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第六章 死を許さない呪い

246 オレクサンドル・奇跡の時

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 精霊たちの囁き声が止まり、私は顔を上げた。
 王家の紋章が刻まれた馬車の中にいるのは、私の他、ホレス・アストリー宮中伯。周囲を警護するのは近衛騎士と王国騎士団長クレイグ、そして魔法師ベリンダ。ハヴェル公爵は風の精霊が騒ぐと、この場を離れている。よからぬ者の接近を阻止しているのであろう。

 先刻、馬車の横を我が孫、サシャが通りかかった。
 視線が合ったのは一瞬。
 だが、サシャの表情に戸惑いや恐怖の色は無かった。
 彼の者も精霊の声を聞くことができる、王たる資格を持つ者。斬首台に引き立てられているという中でも、何か予感めいたものを感じているのだろう。

 そして今、運命の時が巡って来た。

 長い――本当に、長い時を待った。

 どれほどの苦しみや悲しみがあったか分からない。
 だが、それは全てこの時のために乗り越えなければならない試練だったのだと。

「扉を開けよ」

 私の言葉に、近衛騎士が戸惑う声で返してきた。

「陛下、斬首台にお命を狙いました国賊アランが現れてございます。馬車をお出になってはなりません」
「扉を開けよ」

 扉越しに答える騎士に、私は同じ言葉を繰り返す。
 一瞬の躊躇ちゅうちょが見えたが、騎士は馬車の扉を開けた。ホレスが続き声をかける。

「陛下、これ以上近付くのは危険であります」
「余はこの時を、目の前で見届けなければならぬ」

 杖を必要とする身になりはしたが、数百年の、英霊の時代から続く呪いすらも、今この時に消えゆこうとする。その確かな一歩を見届けなければならない。
 頭を下げたホレスは、私のもう片方の手を取り斬首台の上へと導いた。



 サシャの、胸から今まさに、金の炎が立ち上り始めていた。

 膝をつくその上には背に何本もの矢を受け、息絶えたかのように横たわる獣人の青年。
 初めて目にしたあの時、青年は呪縛の発動により狂気に染まりかけていた。今……その表情は、苦悶から解放されたかのようにも見える。
 そしてサシャはアランを膝に抱いたまま、精霊の意識と一体化し、見開いた瞳は虚空に向けられていた。



 風が、サシャを中心として回り始める。街路樹が大きく揺れる。
 天を厚い雲が覆い、辺りは夕刻のように薄暗くなっていた。遠く雷鳴が轟き、斬首台を取り囲む民衆は、声を失い見上げている。

 金色の炎は更に大きくなり、獣人の青年――アランを包み込んだ。

 矢が突き刺さった背から黒い霧が立ち上り、多頭の竜のように大きくうねり暴れる。
 具現化した呪縛の姿である。
 呪いは金の炎に抵抗するように頭を振るが、それすら飲み込むように炎は包み込んていった。

 熱は感じない。
 魔を……呪いを浄化する、精霊とエルフの血がせる奇跡の炎ならば。金色に輝く炎は初夏の陽射しのように眩しく、辺りを照らしていく。
 呪縛は抵抗もできず、炎に焼かれ塵と化して消えていく。

「オォォオオオ!」

 大気を震わせ、呪縛は断末魔の叫びを上げた。
 だが、どれほど強い力で抵抗しようとも、サシャの想いから生まれた浄化の炎の前には太刀打ちなどできない。
 最後の一握りの呪いすら優しい炎は焼き尽くし、風と共に塵を天へと運んでいく。そして風は厚い雲を割り、最後の一欠けらすら焼き切った呪縛と共に消えていった。

 雲間から、光の筋が下りてくる。

 王都の家々の屋根を、広場を、見上げる民衆の横顔を照らし、斬首台のサシャとアランを光で包み込む。
 息を止めるようにして側で見守っていた騎士ザハリアーシュは、手にした剣を床に置き、片膝をついて二人に寄り添った。そしてアランの背の矢を抜いていく。
 奇跡の光はアランの傷口を塞ぎ、死の縁にいた青年に命の息吹を与えた。

 不意に大きく息を吸ったかと思うと、激しく咳き込み体を震わす。
 ハッとした顔になったサシャは、手錠をはめられたままの不自由な腕で、青年を胸に抱き上げた。

「アラン!」
「げほっ! はっ、あ……」
「アラン殿!」

 二人に呼びかけられ、青年がうっすらと瞳を開く。
 サシャの浄化の炎が宿ったかのように、澄んだ金の瞳だ。その瞳が抱き上げる者の頬に手を寄せて、そっと囁いた。

「サ、シャ……」
「……アラン」

 きゅっと唇を噛み涙を堪える。
 呪縛は消えた。奇跡の力で消えたのだ。

「陛下……」

 横で同じように一部始終を見守っていたホレスが呟いた。
 私は頷き答える。

「次代の王は、精霊の加護を受けた者であり、印として誰にでもそうと分かる奇跡を起こす」

 サシャこそが、バラーシュの王冠を受け継ぐ者。そして英霊の時代から続いてきた呪いすら打ち消す、運命の御子である。
 我が娘、オティーリエの悲願も叶うであろう。

 側で見守っていた私の存在に気づいたのか、アランはゆっくりと体を起こし、こちらを見上げた。
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