬間、床に突き刺したままの杖に向かって駆けだした。
 まずは杖だ。一か八か、賭けるしかない。
 ここまで来て、報酬を得ずに死んでたまるか。そうひとちる間もなく手を伸ばし、それを掴み取ろうとした。
 薄暗い部屋に朝日が差し込み、目を細めたと同時に強烈な衝撃が再び体を吹き飛ばした。
 
 衝撃にあおられる直前、杖を掴んでいたのは幸いだった。
 部分封印の魔法を発動する間はなく、咄嗟とっさに引き抜いて防御魔法を高速で展開する。それでも、全身にとんでもない強打が叩き込まれた。

 こんちくしょうが。
 だが、杖も俺も無事だ。再び魔法陣に差し込めば発動できる。まだ、打つ手はある。
 再び壁に向けて放った衝撃緩和の防御魔法陣に着地し、濛々もうもうと立ち込める埃に目を細めた。

 朝日が差し込み、惨憺さんたんたる部屋の様子が浮かび上がる。これは復旧にそれなりの金と労力が必要そうだ。

 まずは、あの女をどうにかしなければならない。
 特に埃が立ち込める魔法陣の中央を探すが、その姿は目視できなかった。

「どこだ? まさか──」

 魔法陣が破られたかと思い、握る杖を確認した。
 しかし、柄に埋め込まれる魔法石の様子はいたって正常だ。
 これは発動中の魔法と繋がっている。魔法が破られたり、効果を失うことがあれば異常が現れる。ヒビ一つ入っていない。変色もない。つまり、女はまだ魔法陣の中だ。

 こちらから仕掛けるなら今か。そう考えながら、俺は再び目を凝らした。
 
「……いない。不可視魔法インビジブルか?」

 埃が落ち着き始め、朝日も差し込んでいるというのに、そこに人影は見られなかった。
 ぞっと背筋が震えた。
 再び襲い来る衝撃を想像して身構えた。その瞬間だ。俺の横をシルバが駆けぬけ、魔法陣の中に突入した。

「シルバっ!?」

 シルバを呼び戻そうと声を張り上げた直後、窓から風が吹き込み、視界が晴れた。
 魔法陣の中央に、赤いドレスが丸まっている。しかし、女はいない。

 脱ぎ捨てられたドレスに鼻を突っ込んだシルバは、何かを探していた。
 一度顔をあげて俺を見ると、今度は赤い布をくわえて引っ張る。そこに、何か大切なものがあると伝えるように。

 不可視魔法を使っている可能性も考え、気配を探りながら慎重に、魔法陣の中に足を踏み込んだ。その直後──

「このへっぽこ魔術師が!」

 ばさっと赤いドレスがひるがえり、ちんちくりんな幼女が顔を出した。
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