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第六章 死を許さない呪い
197 月夜の訪問者
しおりを挟む聞き間違いだろうか。
僕はベッドから体を起こして、精霊の声に耳にを傾ける。
「来るって……誰が?」
その時、テラスに続く大きな窓の扉が、キィ、と軽い音を立てて開いた。
風が流れる。
揺れる、薄いカーテンの向こうに、ふと人の気配を感じて僕は息を止め、顔を向けた。
高い身長。がっしりとした体格。風になびくマント。
月の影になり顔までは分からない。
けれど僕はそのシルエットだけで誰か見分けることができた。
「ア――」
声を上げそうになって思わず飲みこんだ。
大声を上げれば直ぐにでも、扉の前で番をしている衛兵や従者のロビンに聞こえてしまう。この部屋は許可された者しか入室できない。窓から訪れた人など、どんな理由であろうと捕らえられてしまう。
僕は慌てて口を押え、そんな様子を見た人影は、足音も立てずにベッド際まで進んで来た。そのままベッド際に腰を下ろし、口を押えたままベッドに座る僕を真っ直ぐに見つめる。
これは精霊がみせている幻なんじゃないだろうか。
一瞬、そんな思いがよぎる。
その不安に答えるように、月明かりは突然の訪問者の横顔を照らした。
黒髪と金に輝く瞳。
彫りの赤い目鼻立ちと息遣いも、昼間、目にしたばかりの彼そのもので。
「サシャ」
耳の鼓膜を震わせる、静かな囁き声に僕は口から手を離した。
「アラン……」
アランだ。アランが会いに来た。
僕に……アランが会いに来てくれた。
前のめりに膝をつく。
溢れる気持ちに抱きつくこともできず、僕は両手でシーツを握る。
そんな僕に、アランは懐かしい顔でふっと笑った。
「元気にしていたか?」
「う、うんっ……」
言いたいこと、伝えたいことが山のようにあったはずなのに、喉につかえて出てこない。必死に頷く僕に、アランは懐かしい手つきで僕の頭を撫でた。
「綺麗になったな」
「僕は……」
「成人、おめでとう」
養い親の顔でアランはほほ笑む。
僕が一人立ちできるまで守ると、彼は言っていた。
あぁそうか、彼は……別れを言いに来たんだ。
「……アラン」
「ずっと王城で頑張って来ていたんだろ? 噂は聞いてるぜ。偉かったな」
そう言って、僕の頭を優しく撫でる。
まるで六年前の――アランがBランクの試験に合格して、二ヶ月ぶりに帰って来た日の朝のように。
あの日のことを思い出すと、心臓が強く握られたように苦しくなった。
アランと別れた日、もう、二度と泣かないと決めた。
決めてそれから一度も泣かずに今日まで来た。それなのに……。
「幸せでいるんだろ?」
「うん……」
幸せだよ。
「城の人たちは皆優しくて、何も分からなかった僕をいつも手を貸してくれた。僕が安心して暮らせるように、あらゆる手を尽くしてくれて……」
「そうか」
「必要な物は何でも用意してもらえる。美味しいご飯にふかふかのベッド。いつも新品みたいな服……王立学園に通って勉強して、乗馬も剣術も学んだ」
「すごいな」
「この国の誰も手に入れることのでいない、玉座まで僕には用意されいる。僕は、幸せ者だよ」
「よかった。この国の誰よりも幸せになれて」
頭を撫でる、その手がゆっくりと離れていく。
僕は真っ直ぐアランを見つめたまま、囁いた。
「この国一番の幸せ者で……それでも――」
目の奥が熱い。
喉が痛い。
堪えて、堪えて、我慢を続けて来た思いの入れ物にヒビが入って、砕けていく。
「アランがいない」
ぱたり、ぱたり、と涙が溢れて落ちていく。
「アランがいない」
「サシャ……」
「アランが……アランが居ない……」
止まらない。
「アランが居ないよ。どこにも、アランがいない……」
止まらない。
涙が止まらない。
溢れて、溢れて、頬を伝ってシーツを濡らしていく。
まるで小さな子供のように、同じ言葉を繰り返す。
僕は、大人になった気でいたけれど、心は子供のままだ。
皆が見たら、きっと呆れるだろう。こんな子供が王様になんかなれるわけがない。
アランが僕の涙をぬぐうように、親指で頬を、目の縁をなぞる。
手のひらで僕の顔を包む。
そのひとつひとつが切なくて、僕の涙はますます止まらなくなってしまう。
「アランが、いない……アラ――」
指先が僕の顎を軽く上げ、見上げるようになった。その唇に、アランの唇がそっと重なった。
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