上 下
89 / 281
第三章 試練の町カサル

89 アランには言わないで

しおりを挟む
 


 叫び声を上げる。
 けれどこの声はアランに届かない。助けは来ない。
 そんな絶望に僕はギュッと目を瞑った。瞬間、目の前の男が「ぎゃっ」と声を上げた。同時に手首を掴んでいた手が離れる。自由になる。

「ほれお前たち、子供が嫌だと言っている」

 聞き覚えのある、しわがれた声がした。
 僕は恐怖に震えながらそっと瞼を開く。目の前には僕を抑えつけていた男が、赤くなった額を手で押さえながら、階段を数段降りた。取り囲んでいた他の男たちも同じだ。

 一体何が起ったのか。
 そう思いながら顔を巡らせると、冷ややかな眼差しのお爺さんがいた。
 髪は白。骨ばった小柄な体躯は僕より少し小さい。それでも赤茶色の瞳は鋭く、手にした杖の先はぴたりと男たちの方を向いていた。
 僕を抑えつけていた男は、この杖の先で突かれたんだ。

「子供には優しくするものだ」
「ジジィ、邪魔だ!」
「ほぅ……年寄りの言葉が聞けないと? 良かろう、わしが相手になってもいいぞ。アーモスランクじゃが見ての通りの老いぼれだ。汗を流すには丁度良かろう」

 くくく……と喉の奥を鳴らす。
 途端に男たちの顔が青ざめた。
 ダリボルでもランク持ちの冒険者となれば、一般人には歯が立たない。その中で、実質最高のランクにあるアーモスなど、瞬殺されるのは目に見えている。

「じ、ジジィがこんな場所うろついてんじゃねぇよ!」

 アーモスと聞いて顔色を変えた男たちは、きびすを返して階段を駆け下りていった。
 周囲を見渡せば、何の騒ぎかと窓や路地から覗き込んでいる顔がある。そのどれもが薄汚れ、やつれ、怯えたような表情をしていた。

「坊や、起きれるかね」

 言われて手を差し出されていることに気づいた。
 僕は手を握り立ち上がる。そして側に転がっていた鞄を拾い、中身を確認した。乱暴に扱われた鞄だったけれど、瓶が割れている様子は無い。良かった。

「ありがとうごさいます、ルボルお爺さん。お久しぶりです」
「何、賑やかな声が聞こえたのでな。元気でおったか?」
「……はい」

 埃を払って、引き裂かれそうになったシャツや上着を直す。
 もう少しお爺さんが来るのが遅かったなら、僕はあの男たちに乱暴されていた。それを思うと今更ながらに震えてきた。

「して、何故このような場所に入り込んだ? アランから下層には行くなと言われていたじゃろうに」

 こちらだ。と案内するように歩き出すルボルお爺さんの後に続く。
 お爺さんは杖を持っていても、足運びは僕よりしっかりしている。その姿に安心して、僕は「はい……」と小さく答えた。

 入り込みたくて入り込んだわけじゃない。
 べドジフたちに鞄を取られて、ここまで来たんだ。そう言ったとしてもどうなるのだろう。ルボルお爺さんから止めるように言ってください、とでも言えばいいのだろうか。
 きっと子供同士の争いに、自分で対処もできないのかと笑われてしまう。

「その……ちょっと、迷子になっていました」
「そうかそうか。この辺りの路は複雑だからの」

 本当か? と疑いもせず、ルボルお爺さんは頷いた。
 余計なことを聞かないでくれる。その親切に僕は肩の力を抜いた。

「あの……僕がこんな下層にまで入り込んでしまったこと、アランには言わないでください」
「ほぅ、何故かね?」
「心配……かけさせたくない……」

 せっかく僕のことを信用して、今回ランクアップ試験に挑んでいるんだ。一人では何もできないのだと分かれば、またアランは依頼を蹴って、僕の側に居ようとするだろう。
 それではアランの自由を奪ってしまう。

 アランの側に居たいし、僕の側に居て欲しい。
 できることなら雪の季節のように、朝から晩までくっついていたい。でもそれじゃあダメなんだ。
 アランは優秀な冒険者で、誰もが彼に期待を寄せている。アランにしかできない依頼も多いと思う。僕というお荷物で、その機会を奪っちゃいけない。
 僕は自分一人でも生きていけるように、あらゆることを学んで行かなきゃいけないんだ。

「ふっふっふっ、坊やはまだまだ子供だろうに。いくらでも心配をかけさせてもいいのだよ。アランも喜んで手を貸すじゃろ? あいつはああ見えて世話好きだ」
「そう……なん、ですけど……でも」
「坊やに頼られるのを、喜んでいるように見えるがの」

 そんなふうに話しをしている内に、見慣れた階層まで上って来た。
 ここまで来れば僕一人でも大丈夫だし、荷物の届け先の「狂戦士ベルセルクの爪」までは目と鼻の先だ。
 僕はルボルお爺さんの横に並んで、ぺこり、と頭を下げた。

「ありがとうございます。後は一人でも大丈夫です」
「手に余ることがあれば、相談しなされ」
「はい」

 そう答えて、僕はギルドに向かって走り始めた。
 太陽は西に傾いて、もう夕暮れの色になり始めている。

 ――手に余ることがあれば。

 今の僕で手に余ることなんか、何も無い。
 全部、自分でどうにかできることばかりだ。
 僕は早く大人になって、アランを安心させたい。そしてアランの力になりたいんだ。
しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)

藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!? 手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

孤独を癒して

星屑
BL
運命の番として出会った2人。 「運命」という言葉がピッタリの出会い方をした、 デロデロに甘やかしたいアルファと、守られるだけじゃないオメガの話。 *不定期更新。 *感想などいただけると励みになります。 *完結は絶対させます!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?

桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。 前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。 ほんの少しの間お付き合い下さい。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。

真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。 狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。 私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。 なんとか生きてる。 でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

処理中です...