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第三章 試練の町カサル
111 今だけは……。
しおりを挟む昨日の朝……。遺跡から冒険者たちが出て来たと。長い探索を終えて来たよ……、と草花たちが教えてくれて、アランの帰還に胸を躍らせていたのか、遠い昔のことのようだ。
今、あれほど待ち望んでいたアランが目の前にいる。
僕は逞しい肩に額を寄せて、腕枕で同じベッドに横なっている。よほど疲れていたのか、アランはベッドに横になると直ぐに穏やかな寝息を立て始めた。
彼の安心しきった寝顔。僕が身じろぎすると、無意識に僕の背を抱いて引きよせ、アオニ草で苔色に染めた髪に鼻先をつける。そして僕が腕の中にいることを確かめるように匂いを嗅いでか、穏やかな息をつく。
僕はアランの恋人ではないのに。
一番、大切な人ではないのに。
それでも……僕をこうしてまだ、腕の中に抱いてくれるの? 守らなければならない子供だから……。
「……アラン」
切なくて、胸が痛いよぉ。
アランが生薬ギルドの温室まで迎えに来て、嬉しくて思わず抱きついた。
優しい腕は二ヶ月前に見送った日と何も変わらなくて。……いや、それ以上に逞しく、強くなったのが嬉しく感じたのに、僕は気付いてしまった。
家で使っているのとは違う石鹸の香り。
どこかに泊まって、湯を浴びて来たんだ。
いったい……どこで……?
今朝、生薬ギルドの前でマロシュに会って言われた言葉、「お祝いにね、ボク、アランと寝たんだ」と。それがただの「添い寝」なんかじゃないってことぐらい、僕でもわかる。
その後でもハッキリと言っていた。
瞳を細めて、勝ち誇ったような顔で「やっと彼と番になれるんだから」と。
番。魂の伴侶。
世界でたった一人の……アランの、恋人。
今はまだ誰にも秘密だという、特別な関係。
そしていつか、僕と二人で暮らすこの家に、彼も住み始めるのだと思うと耐えられなかった。嫌だと叫んで、耳を塞ぎたかった。
心のどこかでは、マロシュの言葉は嘘だと思いたかった。
確かにアランは人に本心を明かさないけれど、僕から見て積極的にマロシュと親しくしている姿を見たことはほとんど無い。昨日の夕暮れ、街角で抱き合ってキスをしていた時以外に。
だから、もしかしたらマロシュが勝手に言っているだけなんじゃないかと、そう……思いかけていたのに。
アランはマロシュと夜を共にしてきた。
抱き合って、愛し合って、そして帰って来たんだ……。そんな素振りを僕にはいっさい見せないのに。
でも……だから、僕とはキスできない。
そういうこと……なんだよね、きっと。
眠るアランの睫毛が、ぴくぴくと動く。
幸せそうに微笑む口元。楽しい夢を見ているのかな。その夢に、僕は出てくるのだろうか……それとも、魂の番のマロシュが居るのだろうか。
「ねぇ、アラン……僕はきっと、いつまでも片思いだよね」
どんなにアランのことを思っていても報われない。
一方通行の気持ちだ。それでも止められない。
アランが獣人でも、同性でも、どんな生まれで何をしている人でも。そんなことは関係ない。ちょっと乱暴だったり、でもすごく優しくて責任感の強い、誠実な人。
僕にとって命の恩人で、誰よりも大切にしてくれた人で、何よりも大好きな人で……。
今は、今だけはまだ、こうして一緒に居られる?
心は寂しくて悲しいのに、僕を抱く腕の温もりと温かさが心地よくて、だんだん、うとうとと眠くなってくる。
そう言えば夕べは一睡もしていなかった。
川の見えるダミーの家の窓辺で、ずっと流れる川面と町の明りを見つめ続けていた。
「……アラン」
「ん……」
囁く僕の声に、アランは鼻を鳴らすような甘い声を漏らす。
僕を抱く腕に力がこもる。きゅっと抱き寄せる、
眠っている今なら、そっとキスをしても気づかれないだろうか。
いやでも、彼はBランクの冒険者だ。どんなに深い眠りにあっても、わずかな異変に気付いて目を覚ます。そうしたらもう一緒には眠れないかもしれない。
もう一緒のベッドは嫌だと、それどころか一緒に暮らすのも嫌だと言われてしまったら……。
アランを起こさないよう、僕も静かに瞼を閉じる。
温かな胸と腕に体をゆだねて、深呼吸を繰り返す。
彼の恋人にはなれなくても、今のこの幸せを覚えておこう。きっと僕は今後どんな一生を送ったとしても、アラン以上に好きな人は現れないと思うから。
だから、一人きりになった時に、宝物のような思い出になるように。
心に灯る温かな光のように。
こうして僕らは日が沈むころまで、心地いい眠りの時を過ごした。
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