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第五章 王立学園の王太子

187 反撃

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 ――サシャ、覚えとけ。広い場所で戦えるなんざ、荒野での戦争か闘技場での試合か、もしくは考えなしの魔物ぐらいだ。ろくでもない奴が襲って来る時ってのは、大抵、暗がりの狭い場所。獲物を逃がさないように……という心理が働く。

 カサルの町での暮らしに慣れ始めた最初の冬。草木の精霊たちの守りが薄くなる僕に、アランはできるだけ家に居るように言った。
 カサルは他の町と比べて比較的治安がいいとはいえ、子供の誘拐なんか日常茶飯事だ。暴行、強盗なんかもよくある。良家の子息令嬢は、護衛なしに外を歩いたりはしない程度に。
 僕も夜は一人で外出なんて絶対許してくれなかったし、昼間でも入り込んじゃいけない場所には近づくなと言われていた。

 そんなふうに気を付けていても、絶対に安全、なんてことはない。

「万が一襲われた時は、無理に力で返そうとするな。体格も腕力も上の相手に真正面から抵抗しても敵うわけがない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「まず相手はサシャを捕まえようとする。手を伸ばしてくるんだ。指や手首、腕には急所があって、ピンポイントで押せばお前の力でも怯ませることができる」

 僕の手を取って、こことここ……とそれぞれの場所を示す。

「それから手首、親指と人差し指の付け根、特に手首は押しやすい。例えばこんなふうに背中から抱きこまれた場合はこうだ」

 具体的に位置を示して押させてみながら、怯んだ相手の腕から逃れる方法に続ける。

「捕まえた手が緩んだらあとはひたすら逃げろ。助けを求めろ。いいか? 相手に痛い思いをさせて申し訳ないなんざ、カケラでも思うな。サシャを捕まえて害を与えようとした、それだけで万死に値する」
「そんな大げさな……」
「笑いごとじゃねぇよ。お前は優しいから、痛い思いをさせたら可哀想なんて思うだろ。その一瞬の迷いが命を奪うこともある」

 アランの真剣な瞳が僕を見つめる。

「どんな時も俺が守ってやれればいいが、そうじゃない時も来るだろう。いいか、自分の命は自分で守れ。絶対に傷つけさせるな。お前の両親が命懸けで守った体だろ?」

 僕の頬を、優しく両手で包むようにして言う。
 その静かに言い含める声に、僕の心がじんと熱くなる。声が詰まって、うんと頷くことしかできない。

「よし。だったら練習だ。俺とお前ぐらい体格に差があっても負けないようにな」




 ――いざという時、反射的に体が動くように。

 そう繰り返した日々の記憶が蘇り、僕の中の恐怖が消し飛んだ。
 このまま好き勝手なんかさせない! そう思った瞬間には、まだ自由のきいていた片手でマグノアリの腕の急所を押していた。

「ああぁっ!」

 こんな反撃を受けると思わなかったのだろう。背中に捩じり上げていた右腕を掴む手が離れた。すかさず身を屈め、肘でみぞおちを打ち付ける。「ぐぅっ!」と苦悶の声とともに膝をついた、その隙に僕はマグノアリの手から逃れた。
 視界の隅に、アーシュがくれた髪飾りが落ちているのが見えたが、拾い上げている間は無い。
 真っ直ぐに皆が居る方の通路に向って走り始めた僕の後ろから、マグノアリの怒鳴り声が聞こえた。

「きさまぁああ!」

 同時に、魔法の気配。
 精霊たちの微かな声が危険を知らせる。振り返る。その目の前に迫って来たのは、魔法の火球だ。
 反射的に僕は横に逃れた。
 火球は真っ直ぐ飛んでいき、逃げようと思っていた方の通路に直撃。迷宮の広くもない通路の壁と天井が破壊され、完全に塞がってしまった。

「なんてこと……を」

 僕を逃がさないようにと、魔石を使って魔法を放つなんて。
 振り返るとみぞおちを押さえて立ち上がったマグノアリが、僕の方に向って歩き始めていた。

「大人しく抱かれていれば痛い思いをせずにすんだものを……こうなったら、めちゃくちゃになるまでヤってやる」

 僕は直ぐに、記憶している迷宮の地図を思い浮かべる。

 緊急事態が起きた場合を想定して、迷宮内の構造は全て頭の中に叩き込んである。目の前の通路が破壊されたとしても、まだ道はある。けれどそれは大きく迂回するルートで、魔物の発生しやすいポイントもある道だ。
 だとしても、迷っているヒマは無い。
 今度マグノアリに捕まったなら、僕は確実に彼の暴力を受けるだろう。

 直ぐに反転して、別の通路に向って走り始めた。
 追うマグノアリが再び火球を放ってくる。その攻撃を、精霊たちの声も頼りにかわしながら、僕は光の精霊を放つ。
 この光で、誰かが僕の居場所に気づくように痕跡を残す。

「待てよ!」

 追うマグノアリより迷宮の構造に詳しい僕の方が有利だ。
 そう思った瞬間、火球が壁と床の一部を破壊した。その先には穴が――。

「あぁっ!」

 崩れた床に足を取られ、僕は穴に落ちていった。
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