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第三章 試練の町カサル
89 アランには言わないで
しおりを挟む叫び声を上げる。
けれどこの声はアランに届かない。助けは来ない。
そんな絶望に僕はギュッと目を瞑った。瞬間、目の前の男が「ぎゃっ」と声を上げた。同時に手首を掴んでいた手が離れる。自由になる。
「ほれお前たち、子供が嫌だと言っている」
聞き覚えのある、しわがれた声がした。
僕は恐怖に震えながらそっと瞼を開く。目の前には僕を抑えつけていた男が、赤くなった額を手で押さえながら、階段を数段降りた。取り囲んでいた他の男たちも同じだ。
一体何が起ったのか。
そう思いながら顔を巡らせると、冷ややかな眼差しのお爺さんがいた。
髪は白。骨ばった小柄な体躯は僕より少し小さい。それでも赤茶色の瞳は鋭く、手にした杖の先はぴたりと男たちの方を向いていた。
僕を抑えつけていた男は、この杖の先で突かれたんだ。
「子供には優しくするものだ」
「ジジィ、邪魔だ!」
「ほぅ……年寄りの言葉が聞けないと? 良かろう、わしが相手になってもいいぞ。Aランクじゃが見ての通りの老いぼれだ。汗を流すには丁度良かろう」
くくく……と喉の奥を鳴らす。
途端に男たちの顔が青ざめた。
Dでもランク持ちの冒険者となれば、一般人には歯が立たない。その中で、実質最高のランクにあるAなど、瞬殺されるのは目に見えている。
「じ、ジジィがこんな場所うろついてんじゃねぇよ!」
Aと聞いて顔色を変えた男たちは、踵を返して階段を駆け下りていった。
周囲を見渡せば、何の騒ぎかと窓や路地から覗き込んでいる顔がある。そのどれもが薄汚れ、やつれ、怯えたような表情をしていた。
「坊や、起きれるかね」
言われて手を差し出されていることに気づいた。
僕は手を握り立ち上がる。そして側に転がっていた鞄を拾い、中身を確認した。乱暴に扱われた鞄だったけれど、瓶が割れている様子は無い。良かった。
「ありがとうごさいます、ルボルお爺さん。お久しぶりです」
「何、賑やかな声が聞こえたのでな。元気でおったか?」
「……はい」
埃を払って、引き裂かれそうになったシャツや上着を直す。
もう少しお爺さんが来るのが遅かったなら、僕はあの男たちに乱暴されていた。それを思うと今更ながらに震えてきた。
「して、何故このような場所に入り込んだ? アランから下層には行くなと言われていたじゃろうに」
こちらだ。と案内するように歩き出すルボルお爺さんの後に続く。
お爺さんは杖を持っていても、足運びは僕よりしっかりしている。その姿に安心して、僕は「はい……」と小さく答えた。
入り込みたくて入り込んだわけじゃない。
べドジフたちに鞄を取られて、ここまで来たんだ。そう言ったとしてもどうなるのだろう。ルボルお爺さんから止めるように言ってください、とでも言えばいいのだろうか。
きっと子供同士の争いに、自分で対処もできないのかと笑われてしまう。
「その……ちょっと、迷子になっていました」
「そうかそうか。この辺りの路は複雑だからの」
本当か? と疑いもせず、ルボルお爺さんは頷いた。
余計なことを聞かないでくれる。その親切に僕は肩の力を抜いた。
「あの……僕がこんな下層にまで入り込んでしまったこと、アランには言わないでください」
「ほぅ、何故かね?」
「心配……かけさせたくない……」
せっかく僕のことを信用して、今回ランクアップ試験に挑んでいるんだ。一人では何もできないのだと分かれば、またアランは依頼を蹴って、僕の側に居ようとするだろう。
それではアランの自由を奪ってしまう。
アランの側に居たいし、僕の側に居て欲しい。
できることなら雪の季節のように、朝から晩までくっついていたい。でもそれじゃあダメなんだ。
アランは優秀な冒険者で、誰もが彼に期待を寄せている。アランにしかできない依頼も多いと思う。僕というお荷物で、その機会を奪っちゃいけない。
僕は自分一人でも生きていけるように、あらゆることを学んで行かなきゃいけないんだ。
「ふっふっふっ、坊やはまだまだ子供だろうに。いくらでも心配をかけさせてもいいのだよ。アランも喜んで手を貸すじゃろ? あいつはああ見えて世話好きだ」
「そう……なん、ですけど……でも」
「坊やに頼られるのを、喜んでいるように見えるがの」
そんなふうに話しをしている内に、見慣れた階層まで上って来た。
ここまで来れば僕一人でも大丈夫だし、荷物の届け先の「狂戦士の爪」までは目と鼻の先だ。
僕はルボルお爺さんの横に並んで、ぺこり、と頭を下げた。
「ありがとうございます。後は一人でも大丈夫です」
「手に余ることがあれば、相談しなされ」
「はい」
そう答えて、僕はギルドに向かって走り始めた。
太陽は西に傾いて、もう夕暮れの色になり始めている。
――手に余ることがあれば。
今の僕で手に余ることなんか、何も無い。
全部、自分でどうにかできることばかりだ。
僕は早く大人になって、アランを安心させたい。そしてアランの力になりたいんだ。
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