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第四章 二人の道
163 アラン・番を失うということ
しおりを挟む薄暗い迷宮の奥底で、片っ端から魔物や魔獣を屠り続け、既に時間の感覚は無くなっていた。
最後に陽の光を見たのはいつだっただろう。
サシャと共に同じ馬車に揺られ、美しい白亜の王城へと足を踏み入れた。居並ぶ騎士や兵士、貴族たちすら道を開けて、サシャと彼を導く公爵令息ザハリアーシュが行く。
嫌な気配を発する宰相相手にすら殺気を隠せず、この一歩一歩が最後の時なのだと噛みしめていた時、サシャはそっと俺の手を握ったんだ。
――何か緊張しちゃう。手、繋いでよ……。
あの時になって初めて俺は、緊張で自分の手が冷たくなっていたことに気が付いた。
微笑むサシャの柔らかな笑顔と温かな指。
俺は「しょうがないな」と笑って軽く握り返し――。
「サシャ……」
よろめいて、膝をつきそうになる体を剣で支える。
そのまま湿っぽい迷宮の壁際までふらふらと足を進めると、胃の奥からせり上がる物に俺は嘔吐いた。
もうずっと食い物は口にしていない。
水すらまともに飲まずに、魔物を殺し続けて来たんだ。吐こうにも胃に何も入っていないせいで、わずかな唾液だけがたれる。
それでも吐き気は止まらない。
獣人が、魂の伴侶たる〝番〟を失うということ。
それがどういうものか、言葉では聞いてきた。
狂い、街どころか国ひとつ滅ぼすこともあるという。
何ものにも満たされない飢えと、大地を失ったかのような恐怖。息を吸っても空気が肺を満たす感覚は無く、冷たい湖の底で悶えているような感覚。
体を引きちぎり心臓に爪を立てられているかのような痛み……。
魔物の蔓延る迷宮で、戦い続ければ忘れられると思った。
サシャを保護し、彼の素性を調べる中で、早いうちから王族であろうことに気づいていた。だからこそ尚更いつの日か、俺の手を離れていくのだと覚悟をもって接してきた。
奴隷上がりの冒険者にとって、サシャはいつの日か遠く離れていく存在なのだと。
……それなのに。
「サシャ……」
あいつを番としてしまったのは、いつだったのだろう。
街道で魔物を倒し、手にした魔石をあいつの取り分だと言って渡した時か。それとも、抱っこがいいと言って甘えて、俺の胸に耳を寄せて眠った時か。「傷、いっぱいなんだね」と俺の背中の傷痕を撫でた時か。
それよりもっと前。
果てしなく見える平原を手を繋いで歩いた。
最初は警戒していたくせに、何度か食事をして眠るうちにすっかり懐いてしまった。そして誰にも言ってはいけないと言われた森での出来事も話してくれた。
人に心から信頼され、心配されたのはいつ以来だっただろう。
「子供が死ぬ姿だけは……見たくなかっただけだ……」
盗賊から逃げ出してきた子供を保護したのは、たったそれだけの理由だったはずだ。
けれど目にした銀の髪とこぼれるほど大きな水色の瞳の少年は、ただそこに存在しているだけで俺の目を惹きつけた。
血と汗にまみれながら、彼の放つ匂いに囚われた。
思わず追いかけて手首を掴んで、サシャはそれでも負けずに俺の腕に噛み付いた。
ギラギラとした瞳の強さに惚れたんだ。
何があっても生き続けると、そう訴える彼の強さに。
「そうだあいつ、俺に噛みつきやがった……」
壁を背にしてずるずると座り込む。
吐き気も痛みもあるそれよりも、サシャを失った苦しみの方が何倍も辛くて、肩のローブを握りしめる。
何度も覚悟して。
何度も番には出来ないのだと、自分に言い聞かせて来た。
公爵令息に引き渡して、国王陛下に会う。
そして彼は無事に王太子殿下となった。俺のやって来たことは間違っていない。それでも……。
「く……ぅぅう、ぐ、う……」
Bランクにまでなった二十歳の男が、迷宮の奥底でたった一人、膝を抱えて泣いているなど誰も知らないだろう。
あいつを失って、もう今の俺に生きる目的は無くなった。
いっそ死ねればとも思うのに、長年培ってきた冒険者としての能力が、簡単に生きることを手放させてくれない。
「……サシャ」
いっそこのまま狂ってしまえたなら……。
そう思った瞬間、人の気配に俺はハッと顔を上げた。
「誰だ!」
次の瞬間には剣を構え、暗闇の向こうを見据える。
気配は不敵に笑う声を漏らしてきた。
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