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第一章 守銭奴魔術師の日常
1-11 封印に込められた真意に気付かないのは、もったいない。
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光を失った正六面体が、ゴトンッと音を立て、テーブルの上に落ちた。
静寂が訪れ、手帳を手にしたケビンは力なく椅子に腰を下ろした。
「さっきのは、一体……若かったけど、あれは、間違いなく……母だ」
ぶつぶつと呟く姿には、悲壮感が漂っている。
正六面体に封印されていたのが、自分の母親と思っている。そんなとこだろうか。だが、それは思い違いだ。
すでに光を失った正六面体に視線を向けた俺は、静かに息を吐いた。
こんなに素晴らしい封印に出会うのは久しぶりだ。その真意を持ち主が気づけないのは、もったいない。
「この箱に閉ざされていたのは、旦那の親父さんの記憶だろう」
「……記憶?」
「あぁ、封印できるものは物質だけじゃないからな。そして、その手帳は──」
俺が手帳を指し示すと、ケビン・ハーマンは慌てて中を開いた。
そこに、この封印の真意を解く鍵があるはずだ。読み進めれば必ず分かるだろうし、それは、彼自身が気づかなければならないことだ。
捲られたページがパラリと音を立て、肌の荒れた太い指先は小刻みに震えていた。
「……日記? 私が、生まれる前の」
やはり、日記だったか。
あれほど優しく微笑む幻影だ。恨みや呪いなんて類いではないだろう。
おそらく、日記には新しい命の誕生を待ち望む言葉や、季節の移ろいを愛でる日々が綴られているのではないか。悲壮感の漂っていた顔に赤みが戻ったのを見れば、何となく分かる。
ケビン・ハーマンの両目から涙がこぼれ落ち、そのかさついた唇がゆっくりと口角をあげた。
何度も繰り返される愛の言葉は、どこまでも優しく彼の胸に響いているのだろう。次から次へと落ちた涙が、彼の黒いボトムスにいくつも染みを作っていた。
「あぁ……私は、愛されていたのか……」
「我が子を愛さない親なんて、いないと思うぜ」
「……そうかもしれない。ただ、私の母は幼くして他界し……父とは喧嘩ばかりだったんですよ」
喧嘩をして家を飛び出し、ろくに手紙も出さずに幾年も年月が過ぎた。そして、十数年ぶりに届いた手紙は訃報を知らせるものだった。後悔を滲ませながらケビン・ハーマンは、独り言を溢すように語った。
それを聞きながら、俺は棺に横たわる母の姿を思い浮かべていた。
色とりどりの花に埋め尽くされた白い母。恐ろしいほどに美しかった。最後の会話が「母さんなんて大っ嫌いだ」だったのは、今、思い出しても胸が苦しくなる。
少し俯いたままのケビン・ハーマンは、汚れた袖口で涙を拭うと、深く息を吐いた。
亡き父と交わした最後の会話でも、思い出しているのだろうか。
「……親不孝者、ですよね」
「旦那がそう思うなら、そうかもしれない。だけど、こんな優しい記憶を遺したんだ。恨んじゃいないだろうよ」
恨んではいない。それは俺自身が亡き母に願う唯一のこと。憂いも恨みもなく、どこかで生まれ変わって新しい道を歩んで欲しい。
「来世があるかどうかは知らない。けど、記憶を残す奇跡があるこの世界では、何が起きても不思議じゃないだろ」
顔を上げたケビン・ハーマンは、俺の言葉に目を見開く。
説教なんて、俺の柄じゃない。だけど、せっかくこんな美しい記憶を手に入れて、俯いているなんてのはもったいない。それに、金貨一枚が無駄だったなんて思って、帰って欲しくはない。
「あんたの両親は、きっとどこかで幸せにしている。そして、また、あんたは出会う……そう願って、その奇跡に恥じない人生を送れば、良いんじゃねぇの?」
「奇跡に、恥じない人生……」
「あんたは生きている。望んで生まれたんだ。人生、全うしなきゃ、もったいないぜ」
正六面体を手に取り、ケビン・ハーマンに差し出す。
「あんたが誰かに記憶を残したいと思った時、俺を訪ねるといい。あんたの記憶を、それに封印してやるよ」
きっちり、金貨一枚でな。そう付け加えると、ケビン・ハーマンは涙を浮かべて笑った。
泣き腫らした顔で、彼は手帳と正六面体を大切に抱えて去っていった。
一人になり、息を吐いて肩の力を抜いた。
見上げた壁掛け時計は、まだ夕暮れには早いことを告げている。
