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第三章 試練の町カサル
129 モイミール・自分たちがしでかしたこと
しおりを挟むマロシュさんが魔石を川へ落とした瞬間、思わずサシャを捕まえていた手を離してしまった。
流れる川に吸い込まれていった石を、真っ青になった顔で見つめる横顔。
いつも穏やかな、どちらかと言えば大人しい彼が声を荒らげて、何度も「返せ」と繰り返した。その声の強さに、とても大切にしている物なのだと気づいても、俺たちは悪ふざけを止めることができなかった。
俺から見ても、あの魔石はよくある魔獣のもので、高価なものじゃないって分かる。
そんなクズ石を大切にしているなんて、やっぱりガキだな、なんて心の中でせせら笑っていた。でも……。
さんざん困らせて、そのあたりの地面にでも捨てて、彼が必死で拾う姿を見て笑う。
そんな程度で終わらせるのだと思っていたんだ。
まさかマロシュさんがその魔石を川に捨てるとは思わなかった。
いや、「手が滑った」と彼は言った。
言いながら悪気の無い声でマロシュさんは笑っていた。嘘だ。
平然と嘘をつくその笑顔に、俺は初めてぞっとした。
驚いて、声を失っている間にサシャは川へ飛び込んだ。
俺は生まれた時からこの町の暮らしだ。
季節は初夏で昼間は汗ばむほどのになっても、川はまだ雪解け水を含んでいて驚くほど冷たいと知っている。昔から夏の終わりになるまで川には入るなと、大人たちにきつく言われていた。
入ったら最後、大人でも流され死んでしまうと。
「ああっ!」
ザンッ! という水音を追うように橋の欄干に駆け寄って、ミランが声を上げた。
気弱な彼は人に意見するということが無い。そんな彼が、行き過ぎた悪ふざけに不安を感じて、マロシュさんに声をかけた直後のことだった。
俺も欄干から流れる川を見下ろす。
川幅はそれほどじゃなくても、流れは早い。よほど泳ぎが得意でなければ……。
サシャの姿は見えなかった。
流された。
流され、どこまでいった? この先に大きな川へ合流する場所がある。そこまでに岸
たどり着かなければ、絶対に助からない。
それは……サシャが死ぬ……ということだ。
ざっ、と血の気が引いた。
取り返しのつかないことをした。
今になって、自分が何をしていたのか自覚した。
彼は何も悪くない。
ただ、アランさんに守られて幸せそうにしているのが気に食わなかっただけだ。マロシュさんのようにランク持ちの冒険者で、アランさんに相応しい人間ならそんなことも思わなかったのに。
生薬ギルドで真面目に働いているだけの、普通の子供だったから。
「あーぁ、バカな子」
川に飛び込み、見えなくなった姿にマロシュさんはまらなさそうに呟いた。
ミランもべドジフも、言葉を失っている。いやべドジフ――ジフは、無理にでも笑おうとしていた。
俺は狼狽えるようにして言う。
「バカ……って、あいつ、大切な物だって」
「なぁに? バカでしょ? あんなクズ石追いかけて飛び込んだんだから。どう考えたって、見つかりっこないのに」
「え、だって……それは……」
「だって?」
マロシュさんが俺を睨むようにして見つめる。
ぞく……と背筋に冷たいものが走る。まるで蛇に睨まれたカエルのように。
「まさか、ボクが悪いとでもいうの?」
マロシュさんが鼻で笑う。
「ボク、ちゃんと謝ったよ。手が滑っちゃってごめんって。わざとじゃないでしょう? なのに、あいつが自分で飛び込んだんだから、ボクは何も悪くないよね?」
「橋から外に向けて手を伸ばせば、落とすことだってある……」
そうだ。わざとだろうと、わざとでなかろうと、あんな風に手を伸ばしたら落としてもおかしくない。なのに……。
「うん、たまたま落ちちゃっただけだよね?」
首を傾げるようにして言う。
そして綺麗な瞳を細めてから、はーっと長い溜息をついた。
「なんか、面白くないんだけど」
「マロシュさん……」
「あの子を抑えつけていたのは君たちでしょ? どうしてボクだけが悪いような言われ方しなくちゃいけないの?」
不機嫌な顔で視線をそらす。
遠くで川に飛び込んだ姿を見た大人たちが、声を上げながら川下の方に走っていくのが見えた。
俺たちはサシャを突き落としたわけじゃない。
それでも……何があったのかと問い詰められたなら、俺は何て答えたらいいんだ。
マロシュさんは平然と笑っている。
「あんなバカな子は、アランに相応しくないから丁度良かったんじゃない? あの子もこれに懲りて、自分に相応しい身の振り方を考えるよね」
自分に相応しい身の振り方。
その前に、サシャは生きていないかもしれないというのに。
「なーんか、冷めちゃったな。君たちもあの子と同類なら、もうボクに声をかけないでね」
そう言ってひらひらと手を振り、マロシュさんは俺たちを置いて行く。
ミランは声を失ったまま川を見下ろしつづけて、ジフは顔をひきつらせたままで立ちつくしていた。
「ミラン、ジフ……俺……もう、止める」
ジフが俺の方を向いた。
顔をひきつらせた笑いのまま、「何を今さら」と呟く。
「サシャが悪いんだろ。アランさんの手を煩わせているから」
「だったとしても、俺、もうやめる」
「逃げるのかよ、モイミール」
ミランとジフと俺は、物心ついた時からいつも一緒に居た幼馴染みだ。
親友……いや、悪友と言っていい。いいことも悪いことも、いつも三人一緒だった。けれど、どんなイタズラだろうと、人の命を奪っていいことにならない。
「サシャは邪魔だろ」
「邪魔でも、それでも……俺たちはやっちゃいけないことをした」
「自分だけ手のひら返していい子のフリかよ!」
「やめてよ二人とも!」
ミランが半泣きで俺たちに取りすがる。
「喧嘩はやめてよぉ……」
「ミラン、お前はどうなんだ?」
俺の言葉にミランは半泣きの顔を向けてくる。
「サシャは気に入らなかったけど、だからってやり過ぎたと思わないのか?」
「僕は……僕はその……皆が、言うから……」
皆に合わせていただけだから、自分は悪くないと?
俺は二人から一歩離れた。
ミランもジフも大切な幼馴染みだった。皆それぞれに貧しくて、親に恵まれなくて、それでも力を合わせて来た仲間のはずだった。けど、今……湧きあがった嫌悪感に二人の顔を見ていられない。
何より、取り返しのつかないことになってから気づく、自分自身が許せない。
「もう、いい……」
言って俺は川下に向って走り出した。
追ったからといって見つかるかどうかわからない。けれど、走らずにはいられなかった。走って、サシャの姿を見つけられるか……。
川下に行くと、人が集まり騒ぎになっていた。
誰かが川に流されたサシャを、見つけ出したらしい。人だかりで誰が助けたのか、サシャは無事なのか自分の目で見ることはできなかったが、人々が口にする言葉でどうやら助かったらしいという声を聞くことができた。
「よかった……」
呟いて、俺は川岸にへたり込んだ。
同時に思った。
許してもらえることじゃないけど、謝らなくちゃいけないと。もう、バカな悪ふざけはしないって、言わなくちゃいけない。
そう思ったのに、それからサシャは生薬ギルドに姿を現さなくなった……。
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