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第五章 王立学園の王太子

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 王族や貴族たちが通うこの学園には、一部の生徒専用の私室がある。万が一の事態になった時の避難場所であり、学生でありながら外交や他の貴族らとの親交のためであったりとか……。
 もちろん、僕にも学園で一番立派な私室が用意されている。そこにアーシュに付き添われて来た。

 騒ぎを聞きつけ様子を見に来た、アーシュの親友にして龍人族のハヴェルに事の次第を説明して、従者のロビンに来てもらうように言伝を頼む。
 学園内にも従者を連れて来る者が多いが、今日はアーシュが付き添っていたこともあって、ロビンは王宮での仕事をしていたはずだ。悪いことをしてしまった。

「アーシュ、もう……大丈夫だよ」

 とりあえず、一人で歩けるぐらいには問題ない。
 けれど顔色が悪いのだろう、僕の背に手を添えるアーシュは困り顔だ。

「昼食過ぎまでお休みください。直ぐにロビンも来ますので、気持ちが落ち着くお茶を淹れてもらいましょう」
「大げさなことになってしまったね」
「礼儀知らずなあの者が悪いのです」

 どうぞ、と制服のジャケットを脱がしてもらって楽な服装にしてから、ソファに腰を下ろす。アーシュは冷たい水を用意して、僕の側に戻って来た。
 隣に座る彼から受け取り、一口喉を潤す。
 それだけでもずいぶん気持ちが落ち着いてきた。

「王になろうという者が、剣戟けんげきの音で気分が悪くなるなんて情けない。場合によっては僕も戦場に立たなくてはならなくなるというのに」
「誰にでも苦手なものはございます。それに、戦争などということが起らぬように働くのが我らの仕事です。王の心の安寧あんねいは、すなわち民の安寧でもありますから」
「うん……そうだね」

 そう言って僕は薄く笑みで返す。

「今もアーシュには助けてもらった。ありがとう」
「余計な手出しをしました」
「いや。あそこで王子の剣を止めてくれなかったら、僕は今頃大怪我をしてもっと大事になつていたよ。命を助けてもらっちゃった」

 本当にそう思う。
 いくら模擬戦用に刃を潰した剣でも、鉄の棒で首筋を殴られたなら、怪我どころでは済まなかったかもしれない。マグノアリは寸止めする気でいたのかもしれないが、止めきれなかったならと思うと今更ながらに恐怖を覚える。
 その後の反撃を含めても、アーシュが居てくれなかったなら乗り切れない事態だった。

「お褒めの言葉を頂き、光栄です」

 僕の手を取り、アーシュは指先に口つける。
 そして眩しいものを見るように微笑んだ。

「もし、褒美を頂けるのでしたら、おねだりをしてもよろしいでしょうか?」
「何? 僕にあげられる物ならいいよ」
「では、口付けを……」
「え……」

 にっこりと、微笑むアーシュに僕は固まる。
 口づけ、キス、それは……頬とかおでことか、そういうのでいいのだろうか……それとも口に……?
 アーシュの微笑みは変わらない。
 僕が返事を、もとい反応を楽しんでいるのか……。

「あの、その……それは、えっと……」
「キスを頂けますか?」
「えっと……」

 僕の手を握ったまま、ぐい、とアーシュの顔が近づいていくる。
 日焼けしない白い肌に金の髪。均整の取れた目鼻立ちに、鮮やかな青い双眸そうぼうが僕を捕らえる。
 令嬢たちなら誰もが見惚れる美しさだ。
 そんな騎士に、「キスを」とねだられたなら、嫌と言える人などいないだろう。それでも……僕は固まってしまう。

 まだ、この唇は誰にも触れていない。
 アランとですら……。

「ふふ、そんなに困惑なさらないでください」

 にこり、とアーシュが微笑む。

「貴方様の最初の口づけは、将来の伴侶のために取っておいていらっしゃるのでしょう」
「それは……」
「無理強いしたいわけではございません」

 微笑みは変わらず。でも、声には微かに落胆の色がある。
 僕は、命を助け騒ぎを収めてくれた騎士に対して、キスのひとつもしてあげられないのたろうか……。

「では代わりに、抱擁ほうようをお許しくださいますか?」
「うん……」

 頷くと、アーシュはふわりと僕を抱きしめた。
 ウッド系と柑橘の香りがする。前に僕が好きな香りだと呟いてから、アーシュが身に着ける香水はいつもこれになった。
 そんなところにも彼の心遣いが見える。

「あなたのお心に誰がいるのか、知っております」

 抱きしめられ、アーシュの囁きが耳に触れる。

「アーシュ……」
「ですが、それは叶わぬ思いであることを、あなたも分かっていらっしゃる。どれほど武勇を立て王宮に召し使えられるようになったとしても、元奴隷では身分が違いすぎる。あなた様が玉座を捨てるご覚悟があるのでしたら、可能かもしれませんが……」
「それは……」
「国王陛下と精霊たちの望みに反することであると……」

 僕を抱きしめる腕に力がこもる。

「私は……生涯あなたをお守りする誓いを立てました。その誓いを叶え続ける場所を、望んでおります」

 アーシュが耳元で低く囁く。

「どうかこの私、ザハリアーシュ・バルツァーレクを、あなたの伴侶にして頂けませんか?」
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