店を閉めるにはだいぶ早いが、今日は気分のいいところで店じまいにするのも悪くない。そんなことを思いながら表に出て、立て看板を畳もうとすると声がかけられた。
「あの、ラストさんのお店はこちらでしょうか?」
振り返ると、身なりの良い青年が立っていた。
静寂が訪れ、手帳を手にしたケビンは力なく椅子に腰を下ろした。
「さっきのは、一体……若かったけど、あれは、間違いなく……母だ」
ぶつぶつと呟く姿には、悲壮感が漂っている。
正六面体に封印されていたのが、自分の母親と思っている。そんなとこだろうか。だが、それは思い違いだ。
すでに光を失った正六面体に視線を向けた俺は、静かに息を吐いた。
こんなに素晴らしい封印に出会うのは久しぶりだ。その真意を持ち主が気づけないのは、もったいない。
「この箱に閉ざされていたのは、旦那の親父さんの記憶だろう」
「……記憶?」
「あぁ、封印できるものは物質だけじゃないからな。そして、その手帳は──」
俺が手帳を指し示すと、ケビン・ハーマンは慌てて中を開いた。
そこに、この封印の真意を解く鍵があるはずだ。読み進めれば必ず分かるだろうし、それは、彼自身が気づかなければならないことだ。
捲られたページがパラリと音を立て、肌の荒れた太い指先は小刻みに震えていた。
「……日記? 私が、生まれる前の」
やはり、日記だったか。
あれほど優しく微笑む幻影だ。恨みや呪いなんて類いではないだろう。
おそらく、日記には新しい命の誕生を待ち望む言葉や、季節の移ろいを愛でる日々が綴られているのではないか。悲壮感の漂っていた顔に赤みが戻ったのを見れば、何となく分かる。
ケビン・ハーマンの両目から涙がこぼれ落ち、そのかさついた唇がゆっくりと口角をあげた。
何度も繰り返される愛の言葉は、どこまでも優しく彼の胸に響いているのだろう。次から次へと落ちた涙が、彼の黒いボトムスにいくつも染みを作っていた。
「あぁ……私は、愛されていたのか……」
「我が子を愛さない親なんて、いないと思うぜ」
「……そうかもしれない。ただ、私の母は幼くして他界し……父とは喧嘩ばかりだったんですよ」
喧嘩をして家を飛び出し、ろくに手紙も出さずに幾年も年月が過ぎた。そして、十数年ぶりに届いた手紙は訃報を知らせるものだった。後悔を滲ませながらケビン・ハーマンは、独り言を溢すように語った。
それを聞きながら、俺は棺に横たわる母の姿を思い浮かべていた。
色とりどりの花に埋め尽くされた白い母。恐ろしいほどに美しかった。最後の会話が「母さんなんて大っ嫌いだ」だったのは、今、思い出しても胸が苦しくなる。
少し俯いたままのケビン・ハーマンは、汚れた袖口で涙を拭うと、深く息を吐いた。
亡き父と交わした最後の会話でも、思い出しているのだろうか。
「……親不孝者、ですよね」
「旦那がそう思うなら、そうかもしれない。だけど、こんな優しい記憶を遺したんだ。恨んじゃいないだろうよ」
恨んではいない。それは俺自身が亡き母に願う唯一のこと。憂いも恨みもなく、どこかで生まれ変わって新しい道を歩んで欲しい。
「来世があるかどうかは知らない。けど、記憶を残す奇跡があるこの世界では、何が起きても不思議じゃないだろ」
顔を上げたケビン・ハーマンは、俺の言葉に目を見開く。
説教なんて、俺の柄じゃない。だけど、せっかくこんな美しい記憶を手に入れて、俯いているなんてのはもったいない。それに、金貨一枚が無駄だったなんて思って、帰って欲しくはない。
「あんたの両親は、きっとどこかで幸せにしている。そして、また、あんたは出会う……そう願って、その奇跡に恥じない人生を送れば、良いんじゃねぇの?」
「奇跡に、恥じない人生……」
「あんたは生きている。望んで生まれたんだ。人生、全うしなきゃ、もったいないぜ」
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泣き腫らした顔で、彼は手帳と正六面体を大切に抱えて去っていった。
一人になり、息を吐いて肩の力を抜いた。
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店を閉めるにはだいぶ早いが、今日は気分のいいところで店じまいにするのも悪くない。そんなことを思いながら表に出て、立て看板を畳もうとすると声がかけられた。
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