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第五章 王立学園の王太子

177 余の願いはそれだけだ

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 秋の夜風は冷たい。
 温かいショールを肩に掛けていても、長時間外に居ては体が冷えてしまう。僕はまだいいけれど、高齢のお祖父じいさまは体に毒だ。そろそろ部屋に戻った方がいいだろう。

「すみません。僕のワガママのために、お祖父じいさまにまでお心を煩わせています」
「よい。我が孫の一生にかかわることよ」
「アーシュは……ザハリアーシュ殿は本当に僕にはもったいないほどの人です。誰よりも気高く美しく、責任感もあって誠実です。彼こそ王に相応しいと思うぐらいに……」

 言って、僕はあっと口に手をあてる。
 精霊が求め、国王であるお祖父じいさまがこの僕を王太子にとしたのに、それに異を唱えるようなことを口にしてしまった。決して国王陛下の意向に反対しているわけじゃないのに。

「すみません」
「お前はもう少し、自分に自信をつけた方がよいようだな。彼の騎士も立派な人物ではあるが、王とはまた別の資質も求められるものよ」

 そう答えるお祖父じいさまは、夜の庭園に視線を向ける。

「サシャはザハリアーシュを嫌ってはいないのだろう?」
「もちろんです。出会って四年、アーシュは献身的に尽くしてくれています。いつも僕の気持ちを推し量って、王となるため、そしてこの城で過ごしやすいようあらゆる手を尽くしてくれています」
「では、その想いを重く感じているのかね?」
「そんなことは……」

 戸惑うことも多いけれど、重い、とも違う。
 実際に僕は多くのことを彼に頼り、信頼している。それこそ家族のように。けれど……伴侶となると、どうしても違う人の顔が浮かんでしまうんだ。
 もう会うことも無い人の顔だというのに……。

 うつむく僕に、お祖父じいさまは「そうか」と静かに呟いた。
 精霊たちの声を聞いたのかもしれない。

「この話をサシャのする時が来たのだな」
「お祖父じいさま?」
「サシャは、祖母ばあさまのことを知っているかね?」

 お祖母ばあさま――今は亡き、この国の王妃だったお方。
 僕の叔父にあたるオリヴェル王子を出産された後、お亡くなりになったのだと聞いている。かあさまが五歳か、六歳頃の話だ。

「母さまの物心がつく頃に亡くなられたと聞いています。ですから、母さまからお祖母ばあさまの話を聞いたことはありません」
「そうであろう。わが妻は一度として、子を抱いたことは無かった」

 僕は目を見開いた。
 王族や高位貴族は子育てを乳母に任せる。庶民が知るような育て方とは全く違うことは知っているけれど、まさか一度も自分が産んだ子供を抱いたことが無いなんて……。

「お身体が弱かったのですか?」
「そうではない。彼女は……この国に関心が無かったのだよ」

 そう答えるお祖父じいさまの声はどこか寂しそうに聞こえる。
 僕は黙ったまま次の言葉を待った。

「王妃クリスティアナは元々、長く戦争をしていた隣国の姫だった。先王――お前の曽祖父は諍いの終止符を打つべくかの国に徹底抗戦を強い、ついに陥落せしめた。クリスティアナはその戦争の戦利品であり、人質でもあったのだ」

 僕は言葉を失ったまま、お祖父じいさまを見つめる。
 王族の婚姻とは本来そういうものだ。本人たちの好き嫌いは関係ない。

「クリスティアナに課せられた使命はただ一つ、世継ぎを生むこと。その言葉の通り、彼女は王女と王子を生んだ。そしていつの日か故国に帰ることを望んでいたのだ。故郷に愛した騎士がいたために」
「お祖父じいさま……」
「望んでいたが、願いは叶わなかった」

 お祖父じいさまが僕に顔を向け、真っ直ぐに見つめる。

「姫の本心を知った者たちと先王が故国の騎士を葬った。バラーシュ王国の王妃となるのだから、今更国に戻るなど醜聞は許さぬ、とな」

 後は誰もが想像する通りだった。
 心は故国に向いたまま、一度として我が子を抱くことなく王子を生んだ数年後に亡くなった。表向きは病だったとしているが、それも真実は闇の中だ。

「余は、わが妻に愛を与えることも得ることもできなかった」

 それは……どれほどの悲しみなのだろう。
 お祖父じいさまのことだ敵国の戦利品などではなく、一人の女性として誠心誠意の真心で接してきたのだろう。それでもお祖母ばあさまの心は振り向かなかった。

「心から愛せる者と共に生きることは、王になるより尊いものである」
「お祖父じいさま……」
「だからこそ余は、オティーリエが王城の暮らしを捨て、エルフの青年の元に嫁ぐことを許した」

 じん、と目の奥が熱くなる。
 アランと別れてもう二度と泣くものかと心に決めた、だから僕は必死に涙を堪える。

「母さまは言いました」

 ひとつ深呼吸をしてお祖父じいさまに答える。

「生き延びて、そして心から愛する人を見つけるのだと。母さまととうさまはとても仲が良くて、いつも笑っていました。最期の最期まで、父さまは母さまを守ろうと腕の中に抱いていました」

 二人が喧嘩をしていたところなんか見たことが無い。
 その二人の間で、僕は本当に大切に育てられてきた。八歳までの思い出でしかないけれど、盗賊が村を襲ったあの日まで、森での日々は宝石のように輝いていた。

「母さまはとても幸せで、僕も、二人の子として生まれたことを誇りに思います」
「そうか……」

 優しい笑顔で国王陛下は微笑み、僕の頭を撫でる。
 そしてもう一度、祈るように言った。



「サシャ、心から愛する者と結ばれるのだよ。余の願いはそれだけだ」



 心に染みる言葉を受け、僕は頷く。
 そしてお祖父さまの手を取り、僕らは夜の庭園を後にした。
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