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第五章 王立学園の王太子
190 悔しいのです
しおりを挟む治癒魔法師がもう一度、僕の状態を確認する。
迷宮から出て直ぐに太陽光を浴びたことと、魔法師の手当てのおかげで、僕は眠り苔の影響を抑えることができたみたいだ。とは言っても、まだ体はだるくて手足にに力が入らない。
陽の傾き具合を見て、今は夕暮れ少し前、という所だろうか。
僕は予測した通り、迷宮入り口に設置されていた祭壇を簡易ベッド代わりに横たわっていた。周囲には僕の無事を知らせる騎士や従者たちが行き交い、後始末のために迷宮に向かう兵士たちの姿がある。
そして少し離れた場所では、布を敷いた地面にマグノアリ王子が横たわっていた。
「彼は……?」
僕の視線に気が付いて、アーシュが振り向く。
そして険しい表情を隠しもせずに答えた。
「マグノアリ王子は無事です。殿下より多く胞子を吸ったせいかまだ眠りから覚める気配はありませんが、治癒魔法師の話では、明日にも目を覚ますだろうということです」
「そう、よかった……」
「殿下」
振り向いたアーシュが、硬い声で呼びかける。
背中を支えられながら、治癒師から毒消しの薬草を浸した水を貰い飲む僕は、黙ってアーシュを見上げた。
「彼が何をして殿下にどのような乱暴をはたらいたのか、全ての状況証拠が揃っています。とても許せる行いではありません」
「うん……」
僕のシャツの前は引き裂かれたようになって、半ばはだけたまま。
はぎ取られ捨てられていた防具もあっただろうし、何より、魔石を使った火球も魔法師が調べれば直ぐに誰のものによるのか分かる。
「危険な眠り苔に、今回は救われたかな……」
あのタイミングで眠り苔の胞子を吸わなければ、僕は今頃マグノアリの手に堕ちていた。粗野で豪快な冒険者たちが聞けば、その程度のことは野良犬に噛まれたようなものだと笑って済ますかもしれないが、礼儀と礼節を重んじる貴族社会にとって厳罰となるだろう。
僕も、王太子としての責任感から彼を見捨てなかっただけで、正直、もう顔を合わせたいとは思わない。
「殿下の身が穢されなかったこと、不幸中の幸いと言う者もいるでしょうが、私は今もあの者を切って捨てたい思いを必死で堪えています」
「アーシュ……」
「ええ、殿下が見捨てなかったというその意味を、無視するつもりはございません。ですが、彼の者は国外追放として二度とこのバラーシュ王国の地を踏ませたくありません」
怒りに声が震えるアーシュを見て、僕は「うん」と頷いた。
マグノアリの今後の処遇は、僕がどうこうできるものではないだろうし、あえて庇うつもりもない。同じ王子同士、もっと良い関係を築けたらと願っていたのだけれど、そうとはならなかった現実に、僕は横たわっていた祭壇に視線を落とした。
そこでふと、赤いものが目に入った。
迷宮に入る前にアーシュがお守りだと言ってつけてくれた髪飾りだ。
マグノアリと二人になって早いうちに、この髪飾りは投げ捨てられていた。僕をこの祭壇に横たわらせたときに置いた物は、これだったんだ。
きっと助けてくれた人が拾ってくれたのだと思う。
「アーシュ、僕を眠り苔の群生地から助け出してくれた人は誰?」
僕の問いにアーシュは瞬きをして、周囲を見渡す。
そばにいた護衛騎士が答えた。
「事前に迷宮の魔物討伐を依頼していた、冒険者と聞いています」
「冒険者! 名前は?」
「それが……誰か、聞いているか?」
更に周囲の者に聞くが、誰もが首を横に振る。
「身なりは? 顔の特徴とか」
「申し訳ございません。無事の知らせを聞いて駆けつけた時には、この場も混乱しておりましたので誰と特定できる状況にはありませんでした」
「そう……」
「人物の特定を望まれるのでしたら、冒険者ギルドに問い合わせれば名乗り出るかと思われます。褒美を与えたくお望みなのですね?」
護衛騎士の言葉に、僕は「いや……」と呟いた。
問い合わせて名乗り出るような者なら、最初から身分を明らかにしていただろう。誰にも何も言わすに去ったのなら、きっと名乗り出たりしない。
そう、僕を助けた人かアランなら尚更だ。
彼はそういうことに対して、褒美や名声を欲しがる人ではない。
「僕の救出は契約に無かったことでしょう。だから、今回の出来事に関わった人たち皆に、お礼をお願いします」
「畏まりましてございます」
護衛騎士は頭を下げてその場を離れる。
僕はアーシュに背を支えられたままため息をこぼした。
「殿下、迎えの馬車を用意してございます。治癒魔法師により、応急処置はいたしましたがまだ数日は影響が残るでしょう。王城に戻り身を清め、ゆっくりお休みくださいませ」
「うん」
頷いて僕は祭壇から下り、自分の力で立ち上がろうとするけれど足に力が入らない。
すかさず支えたアーシュが、「失礼を」と囁いて、僕をふわりと抱きかかえた。
「どうぞ無理に歩かずに。この私をお使いください」
「アーシュ……」
「あなたをこの手でお助けできなかった、それが悔しいのです」
唇を噛みしめ視線をそらす。
アーシュの想う気持ちの深さに、僕は「うん」と小さく頷くしかなかった。
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